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2013年5月10日金曜日

「歳旦帖」を読む ~貫く棒の如きもの~  / 中山奈々

さて問題。歳旦の句といえば?

去年今年貫く棒の如きもの」答えた人が多いのではないだろうか。そういえば、Yahooの知恵袋か、何かに、中国人の友達に「貫く棒」って何?と聞かれたがこれはどういう意味か?という質問を見たことがある。何なんだろう、「貫く棒」って。

まずこんな風に思った。貫く棒。それは真っ直ぐに貫き刺さっている棒。

破魔矢さす活断層のど真ん中    羽村美和子 
セーターを脱いでしまわぬ射的かな    岡村知昭

ああ、こんなところに刺さっていた、棒。棒というより矢。地震大国の日本の鎮めるように刺された破魔矢。その活断層のおかげか、温泉だらけの日本。温泉地で愉しむ射的。この射的、もちろん銃型のやつでもいいのだが、昔ながらの弓矢の射的を思い浮かべた。

これは多分、この前、「テルマエ•ロマエ」という映画を見たから。主人公がバナナを盗んだ猿に射的屋の矢を向けるシーンがあった。古代ローマのお風呂技師の話なんですけど。日本人がローマ人をやっている。ええ、日本人にも濃い顔がいて、例えば、砲丸投げの室伏広治とか。

室伏が振り回してもS字型    北村虻曳

貫くどころか、棒になり損ねてしまった。棒になることは難しいよう。あれ?そもそもそも棒ってどんな棒なんだろう。先ほどは「矢」とは違う棒もあるはず。そうそう。「矢」とは限らない。ではどんな棒があるのか。

死刑ある国に生まれて雑煮餅    仲寒蝉  
おしぼりが正位置にある福寿草    上田信治 

死刑があるということは、その刑が施行されるのを待つ人がいる。その人はたくさんの棒に囲まれた部屋にいる。その部屋で餅を食べるのだろうか。その一方で、料亭で食べる食事。新年の料理は、それは贅沢の極みだろう。だから最初は畏まっているのですが、段々酒が入ると、ふざけが入る。その中で、またにおしぼりをある形にして愉しむ者が出てくる。まあ、何の形かは言わないが、これも所謂、棒。

福寿草宦官の沓滑らかに    飯田冬眞

ああ、ここに棒を失くした方が。棒を失くすと、何だか艶めかしくなるのだとか。この沓の滑らかさもそこからきているのだろう。男性の頭脳に、女性の仕草。

黒松や箒に雌も雄もなく    山田耕司
しまった。変な方向に話が進んだ。棒は棒。雌も雄もない。箒のように。「婦」という字を思い浮かべれば、女性的な感じもするが、ああ、これをまた掘り下げると、深みはまりそうだ。よし、そんな時は

車線変更して新年に入りにけり 池田澄子

閑話休題。となったが、棒どころか、貫くこともやめてしまった。すいすい進む方に行くわ、とばかりに。私の道は私が決めるわ、とばかりに。なるほど。貫く棒には、人生観もある。

嫌はれず好かれず舌を出し新年    野口る理

本人には喜怒哀楽があるだろうが、総まとめすると、あっけらかんとした生き方。幸せ。昔「嫌われ松子の一生」という映画があったが、その主人公のよう。主人公の松子はとにかく、愛されることを望み、それを貫く。ああ、貫く人生。一見して不幸なんだが、何か惹かれる。

炬燵寝の母や身体をねじりつつ    松本てふこ
惹かれる生き方でいえば、このような生き方もある。ねじってはいるが、炬燵を貫く母さんの身体はまさしく棒だ。この人はどんな生き方して来たんだろう。なんて、自分の母なのに思う。

何だかんだ貫く棒を追ってきたが、さてはて、何だったのだろう。思わせぶりなこの棒をもう少し追うことにしよう。


【執筆者紹介】

  • 中山奈々(なかやま・なな)
1986生。吹田東高校在学時に作句開始。2003年俳句甲子園出場。
現在「百鳥」「里」所属。


※収録句については下記”ラベル”の「平成二十五年歳旦帖」をクリックしてください。

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