以前、鑑賞した4.の句の拙文の最後に以下がある。
4.跫音や水底は鐘鳴りひびき苑子の詠む「水」はなぜか粘りを持つ。跫音は冴え、水は透明でさらさらと流れ、鐘の音は美しく澄む。だが、苑子の水底に捕まると、それらも清澄なものを湛えながら絡まっていくのである。(中略)跫音と鐘の音は、永遠に響き、そして絡まっていくのであろう。
先日も〈5.撃たれても愛のかたちに翅ひらく〉と〈30.愛重たし死して開かぬ蝶の翅〉の両句の関連性を論じたが、今回の「鐘」もまた、4.の句との繋りを予知した訳ではなかったが、自ら、予告したような文章を書いていたことに驚きながらも、納得している次第である。
掲句の「鐘の音」が、4.の句の「水底」から聴こえてくる音なのかは、書かれていないのであるが、「髪を梳く」行為は、髪を洗った後に必ずすることであり、水を裏付けている。私はまた、4.で〈躰の水底に鐘があり、水底が鳴っているのだ〉と論述したが、今回の句も自身の水底の「鐘の音」が絡んで「震ふ髪を梳く」のだとも思える。
鈴=〈34.鈴が鳴るいつも日暮れの水の中〉や、鐘のその美しい音色は、神仏との交信とも云われ、湖には寺院が沈んでいて、ときとしてその鐘の音が聞こえる、などという日本各地に残る沈鐘伝説とともに、苑子の魅かれるものであったのだろう。苑子は、民話や伝説が好きであった。
苑子の好んだ紀州には、僧の安珍に裏切られた清姫が蛇に変化(へんげ)、変成(へんじょう)し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すという、安珍清姫伝説がある。
そして、福井県敦賀の金ケ崎には元禄2年8月、ここを訪れた芭蕉の句碑がある。
月いつこ鐘は沈るうみのそこ 松尾芭蕉
『奥の細道』には記されていない句だが、宿の主から聴いた沈鐘伝説を一句にしたそうである。福井への旅を私に勧めていた苑子も訪ねた地かも知れない。また、即身仏の行者は、生きたまま木棺に入り、その中で断食をしながら鐘を鳴らしてお経を読み続けたと云われる。
「鐘の音」が、古代の神仏の遥か悠久の時より鳴り続け、女の髪に絡みついて震える。その「震ふ髪を梳く」一刻(いっとき)、巫女のごとく、鐘とともに水底に沈んでいる者達の憑代となっているかのようである。苑子は、それらの美しく荘厳な悲哀の鐘の音を確かに聴いているのである。
42 若き蛇芦叢を往き誰か泣く
蛇は古代より神の象徴である。眠らず脱皮して若返る(ように見える)、強い生命力は、生と死を超越した存在として崇められる。陸上のみならず、水の上や、さらに木の上までとどこまでも素早く移動できる事が、昔の人をして、あの世とこの世の往来さえ可能だと思わせていた。
〈あの世とこの世を往き来する女流俳人〉の異名を持つ苑子も、「花」や「桃」に次ぐほど多くの「蛇」の句を残している。後日鑑賞することになるが、『水妖詞館』にも他に2句を掲載しているし、その後の句集にもいくつかの蛇を登場させている。
草擦りの野擦りの蛇へ火を放つ 苑子『四季物語』
荒髪も蛇と長けるぬる水鏡 〃『吟遊』
今回の句は、句集に収めた「蛇」の句では最初の作品である。が、『水妖詞館』は62歳刊行であり、編年体で作成した句集ではないため、何才頃の作品かは解らないのである。しかし、『四季物語』や『吟遊』からの掲出句よりもやはり若書きの感はある。
「若き蛇」は青年であろう。「蛇」の強い生命力は性の象徴でもある。高さ2メートルにも伸びる大群落を作る「芦叢」は川辺に自生する。蛇は、川の姿に重ねられ、水神とも伝えられることから、「芦叢」は、蛇の思うがままに支配できる場所とも言えよう。生めかしい「若き蛇」が、獲物を呑み込み芦叢を往き過ぎるように、瑞々しい艶気(つやけ)を持つ青年が巷間で泣かせた「誰か」がいるという事を詠んでいるのか――。誰かの措辞は、複数とも取れる。己れの意のままに青年は世間の女達を弄ぶ。
「誰か」のひとりが苑子自身であるのかは、定かではないが、「若き蛇」の行動や「泣く」者達を客観的にとらえ、愛憎も悲哀も描かれてはなく、静かに視つめ受け流しているようにさえ思われる。
苑子に限らず、神々や生命の象徴と崇めれる「蛇」は、多くの俳人の佳句として、その姿をなお一層輝かせているのである。
吹き沈む
野分の
谷の
耳さとき蛇 高柳重信
法華寺の空とぶ蛇の眇(まなこ)かな 安井浩司
水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首 阿波野青畝
43 身を容れて夕ぐれながき合歓の歓
「合歓」は、葉が夕方閉じるが、花は夕方に開き、夜になっても咲いている。中七下五の「夕ぐれながき合歓の歓」は、夕暮れになり花が咲き始め、その時間は、花にとっても見る者にとっても楽しい時であるという解釈が成り立つ。「合歓の歓」と同字を当てた技巧も効いている。また上五「身を容れて」は、高木である合歓の木の下で花を眺めているのか、樹形が真っ直ぐではなく倒れたようであるため、身を容れる風情も面白い。
しかし、「合歓」は〈ごうかん〉という読み方もあり、歓楽をともにすることの他に、同衾するという意味もある。とすると、上五の「身を容れて」と「合歓の歓」が途端に艶を帯びた句に変貌してくるのである。
象潟や雨に西施がねぶの花 松尾芭蕉
春秋時代、呉王夫差が、その美貌に溺れて国を傾けるに至ったという美女、西施を合歓の花に譬えた『奥の細道』での有名な一句であるが、山本健吉の文章を抜粋する。
(『芭蕉・その鑑賞と批評』2006年新装版)西施が悩ましげに、半眼閉じているさまに、薄紅の合歓の花が、雨に濡れながら眠っているというのであって、その姿を雨中の象潟の象徴と見たのである。(中略)つまりその雨景そのものが、恨むがごとく、魂を悩ますがごとく、寂しさに悲しみを加えた、女性的な情緒だったのであって、それはまた、象潟に思いを寄せてははるばるやって来た、芭蕉の心の色でもあった。
芭蕉は、象潟の雨景に西施を重ねながら、恨むがごとく、寂しさを表現しているが、苑子の句は歓楽をともにする嬉しさを詠っている。そして、日常茶飯事では無いがために、(合歓(ねむ)の花を眺める時間も、合歓(ごうかん)の時間も)その喜びも一入のように思われる。逢引に似たイメージも想像される。
ネムの名は、葉の睡眠運動によって閉じることから付いたそうであるが、西施が眠っている様子や同衾をも思い起こさせる「合歓の花」は、そのほのぼのとした柔かな花の姿のように、朦げな艶があるようである。漢名を夜合樹とも言うらしい。
羅(うすもの)の中になやめりねぶの花 各務支考
44 死にそびれ絲遊はいと遊ぶかな
句集の序において高屋窓秋氏が〈通読していて心のやすまるひまもないような気がして、すこしぐらい息ぬきになる作品が含まれていてもよいではないかと〉思ったことについて、同感しつつ、全139句の三分の一近くまで書き綴ってきたのだが、掲句が、久し振りに息をつける気がするのはなぜだろうか。
苑子の句には、たびたび「死」が頻出するが、掲句もまた、上五から「死にそびれ」という尋常でない言語で始まるのだが、「死にそびれ」てもいるためか、句全体に「死」を扱った凄絶さは感じられない。「絲遊」(陽炎(かげろう))は実体のない気であり、日射しのために熱くなった光が不規則に屈折されて起こる儚い仄かなものであると、死が喩えられているからであろう。
また「絲遊はいと」の韻を踏む音感と、「絲遊は」「遊ぶかな」の視覚的な文字による言葉遊びも影響している。この句の前句〈39.身を容れて夕ぐれながき合歓の歓〉にも見られた。同じ手法で1頁に2句並べられている趣向である。
「死にそびれ」とは、死のうとしたけれども機を失ってしまったことだろうが、人は、人生のいろいろな場面で〝寝そびれた〟ように、「死にそびれ」ているのではないだろうか。
母親の胎内で父親の精子が生き残る時、羊水の中でようやく臨月を迎え、出産される時、危く交通事故に遭遇した時、自然災害にあった時、大失恋して、仕事上の大失敗をして〝もう死んでしまいたい〟と思った時、等々――。そんな時、「死にそびれ」なかった人もいるということを考えると、生あればこそ「絲遊」を感受し、その中に遊ぶ自身の姿も実感できるのである。
しかし、人の一生など、「絲遊」のように儚いものだと、苑子が、その浮遊する光の中で微笑んでいるような気もする。その微笑に私は少しだけ、息をつけるのかも知れない。
【執筆者紹介】
- 吉村毬子(よしむら・まりこ)
1962年生まれ。神奈川県出身。
1990年、中村苑子に師事。(2001年没まで)
1999年、「未定」同人
2004年、「LOTUS」創刊同人
2009年、「未定」辞退
2014年、第一句集『手毬唄』上梓
現代俳句協会会員
(発行元:文學の森)
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