冷麦や少しの力少し出す
掲句は、そんな作者のイメージを象徴する一句。もともと少ししか出すつもりのない力を、さらに「少し出す」のだ。どれだけ力を抜いているのだろうか。普通なら、「もっと力をだそうよ」とでも言われそうなところだが、そこは作者のキャラクターで許されてしまう。
「少し」という、サ行の多い、ちょっと空気の抜けたような音をリフレインで使い、さらに、いかにも力の出なさそうな食べ物である冷麦を配するという、心ゆくまで脱力する俳句だ。
猪を追つ払ふ棒ありにけり
棒がある、ただそれだけの句。作者には、猪を追っ払うような気概も膂力もないのだろう。へえ~、これが猪を追っ払う棒かあ、などと感心しているばかり。その脱力ぶりに感心してしまう。
冬帽や君昔から同じかほ
冬帽子を被って髪の毛を隠したら、ほら昔とおんなじ顔だ。生きてきた経歴なんてどうでもいい。若さは変わらないねえ。というような会話が聞こえてくる。
もちろん、ちょっとしんみりするような句もたくさんあるのだが、それさえ、ひょうひょうと上から眺めているような気がする。
鈴虫を上から覗く十二匹
鈴虫が十二匹いるということなのだろうが、まるで作者が十二匹の虫に覗かれているようにも思える。作者は主観と客観の間をいつも彷徨っていて、力など籠める暇がないのかもしれない。
作者の周到な脱力ぶりに、私も脱力しつつ大いに愉しませてもらった。
【筆者略歴】
- 鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。
「藍生」会員、「いつき組」組員、「俳句集団【itak】」幹事。
句集「根雪と記す」(マルコボ・コム)。
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