選考会当日は仕事でして、大幅に遅れてあたふたと会場を目指しました。サトアヤ(もちろん佐藤文香)がTwitterで選考の様子を次々知らせてくれていましたので、それをずっと気にしながら。ありがとうサトアヤ、素晴らしい仕事でした。 (※Twitter #fukio )
道中、Twitterであまり僕の応募作が触れられて無い事を知っていたので、あぁ、僕、駄目かも、多分駄目かも、と真っ青な顔で心臓や胃をさすりながら、とりあえず友人の敦姉(姉より姉らしい阪西敦子)に「不気男駄目かも…」と弱気なメールを送りました。すぐにメールが返ってきて、そこには「早く現場に行きなさい」あと「あほ」とか「馬鹿」とか書いてあり、これは早く行かないとなんで行かなかったのかと、後日叱られると怯え、急いで妻A子の検索したルートで電車に乗り、Twitterを気にしながらやはり真っ青な顔で会場に向かいました。
なんとか芝不器男賞が決まる直前に会場入りができ、まづ大賞がどうにか決まり、いよいよ選者賞。あぁ、もうだめだ、胃が痛ぇと思いつつ待っていると…、選者の大石悦子先生が「…42」と、ぽろっと僕の番号を読み上げてくださりました。
トイレに行く時すれ違った上田信治さんが「麒麟さん、おめでとうございます。最後に棚からぼた餅みたいにぽろっと決まりましたね、なかなか稀なケースですよ」と状況を教えて下さいました。上田さんの説明はとてもわかりやすくて好きです。
あとは色々。
あ、磐井さんと立話しました。「いやー、今年はキテますね」とニコニコと。あといつもの感じで「受賞の言葉書かない?」と、軽やかに。
あ、きた、と思って、「書きます、書きます」というと、また磐井さんニコニコしながら「俺が獲るに決まってるだろう、みたいなのが良いですね」と、僕はそんなの書くわけないだろと思いながら、やはりここはノッて、悪い顔しながら「誰の句読んでんスカ、当たり前でしょ、みたいなのが盛り上がりますね」と答え、二人であははウフフ、タハハハぁ、と上機嫌。その楽しげな様子を妻A子が十枚ほどカメラで隠し撮りしていたのですが、なぜか全ての写真がブレていて、とても人間には見えず、妖怪二人がくねくね遊んでいるような写真ばかりでした。
えっと、俳句の事も少し書いた方が良いですかね。
年末に句集『鶉』を出したのですが、今回の応募作のほとんどが、この句集に入っています。なので僕の句集を読んだ方はすぐに応募作42番が西村麒麟だとお分かりになったと思います。芝不器男俳句新人賞に応募した時点では、句集刊行の予定はまだありませんでした。100句まとめて、なんだかムラムラっと盛り上がってきて句集に取りかかって出来たのが句集『鶉』です。なので応募作は『若鶉』と呼べなくもないです。
僕は一句なら一句、百句なら百句で面白く見えるように考えて句の並びを考えます。僕の今回の応募作の中心は、八田木枯さんとの思い出だと思っています。この四年で一番悲しかった木枯さんの死、生涯で十回もお目にかかってないけれど、それもほんとに最後の一年間。それでも大切な思い出と、なんだか僕の俳句の作り方にとても良いヒントを下さったと思っています。どの句かは明かしませんが100句中、木枯さん関係の句(褒めて頂いた句、追悼句)は30句近くありました。それは僕の大切な思い出です。
意外と義理堅いので、師は長谷川櫂一人ですが、先生と呼びたい人は何人かいます。生者にも死者にも。あ、磐井さんは裏の方の師と言えなくもないです、尊敬しております、嘘ではございません。
何もかも吸収して、より面白い俳句が作れるように成長したいです。
選者の先生方、全ての作品に目を通して下さって、本当にありがとうございました。精進します。芝不器男賞関係のボランティアの皆様、とっても楽しい会にしてくださり、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。先輩方、友達の皆様、こんな僕にいつも優しくしてくださり感謝しています。
俳句は楽しい。これさえあれば、後はどうでも良いわけでもないけれど、まぁ、なんとかなる。
長い文章になりました。磐井さん、こんな感じで良いですか?そろそろ飲みに連れて行ってください。
※下記は全て 「芝不器男俳句新人賞公式サイト」にリンクしています。
第四回選考結果
芝不器男俳句新人賞:曽根毅 (作品No.33)
同奨励賞
大石悦子奨励賞:西村麒麟 (作品No.42)
城戸朱里奨励賞:表健太郎 (作品No.36)
齋藤愼爾奨励賞:庄田宏文 (作品No.52)
対馬康子奨励賞:高坂明良 (作品No.72)
坪内稔典奨励賞:原田浩佑 (作品No.48)
同特別賞:稲田進一 (作品No.10)
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