2025年6月13日金曜日

【新連載】新現代評論研究:各論(第6回):眞矢ひろみ、佐藤りえ、横井理恵

 ★―2橋閒石の句 5/眞矢ひろみ

 物おもう昔ありけり芋の風  「虚」昭60年

 「われ思う故に我あり」(デカルト)と「昔男ありけり」(伊勢物語)を足して二で割ったようなフレーズに始まる。ただし、パロディとするには引用部分が短く、「物おもう」「昔」「あり」という抽象度の高い語彙から連想された、単なるひとつの読みに止まる。言葉に従って、古典の多義的な「ものおもひ」の世界を想起していると捉えるのが本筋なのだろう。いずれにせよ、読み手は句の冒頭基底部(*1)の面白味を曖昧ながらも感じ取ることによって、肩の力をほぐしつつ、干渉部である「芋の風」へと読み進むことができる。面白味とはもちろん句の目指す目的地ではなく、句の意義(詩的意味)に向き合うための「踊り場」と言ってよいだろう。ここでの面白味とは、俳諧、滑稽、諧謔、ユーモア、パロディ、軽口冗談等々、可笑しみを誘発するものを漠然と指している。

 「囚われない心」「いっさいに遊ぶこと」を標とし、「それと人目にも映るなら、これこそ『あそび』の冥利」とした第五句集「荒栲」から、第六句集「卯」、第七句集「和栲」に至る約十年が、俳人閒石の最後の変革時期であり、句風は成熟の域に達する。

  行春のうしろ姿の艶なりけり 「荒栲」昭46年

  螢火の奥は乳房のひしめくや  

  七十の恋の扇面雪降れり


  若竹の時間を睡りころげたり  「卯」昭53年

  蝶になる途中九億九光年

  枯山を見るに枕を高くせり

 「荒栲」は未だ前衛俳句の影響を色濃く残すが、それまでの喩偏重の技巧は減少し、「卯」では自然態の句風が中心となって、平明単純な中に多種多様な詩情を含むようになる。しかし、先に挙げた「いっさいに遊ぶことが~人目にも映る」というレベルに達するのは「和栲」(昭58年)を待たなければならない。

 初稿『橋閒石の句1』において、「和栲」から地口風のずらしを用いた句を挙げたので、ここでは別の面白味を有する句を抽出する。

 麦秋の乳房悔いなく萎びたり     「和栲」(昭58年)

 人になる気配もみえず梅雨の猫

 仮名書に生きて美貌のかたつむり

 秋茄子に目のない男ゆめを見ず     

 ひとつ食うてすべての柿を食い終わる

 これらの句風が、一般的に言われているように、俳諧・連句の諧謔仕込みによるものかどうかは定かでない。閒石本人は「(連句)の思考様式や手法などの示唆するところが、そのまま俳句につながるというふうな短絡的な問題」ではなく(*2)、「連句の生命は、むろん付合いにある。『不即不離』とか『重くれ』『軽み』などすべては呼吸自得の体感」としている。少なくとも作句上の具体的技法の面で意識したことは無く、「囚われない心」で俳句に向き合う際に、自己の内部に沈殿している諸種のものが滲み出るという感触なのだろう。つまり、少年期から蓄積された俳諧と欧米文学の素養、産土・金沢への郷愁、前衛俳句のリテラシー、これらが綯交ぜとなって微妙なバランスを保ち、更に面白味で包み込むようにして句を形作るのである。

 句風は余裕を感じさせる穏やかなものとなり、一般読者も悠然として上質な面白味を十分感じ取ることができる。思想や哲学をバックボーンに、それを匂わせつつ多義性の中に読み手を惑わせるようなことはない。それは閒石流に言えば「灰汁」に他ならない。上記五句にも見られるように、面白味にも常に人の存在、人情の絡みがあって、単純な言葉遊びにしても、風刺であるとか高尚知的でマウントを取るような現代的色合いは無く、長屋の大家さんが与太郎を諭すような優しさ、すっとぼけた可笑しみを感じてしまう。「『あそび』の冥利」としたことは、閒石が読み手にも面白味を感じて欲しい旨の吐露であり、このような立ち位置は現代俳人には珍しい。俳諧宗匠閒石の面目躍如といったところかもしれない。

 以下、余談である。交友関係を持ち、閒石と同じく俳諧や欧米詩にも造詣の深かった永田耕衣や加藤郁乎に比べると、「和栲」以降の閒石句の特色もわかりやすい。ど真ん中へ剛速球を投げ込む耕衣や郁乎に対して、スピードは無いがゾーンぎりぎりを狙って変化球を投げ込むのが閒石である。それも大きく曲がるカーブではなく、通常ラインから微かにずらすスライダーやスプリットの感じ。絶妙のコントロールがあり、さらに老獪な投球術さえあれば、年老いて球がどんなに遅くとも大投手になれるのだ。もちらん、若い頃は剛速球を目指した時期もあった。例えば第三句集「無刻」(昭32年)、第四句集「風景」(昭38年)の頃だが、少々コントロールが捗らなかった。見る側としても、初心の頃は剛速球投手に憧れるものだが、齢を重ねるに従い、絶妙な投球術に拍手喝さいを送りたくなるのも無理からぬことだろう。


*1 「日本詩歌の伝統」川本皓嗣 岩波書店 平3年
 川本は俳句を「基底部:強力な文体特徴で読み手を引き付けながら、それだけでは全体の意義への方向づけをもたない“ひとへ”の部分」と「干渉部:基底部に働きかけて、ともどもに一句の意義を方向づけ、示唆する部分」に分割する。
*2 「現代の連句と俳句」(アンケート特集) 『俳句研究』5月号 平3年


★ー5清水径子の句 4/佐藤りえ

 霧まとひをりぬ男も泣きやすし 『鶸』

 ひきつづき句集『鶸』より。掲句の初出は「氷海」11号(昭和26年)「霧まとひをりぬ男も泣き易し」。「男」に対する容赦ない把握でありながら、男「も」、つまりは「女も」泣きやすい存在である、ということを背後に忍ばせているように思えてならない。泣いてしまいたい、それは自分だけではない。「霧」とは五里霧中の「霧」ではなかろうか、時は昭和26年、径子はこれよりさかのぼること2号前の「氷海」9号より同人として題を付した作品発表を始めている。

「鶸」には直近に「寒さくる男の声をはらいのけ」がある。いずれも「男」に対して寄らず凭れず、冷静な観察眼から敷衍的な把握がなされている。句集には採られていないが、この時期、径子は同じように冷静に、距離を置いて観察した「男」を詠んでいる。

 春の雪消えて男の肩歩く  「氷海」創刊号(昭和24年)

 秋娶る男先き行く草いきれ  〃 第2号(昭和24年)

 日蔭にて雪を握れる鈍(のろ)の男よ  〃 昭和29年4月号

 句集においてもこの後もあらわれるのは、身近な存在というよりは、手がかりの少ない、どこか「顔のない」男たちだ。

 あたたかき日の男雛憂ふるよ 「昼月」

 鳩・目白・アパートに胸うすき男  〃

 飾り雛の華やぎに、女雛は堂々たるものの、男雛は憂いを帯びている。「胸うすき男」は誤解を恐れず言えば、強いとか頼りがいのあるものではない、胸とともに幸薄い男なのではないか…。

      *

 少し脱線する。さきごろ出た高橋修宏『暗闇の眼玉』の「他者としての女」の章を読みながら、径子にとっての、この書かれた「男」とはどんな存在だろうかとふと考えた。一部孫引きになるが、少し引いてみる。


(……)鈴木の〈女〉は、自分を何ものかと関係づける媒介的存在なのではないだろうか。だから、これらの〈女〉は、単に異性や他者であるのではなく、鈴木自身の存在を未知へ開くものなのだ。〈女〉と向かい合っているとき、鈴木は自らの存在を確かめたり、自己を未知へ押し出したりできたのではないか。(坪内稔典「ことばの根拠――鈴木六林男」『俳句と片言』)

 

 おびただしき蝌蚪へ女の影落ちる  鈴木六林男

 女無き春の家なり五時を打つ

 沼暗し女にほふは不安なり

 ここで記されている〈女〉とは、作者にとって異なる〈性〉をそなえた存在である。これらの作品では、そのような異なる〈性〉を磁場として、それまで馴致され既知の存在であった〈女〉が、どこか見知らぬ他者として生々しく現前しているのではないのか。そして、この自己に決して還元しえない他者性と呼びうるものが、作者である六林男の「存在を確かめたり、自己を未知へ押し出したり」(坪内)させたのではないだろうか。

……)敗戦後の六林男において、「深夜の手」以降の〈女〉という他者をめぐる作品に表出された隔たりという感情は、そのまま敗戦後の混乱した世界に対する作者の隔絶感と重なるものであったのではないのか。(高橋修宏「他者としての女」『暗闇の眼玉』)


 径子の「男」については、坪内のいう「媒介的存在」という印象は薄い。高橋のいう「隔絶感」のほうを断然強く感じるものがある。書かれた「男」は書き手と直接の関わりのない、働きかけのない存在ばかりである。シビアな観察は「あたたかく見守る」というものでもない。

 用意が少なく印象論となってしまうが、男が「女」というとき、そこには所有格を意味するニュアンスが濃くなりがちである。ワンノブゼムではない、「女」一文字でも見えない「私の」がつきまとう。

「男」はどうか。女が「男」と書いたとき、それはかならずしも「私の男」ではないように見えるのは、筆者が男「ではない」からであろうか。

 径子の「男」は書き手にとって圧倒的な他者に見える。その他者との距離によって隔絶された自己を確かめている、ということができるのではないか。その距離、隔絶感は必ずしも「男」からのみのものではない、社会との隔たりの一端、ではないか。

 ただし、距離を感じつつも、拒絶しているわけではない。「男」の「」に距離感をはかる、共感の残滓のようなものが見える。

 坪内、高橋の文を補助線に、そんなことを考えた。


●―15中尾寿美子の句 6/横井理恵

 肉体を水洗ひして芹になる      『新座』

 第1回の中尾寿美子論で最初に取り上げた句である。前回のテーマ「肉体」では、この句を取り上げることができず、ついに戦線離脱してしまった。というのも、確かに「肉体」という語が用いられてはいるのだが、これが果たして「肉体」をテーマとした句なのかどうか考え込んでしまったからである。ここには「肉体」という語から直接想起される皮膚感覚――痛覚や官能はない。あるのは五感を超越した感覚である。「肉体」という語がありながら、むしろ、これこそが寿美子の「精神」の句なのだと言えはしないだろうか。

 これとは逆に

 浅葱の精神を水通りけり       『老虎灘』

という句は、「精神」という語を用いながら、浅葱になりきって浅葱の身体感覚を詠んでいる。寿美子の句における「肉体」や「精神」という語の解釈は、一筋縄ではいかない。

 粗玉のたましひ葱の匂ひせり     『老虎灘』

 詠われているのは、寿美子にとっての精神風土たる師・永田耕衣の「たましひ」かもしれない。この「たましひ」も、精神性の象徴でありながら、なんと「葱の匂ひ」という嗅覚によってとらえられている。寿美子の感覚は、見えないものを軽々ととらえ、嗅覚や触覚に変換する。

 初夏やたたみ目のつく素魂など    『舞童台』

 魂こそは存在の中核だから、今・ここにある自分を肯定する寿美子にとって、皮膚感覚を詠うことと魂を詠うことには何の矛盾もなかったのだろう。

 そして、最晩年にたどりついたのが冒頭の句である。

 肉体を水洗ひして芹になる      『新座』

 肉体をざぶざぶ洗って、その中核にあるものが見あらわされた瞬間―――それが、すがすがしい存在としての芹への変身だった。そんな存在のとらえ方は、寿美子の「精神」そのものだったと言えるのではないだろうか。(了)