2025年6月13日金曜日

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり 30 中本真人句集『庭燎』(2011年8月刊、ふらんす堂)を再読する。

  『庭燎(にわび)』は、『新撰21』にご一緒させていただいた中本真人さんの第1句集。

NHKの俳句王国でもご一緒させて頂いた。

 その合同句集では、「なまはげの指の結婚指輪かな」の観察眼に瞠目したものだ。

単なる季語や風俗描写を超えている。

 季語の土俵から一歩引いて現代人の生活空間を醸し出す素敵な秀句。


顔舐めに犬寄つてくる帰省かな

 具体的な犬の舐める顔がくしゃくしゃになりながら帰省の感も溢れでる。


握られてびちびち震ふ油蝉

 油蝉を握る指先にびちびちと命の振動が伝わる。五感をフル稼働する中本真人俳句には、実感が湧く。


人を見る目だけ動ける小鹿かな

 人の一挙手一投足を見ている小鹿の目だけが、動いているという。この観察眼の秀句!


糸引いて花火揚がつてゆくところ

 花火が揚がってゆくところの糸を引いていることを丁寧に拾い上げた観察眼の秀句!


焼跡のごと曼珠沙華枯れてをる

 焼跡のような枯れた曼珠沙華の発見。優れた詩的表現でもある。


蟷螂の逃げゆく時も鎌上ぐる

 蟷螂(とうろう)が逃げる際にも鎌(かま)を上げている。


近くには手渡すごとく豆を撒く

 節分の豆まきの所作をしっかりと捉えた秀句。そこには、鬼役の豆まきが人間対人間である関係性を鮮やかに捉えている。


競泳のぶつちぎりなる拳挙げ

 あのオリンピックの名場面だろうか。「気持ちいい!俳句だ。」


吸入の間もぬいぐるみ抱きしまま

 吸入の間もぬいぐるみを抱き続ける子どもへの眼差しにも観察眼が光る。


おでん屋の流れ通しの演歌かな

 俳句日記にもなる日々の観察眼の賜物。


乾杯を待つ夏料理並びけり

 乾杯を待つのは、夏料理が並ぶ。その描写力。


松茸を山盛りにして値を書かず

 値札を書かない。やり取りから始まる。松茸(まつたけ)を山盛りにして。その日常をいったん解体するように市井

 人々の一挙手一投足を描き出す観察眼に脱帽する。


夜ごと来る狸子連れとなりにけり

 夜ごと来る狸(たぬき)の変化、子連れなっている。そこに中本真人の優しい人間味を加わる。


島に着く物資に燕舞ひにけり

 船便の物資の届くお天気までも鮮やかに燕を通して描き出す。


遠足を離れて教師煙草吸ふ

 教師の鏡は、時に子どもらの遠足の場を離れて煙草(たばこ)を吸う。そんな所作のいち教師・中本真人さんなのかもしれない。つぶさに俳句にできる力量もあっぱれ。


生徒みな上がりしプール波残る

 次第しだいに俳句鑑賞者も気付かれているもしれない。観察眼の効いた1句1句がとても尊い俳句なのだ。プールを海原のように揺らしていた。プールも生徒がみんな上がった後も。プールに海原の波が余韻のように残る。

  この1句が小説いち作品に匹敵する。


村ぐるみして隠したる小鳥網

 確かある小鳥は1羽までしか飼えず登録が必要な世の中だったろうか。村ぐるみで隠してある小鳥網。其処にある風土性を見出していく真骨頂がある。


抑へたる目に涙なし菊人形

 菊人形の所作は、動かないままなのだがそこに魂が宿るように動き出す。だが菊人形の所作である抑えた目に涙がないことで人間が感知している菊人形は、人形に戻る。そこに人間が見出す伝統でもあり芸術がある。


よく肥えし生物室の金魚かな

 このような観察眼の練磨による秀句がこつこつと量産されていけば、豊かな中本真人俳句の世界が現れる。よく肥えたユーモラスさとそこに描かれていない生物室の人間模様までも連想させる。575の短い俳句だからこそ言葉に描かれていないものまで喚起できるその観察眼の力量よ。そのことを私の初期の句集鑑賞では見いだせていなかった。優れた俳人である。


流星の力抜けつつ消えにけり

 流星の力が抜けつつ消えるという観察眼に裏打ちされた描写力。


毒茸怒鳴られながら捨てにゆく

 毒茸(どくきのこ)なんかを採取してくる奴がいるか。そんな怒号までも言葉の縁から聴こえてきそうだ。


御神楽の庭燎の太き薪かな

 御神楽(おかぐら)は、日本の神道における神事の際に神様に奉納する歌舞のこと。俳句王国で御一緒した際、にさん交わした会話の際に民俗学を研究されていることをお聴きした。庭燎(にわび)の太い薪(たきぎ)。此処に中本真人の眼差しの地平があるのかもしれない。


直箸を気にせぬ仲のおでん酒

 直箸(じかばし)は、自分の箸を使って大皿料理から直接食べ物を取ることを指す。 これは、マナー違反とされていて、衛生面でも問題がある。けれども家族や拡大解釈されていく地球家族の関係性をきちんとおでん酒の言葉の縁に喚起させる中本真人俳句の秀逸さ。


雪達磨輝きながら解けにけり

 雪達磨が光をまとい、輝きながら解けていく感動をよく描けている。感動の原点をしっかりと観察眼が捉えている。


くちびるの先まで紅し桜鯛

 桜鯛のくちびるの先まで紅い。中本真人俳句の観察眼は、大量に良質な作品を生み出す。


落蝉の事切れし眼の澄みにけり

 落蝉の生命の抜け落ちた様からも観察によって詩が誕生することを中本真人俳句は、顕著に指し示す。


踊子の見分けのつかぬ厚化粧

 中本真人さんの見分けれる女性は御一人だけということか。愛しい人よ。

 

懸賞の数にどよめく相撲かな

 相撲(すもう)のこういう風景も尊い。

選びきれない秀句の数々は、俳句の観察眼の賜物だ。


 徹底した観察眼を磨いた秀作が多く視られる。

 写生俳句による坦々と磨いた観察眼に中本真人さんの人柄と言おうかユーモアとユーモラスさが滲み出て読者をにやりと笑顔にさせる。

 『新潟医科大学の俳人教授たち』(2024年刊、新潟大学大学院現代社会文化研究科)などの俳句論文もコンスタントに発表している。

 この俳句の根幹は、このまま俳句を続けていれば、いずれ大成されること間違いなしだろう。