2013年3月15日金曜日

赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

多毛の廃兵遠くで激しくつまずく驢馬   『虚像』

当時(昭和35年)はまだ戦後の影を引きずっていて、筆者の記憶でも街のあちこちに傷病兵の姿が見られた。救世軍の社会鍋というものもよく見かけたが最近はどうしているのだろう。「多毛の廃兵」は文字通り体毛の濃い傷病兵なのだろう。社会性俳句と言ってしまえばそれまでであるが、いまでは見られなくなったこのような光景を記し留めておくだけでも俳句の意味はあるのではないかと思えてくる。

遠くで激しく驢馬がつまづく。そもそも驢馬という動物、今や少なくとも都会では全く見かけなくなった。当時は違ったろう。現に筆者は昭和30年代の大阪で育ったが「驢馬のパン屋さん」というのが実際に驢馬に曳かせてパンを売りに来ていたのを思い出す。アスファルトの舗装などまだ一部であったから石につまづくこともあろうし、市電の線路の周囲は石畳のようになっていたから蹄が引っ掛かることもあったろう。

『昭和30年代の大阪』という懐かしくも貴重な写真集がある。上に述べた記憶はこのような写真集が事実であったことを証明してくれるのである。

この俳句に関しては具体的な街の描写以上でも以下でもあるまい。特にメッセージ性や批評などは織り込まれていないようだ。兜子は嫌がるだろうが一種の「写生」であると言われても仕方があるまい。それでもこの時代の猥雑な場末の風景を詠んだ小品として筆者には愛おしく思われるのだ。

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