安田中彦句集『人類』は、怒涛の俳句原石だ。
この原石は、多くの鑑賞によって磨かれる。
安田中彦俳句の俳句原石は、あまりにも沢山あるのだ。
俳人は他人の俳句原石を磨く暇ない?!
反論あるかたは、先ずはつたなくとも俳句を鑑賞してみて欲しい。
神輿みたいにみんなでわっしょいわっしょい俳句原石を鑑賞して欲しい。
「欲望の機械よ朧なる人よ」は、魅力的な俳句だ。
欲望の機械とはなにか。どんなに進化した機械でも突き詰める処は、人間がいなくてはならないのではないか。人類の心の不在を私も危惧する。
「桜貝うつろふものにかこまれて」は、魅力的な俳句だ。
世のうつろいに俳人は、桜貝の丸びてゆく美意識を見出す。桜貝に乗って安田俳句の人類を観てみよう。
「約束の夏鶯を待ちゐるか」は、魅力的な俳句だ。
何度も読み返すと味が出る安田中彦俳句の感性の虹が、弾ける。
鶯は鳴くたびにさえずりを磨いている。あなたも人生の何処かで約束の物語を紡いだか。俳句の醍醐味がある。
「鶏頭花たとへば夜の商社員」は、魅力的な俳句だ。
商社員さえ俳句の題材になる安田俳句の貪欲な俳句創造は、沢山の鑑賞者を待ちわびる。鶏頭の花は、艶めかしい。そんな夜の商社員との組み合わせにハッと顔がほてる。例えば口語俳句のそんな物語なり。
「小春日の猫のほどけてしまひけり」は、魅力的な俳句だ。
にゃにゃにゃにゃーん。
にゃにゃにゃにゃーん。
にゃにゃにゃにゃーん。
素敵な小春日の猫と心を通わせる。
「かたつむりかやうに高き志」は、魅力的な俳句だ。
俳句は独創性がないと埋没してしまう。安田俳句の魅力のひとつは、この概念からブッ飛んだ飛躍、省略、配合の斬新さにある。
「蟋蟀の眉間に山河ありにけり」は、魅力的な俳句だ。
小さな生物に悠久の美意識が余韻を響かせる。
「とかげまで都市計画の届かざる」は、魅力的な俳句だ。
現代社会を俳人たちは生きているか。現代に生きる俳人ならば、現代を詠え。
「この奥は見殺しの森滴れり」は、魅力的な俳句だ。
この省略に驚嘆してしまう。
「おそらくは仏頂面の大海鼠」は、魅力的な俳句だ。
海の顔が突起している。おそらくは仏頂面の大海鼠だ。
俳人は俳句の原石を磨いているか。
私の自戒を込めてそんな俳句鑑賞者への問いで俳人たちを挑発したい。
俳句鑑賞も創作なのだから自分の俳句が「載ってるんるん。」ばかりでは、俳句の世界は瘦せ細る。
それくらい現代俳句を詠う俳人たちの奮闘ぶりを俳人たちは、スルーしているような気がする。
現代俳句の奮闘ぶりは、現代俳句の鑑賞者をもっともっともっと急募集中なのだ。
安田中彦句集『人類』は、そんな現代俳句を詠む俳人のひとりであり、怒涛の俳句原石だ。