天為主宰の有馬朗人先生が亡くなって、無性に松山のことが懐かしくなった。眞矢ひろみがしまなみ海道99のinternational haiku conventionの国際俳句コンテストで衝撃の最優秀賞を獲得したのが1999年の松山宣言を発出した年であった。有馬先生は当時文部大臣であり科学技術庁長官でもあった。国際俳句コンテストの審査委員長であり、この会議で―俳句よりハイクへーという歴史的基調講演をおこない松山宣言の基本的方向性を示された。受賞者の眞矢ひろみが愛媛県庁職員井上さんであることは不覚にも知らなかった。そのあと眞矢ひろみと西村我尼吾は運命共同体の一員として、松山宣言の実現に向けて正岡子規国際俳句賞ほかの幾多の賞を作り、加戸守行知事の愛媛県の新政策を猛烈に推進していった。最優秀作品は次の通り。
reflected 映っている橋の明かりが
bridge lights share the calm sea クラゲと分けあう
with jellyfishes 凪いだ海面
世界各国からの多くの英語の俳句の応募の中、日本人が最優秀賞を取ったことが画期的であり、その内容も日本人にしてやっと理解できる花鳥諷詠や、伝統的な俳句の世界とは一線を画した、世界で通用する普遍性を備えた優れた短詩形文学作品であった。なんとも言えないリリシズムがただよい、まるでアメリカのある街の風景のように心に迫ってくる作品であった。
当時はライトバース全盛時で、虚子の客観写生などが王道のように語られていた時代である。その本家本元である愛媛県が、国際俳句 などという怪しげなものを掲げ、シュールリアリズム宣言以来の文学宣言を出すなどということは狂気の沙汰であると考えらていた。そのような破天荒な新政策を、愛媛県の改革を行うという観点から、加戸知事は許し、県の若手たちから形成される特定重要新政策遂行委員会に委ねたのである。それまでは愛媛県が新政策を行うことは極めてまれなことであった。眞矢ひろみはまさにその中核的メンバーであった。「箱庭の夜」に同じ青年将校であった我尼吾が「無駄なことはするな」とひろみに言ったとされているが、当時余りに多くの罵詈雑言をだれかれとなく浴びせていたので、いまならパワハラでとうに免職されているであろうが、思い出せない。ひろみはシュアでシャープなひとなのでとても無駄なことをするとは思えないからである。デビットバーレイさんを正岡子規国際俳句賞選考のための調整委員に推薦したのも眞矢ひろみであったと思う。
それからもう20年以上が立ってしまった。そのうち2008年以来、東アジアの経済統合を実現するための国際機関であるERIA(東アジアアセアン経済研究センター)を設立し、事務総長としてアセアンサミットのシェルパ機関として議長国を支え、世界で13位にランクされる国際経済政策シンクタンクに育て上げるために13年の歳月をインドネシアのジャカルタで費やしてしまった。コロナの猖獗する世界で若き日の熱い文学的記憶が呼び起こされたのは、眞矢ひろみの「箱庭の夜」を康子に知らされたからであった。この20年以上の時間の果てに眞矢ひろみの俳句はその時の姿のまま、まるで時間が止まってそのまま我尼吾の前に現れたかのような鮮烈な印象を与えた。ジャカルタでは完全に英語の生活である。www.eria.orgを見てもらえば、我尼吾の生活は推測できると思うが、眞矢ひろみの句集のチャプターがRecognition,Resolution,Pursuance,Psalmと洒落ている。こちらでは俳句を共時的に東洋哲学の立場からdeconstructionする作業に没頭し、高野山の幾多の高僧に教えをいただいた。空海の真言哲学や井筒俊彦から多くのものを学んだが、それ等の視座から箱庭の夜を眺めてみると、実に若々しい句集である。Rrecognitionとは自心の源底に俳句認識を至らせることである。Resolutionとは俳句的に即身することである。Pursuanceとは井筒の言葉を借りれば、有本質的分節をさかのぼり、自信の源底に到達した後、禅の目指すようにそのレベルでもう一度現実世界に戻ってくる無本質的分節のことである。そしてPsalmとは瑜伽の状態で存在の第一原理を感じ取ることである。つまり空海の声字実相義の世界、ちょうど私が愛媛にいたときに出版した処女句集「官僚」のあとがきに書いた世界をその時の同志である眞矢ひろみが実践してくれていたことを感じたのである。官僚は眞矢ひろみにも読んでもらったが、その時のわれわれの共有した時間が突然蘇ってきたのである。
屈折光掬えば海月かたち成す
炎天や一人ひとつの影に佇つ
読初の闇墜ちのことエヴァのこと
春曙光二度寝の夢に妣の坐す
幾千代の腐乱の裔や白牡丹
逆張りのミセスワタナベ明易し
かげろふの無方無縁の海に翔ぶ
補助線を跨ぎこれより枯野人
哲学を愛す霜夜に母の香す
大袈裟なことばかり箱庭の夜
玉虫になると退職挨拶状
灯は遠く鬼火か終の団欒か
眞矢ひろみが退職の年を迎えるとは信じられない。自分も年を取っていることを忘れていた。
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