さびしさやはりまも奥の花の月 上田五千石
第三句集『琥珀』所収。平成二年作。
前回の〈春の月思ひ余りし如く出し〉に続いて『琥珀』所収の春の月の句。
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五千石の幾つかの句には、云わばモデルになった、もしくはオマージュとしての先人の作品がある。たとえば、
ふだん着の俳句大好き茄子の花 五千石
ふだん着で普段の心桃の花 細見綾子
があり、著書『俳句に大事な五つのこと』の「自作を語る」で以下のように書いている。
細見綾子さんに「ふだん着で普段の心桃の花」といういい俳句があります。私の句は愛唱していた細見さんのこの句の模倣から生まれたと言っていいでしょう。
また、
早蕨や若狭を出でぬ仏たち 五千石
若狭には佛多くて蒸鰈 森 澄雄があり、同書で以下のように記している。
(澄雄の)この一句が私を「若狭」の小浜に誘ってくれたのです。(中略)よくもこんなにすぐれた「仏たち」が、このいわば辺ぴな土地にたくさんいらっしゃるものだ、という驚きが、口をついて出たのが「若狭を出でぬ仏たち」であります。
さらに、この「早蕨や」の句に似た句がある。それは、
菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉である。並べてみよう。
早蕨や若狭を出でぬ仏たち 五千石
菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉
地名は「奈良」と「若狭」の違いはあるが、下五の「仏たち」も、表記は違うが五音はそのまま同じである。上五の「や」切れの型も似ている。
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さて掲出句である。この句も芭蕉の“匂い”を感じるのだ。
その“匂い”のひとつは、上五の「さびしさや」というストレートな感慨と切れ。
ちなみに、芭蕉には上五にこの「さびしさや」の置かれた句が幾つかある。
さびしさやすまに勝たる浜の秋 芭蕉
さびしさや華のあたりのあすならふ 〃また、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」も初案は、
さびしさや岩にしみ込蝉の声 芭蕉であったともされる。
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ふたつ目の芭蕉の“匂い”は、句の型である。構成もしくはリズムと言ってもいい。
上五を「や」で切り、中七の終りを「も」とし、下五を「○の○」のように「の」の入る名詞の体言で納める型である。芭蕉にはこの型に類似した句がある。
明けゆくや二十七夜も三日の月 芭蕉
笠寺や漏らぬ岩屋も春の雨 〃
次の句は上五が「や」切りではないが、中七に「も」を用いていて、リズムは近い。
うたがふな潮の花も浦の春 〃
今宵誰吉野の月も十六里 芭蕉
名月はふたつ過ぎても瀬田の月 〃
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さて、提出句をもう一度あげ、芭蕉の句と比べてみる。
さびしさやはりまも奥の花の月 上田五千石
さびしさやすまに勝たる浜の秋 芭蕉
明けゆくや二十七夜も三日の月 〃
今宵誰吉野の月も十六里 〃
短詩である俳句には、型の類似はもちろんあることが、私には近似しているように思える。五千石本人も気づかないところで、芭蕉に思い入れを持っていたのかもしれない。
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改めて掲出句。ひらがな表記の「はりま」は「播磨」、つまり現兵庫県のことだろう。「奥も」は播磨の奥まった場所(に居る)という意味合いだろう。旧国名が「さびしさや」の感慨を深くしている。その「さびしさ」を少し和ませる存在が「花の月」であったのではないだろうか。
さて、この句の型、リズム、もっと言えば中七の「も」――、これは少し癖になる。
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