「豈」同人・事務局長を務めていた北川美美さんが闘病の末1月14日に亡くなった。昨日、お母さんから連絡を頂いた。享年57のまだ若い死である。
入会後、北川さんに圧倒的にお世話になったのは、それまでほとんど能力もなかった私がBLOGの運営にかかわったことだ。「週刊俳句」、「豈weekly」に参加したもののお客のような存在だったが、「詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト」は殆ど北川さんの尽力である時期運営され、私も積極的にそれに参加した。ここからスピンオフして『-BLOG 俳句空間- 戦後俳句を読む』、そして現在の『-BLOG 俳句新空間-』が生まれた。だから『-BLOG 俳句新空間-』のSince 2012.12.28は北川さんの歴史でもあった。ここからさらにスピンオフした冊子『俳句新空間』では発行人を務めてもらった。既に冊子『俳句新空間』は13号を迎えている。
一方「面」の実質的な創始者であった三橋敏雄の研究を始め、特に敏雄の代表的な句集『真神』をきわめようと「ウエップ」に2015年から2019年まで21回にわたり、「三橋敏雄『真神』考」を連載した。その後も原稿に手を入れ刊行直前まで進んでいたと聞いている。「ウエップ」119号(2020年12月)の〈三橋敏雄生誕100年〉特集にも寄稿し、「カラスアパラタス―鴉を飛び交わせる装置―」を書いている。これが雑誌に掲載した文章としては最後となったと言えるであろう。
2017年にガンが発見され、慈恵医大で手術をし、ほとんど快癒したように見えた。だからその後いろいろな句会にも積極的に参加し、自動車を運転して小諸の俳句大会にまで泊りがけで参加していた。2019年11月の豈の忘年句会にも元気な姿を現した。したがってこの急な訃報を読まれて驚かれる人も多いと思う。しかし昨年の夏ごろからは体調があまりよくなくなったようである。
ネット句会への投句が、俳句作品としては絶筆であったと思う。
皐月句会(1/1~1/11投句)
鉢合わせの去年の御慶も誰も来ず
手鞠歌肉屋の娘は二九(じゅうはち)に
皐月句会(12/1~12/11投句)
北へ行く紺屋の煙低くあり
本閉ぢて眼を閉ぢてゐる安寧に
「はちあわせ」は来訪者の多かった自宅での去年の御慶と今年の入院生活の対比をしみじみとよんだものであろうし、「本閉じて」は無季であるが、病床の嘱目だと思う、寂しくはあるがどこか達観したような趣を感じた。
12月の皐月句会では、珍しく私の「冬の日を物理学者は起きて来ず」を取ってくれたが、その時の選評があるいは俳句に関する最後の文章であったかもしれない。
【選評】有馬朗人先生の追悼句と思いました。お悔やみ申し上げます。 ──北川美美
有馬氏ではなく、北川さんへのお悔やみの言葉のような気がしてならない。
最後に、12年間にわたる御交誼に感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げる。
2021年1月27日
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