99.死水や春はとほくへ水流る
前句<98.青白き麺を啜りて遠くゆく>において、明るくない雰囲気は、そのまま死後の世界を示唆するように掲句へと引き継がれる。
死に水は末期の水ともいわれ、臨終の際に死者の唇に水を含ませるという儀式の水として認識されている。釈迦が亡くなる際にも、弟子に川の水を汲んで飲みたいとたのみ、雪山に住む鬼神が鉢に浄水を酌んで捧げたという説がある。死に水も確かに流れていた水であり、その川の水は遠くへ流れる水のことである。 流れゆく先は、死後の世界へつながっていくことを示唆していると解釈できる。
なぜ「春は」なのか。確かに春は華やぎとは裏腹にどことなく悲しい季節でもある。死ぬには、春が適しているのだろうか。春と死といえば、
願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ 西行が有名である。死生観といえば、やはり春という組み合わせがわかりやすくまた読者にも浸透しているといえよう。その春に西行が花と死を結び付け、敏雄は水を結び付けた。
春は生命が息吹く時であり、水ならば流れ出す時である。それと同じくして、次の世に流れるのも命が生まれる時と同じ時なのだ。生まれたならば、かならず死ぬ。けれどもそれは流れるという仏教的な考えにより、常に、どの世も自由に行き来ができ、「流れて」ゆくのである。永遠に。そして遠くに。
※『眞神』収録の「流れる」語のある句
59.海ながれ流れて海のあめんぼう死を受け入れること、それは死後を知らない現世の人間にとって常に大きな課題であり未知の世界である。人は、人類が始まって以来、儀式、文化、そして哲学、宗教とさまざまな様式で死を受け入れようとしてきた。「流れる」という観点から考えると、敏雄の死生観とは、死は悲しいことでも恐怖なことでもなく、流転していくものだという淡々とした覚悟が伺える。 「春は」としたのは、敏雄の強い主張、確定として理解するべきだろう。
65.柩舟やゆくもかへるも流れつつ
77.産みどめの母より赤く流れ出む
92.水づたひ浮いて眞白き産み流し
96.とこしへにあたまやさしく流るる子たち
99.死水や春はとほくへ水流る
109.蝉の殻流れて山を離れゆく
『真神』が上梓された昭和49(1974)年、1970年代は、それまでタブーとされていた死の受け入れ方についての新しい概念ともいえる、終末の尊厳が叫ばれはじめた。キューブラーロスの『死ぬ瞬間』(1969年)が世界的ヒットとなったのも同じ時である。スピリチュアルという言葉が浸透しはじめたのもそのころだ。
時を経て、2011年の春まだ浅い三月、東日本大震災が起こった。多くの魂が流れていかれた。そんな予測のできない昭和40年代の作句であるが、春の水は、遠い次の世に流れていく水のことでもあるのだ。春はどことなく悲しい季節でもある。
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