喜ばしい報せが届いた。
『hyphen(ハイフン)』十一号が刊行された。現代フランスの哲学者ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの思想を研究する団体「DG-Lab(ドゥルーズ・ガタリ・ラボラトリ)」が発行する、哲学・思想系の研究会誌である。
その誌面に、山根もなか氏の論考「俳句のリトルネロ——配置・切れ・内発的リズム」が掲載された。
驚いたのはそれだけではない。巻頭の活動報告において、未来俳句宣言の活動そのものが紹介され、ドゥルーズとの相性にまで踏み込んで論じられているのである。
哲学の側から俳句を読む
編集を務める伊藤幸生氏は、山根氏の論考を「ドゥルージアンだけが書くことができるような斬新な俳句論」と評しておられる。
山根氏は、ドゥルーズ=ガタリのリトルネロ概念を俳句に接続し、切れがリトルネロの三つの契機を圧縮する装置として機能すると論じた。
俳句の側が哲学を借りるのではない。哲学の側が、俳句を読むに値するものとして扱っている。ここが重要である。
DG-Labという場
DG-Labは二〇一五年から活動を続け、研究会はすでに六十九回を数える。一冊の本を一年かけて読む。映画論の大著『シネマ』は、一巻と二巻をそれぞれ一年ずつ。今年は『フーコー』刊行四十周年を記念して、六回に分けて読み進めているという。
会誌の巻頭に掲げられた理念は「ドゥルーズ=ガタリを読むすべての人々に開かれた大学外の場」。研究者だけの集まりではなく、大学に属していなくても、専門家でなくても参加できる。その精神と、内容の水準の高さが同居しているところが、この会の強みであろう。
宣言の行方
宣言が俳句の内側だけで完結するのであれば、それは閉塞の別の形にすぎない。短歌へ、詩へ、文学へ、そして思想の領域へ。そこまで広がって初めて、過去に見たことのない風景が見えてくるのではないか。
哲学の研究誌が俳句を論じ、その冒頭で宣言に触れる。この一事は、宣言がすでに俳壇の外へ出始めていることを示している。
関心のある方は、ぜひご覧いただきたい。
●【論考】 俳句のリトルネロ——配置・切れ・内発的リズム 山根もなか(DG-Lab 会誌『hyphen』11号より)
●【活動報告】(伊藤幸生氏による紹介)
https://dglaboratory.wordpress.com/wp-content/uploads/2026/09/hyphen11e6b4bbe58b95e5a0b1e5918a-3.pdf