2014年3月7日金曜日

中村苑子の句【テーマ:水妖詞館ーあの世とこの世の近代女性精神詩】23.24./吉村毬子


23 羽が降る嘆きつつ樹に登るとき

何の羽であろう。翅ではなく羽であるから、鳥の羽であろうか。羽を持つ神のものだろうか。人は嘆きつつ天を仰ぐ。嘆きつつそれでも上昇しようと、天へ近付こうと樹を登る。平坦な地を緩やかに歩いて行く幸せに浸ることよりも、譬え険しい道であっても登りつめたいと喘ぐ時がある。

しかし、もうすでに地が温かく安らかな道でなくなった時、人は樹に登ろうとするのかも知れない。誰も助けてはくれない、たった一人のその痛みに耐え続け、荒地を踏みしめ幾度も転倒しながら、「嘆きつつ樹に登るとき」、柔らかく静かに「羽が降る」のである。

真っ青な空から羽の降りくるその静謐な時。その羽は嘆いている者を労わるように、優しく包むように肌に触れる。長い旅路の渡り鳥たちの苦悩と戦いに抜け落ちた羽を、痛みを知る者へ風が運び来ることもあろう。

抜け落ちた羽であっても、羽は飛ぶ為のものである。嘆きつつも樹に登る者へ、昇り、飛翔する為の羽を与える。それは、樹の天辺へ登りつめたなら、自由な空の世界を羽撃きなさいという暗示とも理解できる。しかし、空への上昇、羽撃きは、昇天にも価する。苦しみから解き放たれた、嘆かなくともよい自由な空間へと救われるという意味も包含する。

富澤赤黄男に次の句がある。

  羽が降る 春の半島 羽が降る   赤黄男『蛇の笛』

苑子の句は、「嘆きつつ」と率直な表現で詠っているが、困頓とした終戦後の闇の中の赤黄男は、「嘆く」ことも、「樹に登る」こともせず、もはや降り続く「羽」を遥かな春の半島で見詰めているしかなかったのかも知れない。

だが、羽、樹木の色彩感溢れる瑞々しさと清々しさは「嘆きつつ」がなければ、その存在感が迫ってはこないのである。

第1章【遠景】とはまた異なる第2章【回帰】も美しき寂寞の句より始まるのである。


24 落鳥やのちの思いに手が見えて

「落鳥」とは、鳥が死ぬことである。鳥は、飛ぶことが生を意味するのであるから、落ちる=死ぬとは頷ける。1970年代のベストセラー小説の『かもめのジョナサン』(リチャード・バック)を思い出す。少女時代に父の愛読書の中から盗み読みしてから今でも好きな物語である。主人公の鷗、ジョナサンは、飛ぶ行為自体、即ち速く飛ぶことだけに価値を見出し、餌を採るために飛ぶ他の鷗たちから異端扱いされ、群れを追放されてしまう。それでもジョナサンは、飛び続け、もはや飛行とは違うより高い次元へと向かって行くのである。

揚句の中七下五「のちの思ひに手が見えて」とは如何なる解釈ができるのか。「や」の切れ字を置いても鳥が死んだことへの「のちの思ひ」なのであろう。推理小説のように後から落鳥の原因を探っていけば、その手法が(例えば、誰かが括ったとか・・・)明らかになったということにもなる。が、死後の思考の内に死ぬこと自体が手法であったのか、と思いあたったとも取れる。自死という手法である。その場合、「落鳥」は、鳥の自死というよりも、隠喩になるのであるが・・・。

しかし、一句目「羽が降る嘆きつつ樹に登るとき」とこの句との並列には、仏教の六道、(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を想起させるものがある。嘆きつつ樹に登った人間が羽を得て、鳥(天)に姿を変えた後、地(地獄)に落ち、餓鬼・畜生・修羅を経て、また人となったのではないかと私には思えてくるのだ。

果たして、前掲のジョナサンは落鳥に至ったのか、否や、永遠に違う空(天)を飛び続けているのではないか。

この面妖な句も『水妖詩館』第2章の始まりを飾るに相応しい一句である。



【執筆者紹介】

  • 吉村毬子(よしむら・まりこ)

1962年生まれ。神奈川県出身。
1990年、中村苑子に師事。(2001年没まで)
1999年、「未定」同人
2004年、「LOTUS」創刊同人
2009年、「未定」辞退
現代俳句協会会員

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