誰しも「遠き日」を持つ。一般的な俳句でそれを詠めば、懐かしき回想や郷愁の句になることが多いが、此の句にはその種の抒情は感じない。遠き日は、辛苦の日々であったのだろうか。消したい過去の出来事なのか。身を劈くような恋であったのか。
稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ 中村汀女
いなびかりひとと逢ひしき四肢てらす 桂信子汀女の「ゆたかなる」は、秋の実りを願う明るい稲妻であり、信子の「いなびかり」は、艶やかに閃光を放つ。この二句の具象性に比較すると、苑子の句は、具体性がない。「遠き日」の説明がない為、読み手は、戸惑いつつ稲妻が走ってゆく衝撃を感受するだけである。
「稲妻が走る」というその表記に寄り、稲妻が鳴ると、遠き日へ一瞬のうちに呼び戻されるという仕掛けがある。
苑子には、曖昧に何かを匂わせる句が多いが、此の句もその一つであろう。終わってしまった出来事よりも、稲妻が鳴ると、躰が戦慄するその異様な感覚だけを書き留めておきたかっただけかも知れない。
そして、その「遠き日」の忘れ物のように、蝸牛は背に堅い殻を負い、稲妻を聞きながら静かに濡れている。
苑子は、蝸牛に自身を投影しているのではないだろうか。
8 母音漂ひ有刺線を蔓巻く唄
「母音」本来の意味よりも、末尾の「唄」に「母」の「音」が響いてくるように仕立てられている。
「母音」は漂って、「唄」は蔓を巻く。七、六、六の破調構成が、唄の余韻と有刺線の絶対的威嚇に絡まりながらも、苑子の半生では、日常に見掛けたであろう錆びた有刺線に昭和の郷愁なども窺える。
けれども、母音、即ち母の音、母の存在とは、有刺線の如きものを破ろうと葛藤するのではなく、ゆっくりと知らぬ間に蔓を巻くのである。無論、母は有刺線から逃げない。錆びきった有刺線が活き活きとした植物の蔓に巻かれて、いつしか朽ちていくこともあるかも知れない。苑子の母の時代、また、苑子自身の母という名の女の強さ確かさと、「有刺線」という語彙を選択した時代背景の女の情念が此の一句に込められているのではないか。
強い語彙を挟みながら、上下で郷愁を誘う手法は、前述の7「遠き日へ稲妻走る蝸牛」とも似ている。
「有刺線」でなければつまらない母恋句になってしまう。
尤も、苑子にとってはこれが、母恋句なのかも知れないが・・・。
9 木の国の女の部屋の霜格子
「木の国」、それは、紀伊の国の旧名。また、紀州の神降ろしの祭文から説き起こした、吉原周辺の端唄の一つでもある。
紀伊の国の女を詠んでいるとしても、近代までの繊細な日本女性の抒情を思わせる。
「サンダカン娼館」という映画がある。以前、韓国の従軍慰安婦が世間を賑わせたが、その日本人版である。それは、戦争背景があるにはあるが、戦前(大東亜戦争前)は、口減らし、そして、家族の生活の為、貧しい生まれではあるが、普通の少女が売られていった。
平塚雷鳥や市川房江らによって、婦人参政権を獲得してから、70年にも満たない。
私は、少女時代に父の実家へ行くと、食事の際は、優しい祖父の膝の上に乗れるどころか、父が末っ子だった為、末席近くの卓に母や姉妹と座っていたのが不思議でならなかった。つい、40年前の話である。
「霜格子」、それは、木の窓格子に沁みついた女達の汗や泪が霜と混じり合い、黒々と冷たく光る。雪のように白く柔らかく溶けてゆくのではない。
国から部屋、そして、窓へとズームインしていきながら、霜格子に焦点を当てた書き方は、読み手が抵抗なく自然の流れの中に、薄倖な女を想像する効果を与えている。
苑子を形作ったその時代は、7・8の句と続くように、現代とは較べようもない日本の女の在り方であり、忍耐の果ての強靭な生命力は、創造性を脈々と育成させて現代に繋げていったのだと思う。
句集『水妖詞館』には、そういった時代に生きた女を見詰めつつ、自らも垣間見て、日本女性の現代に至るまでの過渡期を過ごした精神性の詩としても貴重であると思う。
同時代を生きた女流俳人は、多々いるが、個々の女の生理感情を描いたり、嫋やかな大和撫子の抒情を書かれたりしているものも多く見受けられる。苑子は、時には自虐的に、客観的に、自己を通して日本女性を語っているのではないだろうか。
10 火の色の石あれば来て男坐す
富澤赤黄男の昭和27年刊行の句集『蛇の笛』には、「石」の句が多く掲載されているが、その一部を抜粋する。
石の上に 秋の鬼ゐて火を焚けり 富澤赤黄男
冬の石 搏てば わが掌の石も鳴る
夏ふかく むんずと坐る 石のくろさ
石磈の上に わが影 黒く生きよ
石を嚙む 氷 氷を嚙むか 石
ひきずるは 石の棺の音と知れ
苑子は、その5年後『俳句評論』を高柳重信と共に立ち上げているので、同人である赤黄男の句集は、熟読していたであろう。
「石」の句は、有名、無名、多々あるが、赤黄男の句は硬質で凄絶である。無意識のうちに赤黄男の句を踏まえているように窺えるし、憧憬をも否めない。
「火の色の石」に坐す男は、朱々と燃える石と同等な強烈な個性と肉体を兼ね備えた男、であると思い込んでいたが、どうやらそうでもないらしい。
高橋睦郎氏の見解を引く。(『鑑賞女性俳句の世界第3巻』角川学芸出版)
私たちはともすると、火は男、水は女と考えがちだが、ほんとうにそうだろうか。たとえば男を水の性と考えてみる。男が水の性ならば、女は火の性。水の性の男は火の性の女に惹かれる。惹かれるままに来て、女の上に坐る。男が女よりどっしりした存在だというのも、言い古された俗説にすぎないのではないか。女のほうが石のようにどっしりしているというべきではないか。洋の東西を問わず、伝説の中で石になるのは女だ。はんたいに男はたえずふらふら動きまわり、火の色の、つまり女という名の石があると、ふらふらと来て、その上に座る。火の石の上に座るのだから、水の男はたちまち蒸発を始め、だんだん稀薄になり、ついには消えてしまう。それが男の性で女の性だ。そういうことではなかろうか。「火の色の石」が女であるという観点は、古代より培われてきた女の性を、民話的且つ御伽噺のようなエロティシズムを含み、苑子の句に内包されるものを言い得ているようである。
いずれにしても「火の色の石」は誠に魅力的であり、それを感受し、坐す男もまた繊細で逞しい魂を持ち得ているのであろう。
苑子のもう一人の憧れの俳人、三橋鷹女の「石」の句も記しておく。(『羊歯地獄』所収)
石に花 禁猟地帯石括れ 三橋鷹女
【執筆者紹介】
- 吉村毬子(よしむら・まりこ)
1962年生まれ。神奈川県出身。
1990年、中村苑子に師事。(2001年没まで)
1999年、「未定」同人
2004年、「LOTUS」創刊同人
2009年、「未定」辞退
現代俳句協会会員
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