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2026年9月11日金曜日

【未来俳句・短期連載1】心身から考える未来俳句  横道誠

  吾輩は俳人ではない。名前はもうある。大阪で生まれ、京都で生きてることには見当がついている。文学研究者であり、自閉スペクトラム症など多くの問題の当事者である。「未来俳句宣言」と山根もなか氏の「未来俳句宣言に寄せて──「短律」という武器、あるいは二重露光にいて」を読んで、俳句の未来と同時に、俳句を受けとる吾輩の心身のことを思った。

 山根氏はあえて「身体」に焦点をあてている。そのほうが衝撃力は大きい。しかし吾輩は心身一元論者、あるいはむしろ心身一・五元論者なので、「心身」として考えたい。どんな形式ならどんな心身が息をしやすいのか、とはおもしろい問いだと考える。

 私事にわたるが、吾輩が海外でもっとも感動した場所のひとつとして、パリが挙げられる。凡庸な趣味だと非難されることは、甘んじて受けいれる。また以下の内容は、吾輩の『発達障害者が旅をすると世界はどう見えるのか──イスタンブールで青に溺れる』(文春文庫)のパリに関する記述と部分的に重なっていることをご寛恕いただきたい。

 ルーヴル美術館からコンコルド広場、シャンゼリゼ通り、エトワール凱旋門、さらに新凱旋門へと伸びる直線。エコール・ミリテール、シャン・ド・マルス、エッフェル塔、トロカデロへと伸びるもう一本の直線。それらを別の軸がつらぬく。

 建物が美しいだけではない。建物と建物の配列が美しい。

 自閉スペクトラム症者には、集めて並べることに強く惹かれる人が多い。吾輩も例外ではない。物を集め、書物を集め、知識を集め、経験を集めてきた。ひとつのものより、ものともののあいだに生まれる秩序を見つめてきた。パリはまさに、巨大な収集および配列として賞味にあたいした。

 以前、中学校の国語教科書のために十五句を選ぶならどうするか、と考える機会を持った。そのとき吾輩の脳裏にはパリが背景として展開した。


古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音 松尾芭蕉

斧入れて香(か)におどろくや冬木立 与謝蕪村

をととひのへちまの水も取らざりき 正岡子規

赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐

分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火

水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼

萬緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男

炎天の遠き帆やわがこころの帆 山口誓子

草二本だけ生えてゐる 時間 富澤赤黄男

戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉

ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 桂信子

彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太

かぶとむし地球を損なわずに歩く 宇多喜代子

皿皿皿皿皿血皿皿皿皿 関悦史

起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希

 

 並びは俳人の生年順である。

 この十五句はいずれもそれ自体として、パリと何の関係も結んでいない。それでも吾輩には、十五句をとおして立ちあがる香気が、パリの美と等しいものに感じられた。

 芭蕉の水音は一点をうがつ。蕪村の斧は冬木立の内部から香をひらく。子規の句には、飲まれないままの水と戻らない時間が屹立する。碧梧桐の赤と白は、並んだまま落下する。山頭火は同じ言葉をつぶやきながら、深い山のなかへと進んでいく。

 そこから海、帆、歯、時間、戦争、蛍、爆心地、地球、血、青葉風へと広がる。

 五七五に収まる句もある。収まらない句もある。未来の俳句を考えるならば、もっと自由律は多いほうが良い選択だろうか。季語が句を支えることもあれば、語の反復、空白、漢字の形、散文的な長さ、命令のようなリズムが句を支えることもある。十五句は同じ器に入っていない。けれども並べるとひとつの街になる。

 短律に向かい、文法を削り、語と語の谷間を大きくする。富澤赤黄男の〈草二本だけ生えてゐる 時間〉では、空白が草と時間を隔て、つないでいる。この方向には強く惹かれる。他方で関悦史の〈皿皿皿皿皿血皿皿皿皿〉では、文字列が出来事と化す。神野紗希の〈起立礼着席青葉風過ぎた〉では、教室の規律を青葉風が一息に吹きとおる。

 形式はすでに音数だけのものではない。

 山根氏は、先ほど名指した文章で、定型を享受しにくい知覚を持つ者にとって、短律は己の知覚に合った新しい器になりうると述べている。吾輩はこの見方に賛同する。

 もちろん形式からの解放が、すべての心身にとって解放になるわけではない。しかし従来の形式が苦しい人はいる。定型の器に己の知覚を押しこめることで、呼吸しづらくなる人がいる。その一方で形式があるから安心して言葉を置ける人もいる。

 反復。順序。枠。数。

 吾輩のような自閉スペクトラム症者にとって、それらは拘束になることもあれば、不安定な世界を歩くための手すりになることもある。古い器を壊せば自由になる、と単純には言えない。器を集め、選べることから何かが始まる。

 五七五という器。

 自由律という器。

 短律という器。

 視覚による器。

 まだ名前のない器。

 心身が形式を生み、形式が心身を支える。その往復のなかに俳句がある。

 最後に吾輩の俳句を記しておこう。

 

地震かと貧乏ゆすりを友の言ふ 

俳句 春夏罰秋冬ついに五季 

青い海白い雲そして太陽そして


【横道誠(よこみち・まこと) 一九七九年、大阪市生まれ。京都府立大学文学部准教授、博士(文学)。専門は文学・当事者研究。著書に『みんな水の中』(医学書院)、『当事者対決! 心と体でケンカする』(頭木弘樹氏との共著、世界思想社)、『読書嫌いを覚醒させる至高のブックリスト』(ちくまプリマー新書)ほか多数。】