※アメリカでアンナ・ジャービスという婦人が亡き母親を偲び、日曜学校で白いカーネーションを贈ることを始め、これが最初の「母の日」となった。この会合が普及し、「母の日」はアメリカの記念日として5月の第2日曜日と定められたという。日本で始まったのは戦後と言うがはっきりしない。
この季語の味噌は何故「日曜」であるか、ということ。ジャービスの母親が熱心なキリスト教徒であり、日曜学校の教師であったため、娘が母を偲ぶ会を日曜学校の後に開いたためである。これを季語として用いるなら、その本意は「日曜学校」にあると思わねばならない。まして5月はマリアの月(聖5月は聖マリアの月)でもあり、マリアの純潔を白い百合が象徴している。だから白いカーネーションこそ母の日の象徴だ。
母の日の花つけられて農婦羞づ 馬酔木年刊句集 菊池明石
母の日の花つけ(ら脱カ)るる妻を待つ 馬酔木年刊句集 河野柳泉※母の日のカーネーションは、上の由来からしても白が本来の色である。それがいつの間にか、色のついたカーネーションを生きている母に贈ることになった。
母の日の母なく小さき善をなす 石楠 27・7 井上◆子
母の日の母無き者等寮へ帰る 俳句 29・8 真那智富助※母の有無でカーネーションの色が変わる風習は残酷なところもあると我々は思うが、これこそが本来の母の日なのである。我々の日常ではそれが逆転しているから残酷に見えるのだ、奇妙なことだ。そして一度逆転すると、日本独特の常識がまとわりつき日本的、小芝居的なドラマを作るようだ。
母の日の母にして厨出でずあり 俳句研究 25・8 軽部烏頭子
母の日子を負ふ紐が乳房を十文字 風 25・8 何村馬酔木
母の日の母に買ひきし蝿たたき ホトトギス 26・10 植村抱芽
母の日の妻の昼寝や唇ゆるび 馬酔木 27・7 中村金鈴
母の日のやはり馴れたる厨下駄 曲水 28・7 渡辺晃城
母の日の母のこまかき柄を選る 青玄 28・9 桂信子
母の日やなにしても母よろこべり 青玄 28・11 富山よしお
寝息しづけき母の日の灯を消しにけり 俳句 29・8 宮村美代
母の日は家に居らむと今日出づる 馬酔木年刊句集 児玉典子
母の日の母に来し子の耳朶の垢 明日 富永寒四郎
※いかがであろう、ここにいたって母の日の母のディテール淡々とを描いている句が大半である。微妙な感情の揺れを小さな条件を描くことによって感じさせる。こうした小さな世界を描くのが俳句では得意である。その意味ではうってつけの季語が生まれたというべきであろう。
前の2つの季語(文化の日、赤い羽根共同募金)と異なり、文化の衝撃というものは余程少なく思える(実は以上述べたようにやはり大きいのだが)。誰も母を愛する句をよろこばないものはいない(と思う)からだ。5月となったら母の日の句を詠むのが無難である(母の日の句に難解も前衛もありっこないからである)。しかし、文学としてはどうでもいい句がたくさん並んでいる。
考えてみると、上にたくさん掲げた実際の母の日の句は、「母の日」が題というより、「母」が題となっていると言うべきではないか。しかも、なまじ「母の日」と言う共感を持ちやすい熟語にしてしまったために、次のような一句に永遠に及ばない状態を作ってしまったのである。
朝顔や百たび訪はば母死なむ 永田耕衣母の日を作るくらいなら母の句を作るべきではないか。そうして日本的本意を多少脱却した、――多少足掻いている、母の日の句を眺めてみよう。
母の日の母のほくろよ悪い子です 氷原帯 28・7 浜田陽子※前の2つの季語(文化の日、赤い羽根共同募金)のように発展する中で次第に詠まれていった露悪的な句というものは「母の日」では少ない。妙な倫理感が働いてしまうからである、そうした句としては上の句ぐらいが限度であろうか。
ところで、これらの話と全く関係ないが、
母の日の来ておとろへし牡丹かな 曲水 21・12 飯塚杏里
母の日は薔薇の匂ひに明けにけり 曲水 24・9 三宅一正
※どうだろう、母の日に花を配したのだが、ここにいたって「母の日」は5月の上旬という季節感を表すためだけのものになってしまっている。
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