実はオノ・ヨーコの父・英輔は日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の三男、母・磯子は、「安田財閥の祖」安田善次郎の孫であるが、この小野一族は安田財閥の姻族として華麗な閨閥を持っていた。
その中の一人に、ヨーコの伯父である動物学者の小野俊一(動物学者、ロシア文学翻訳家として知られる)がいる。俊一は東京帝国大学動物学科に入ったのちロシアのペトログラード大学自然科学科に留学した。そこで帝政ロシア貴族の血を引くアンナ・ブブノワ(本名:アンナ・ディミトリエヴナ・ブブノワ)と出会い恋に落ち、ロシア革命の混乱の中アンナを引き連れて帰国し結婚した(後年、アンナとの間の子が死去したのちアンナとの関係はうまくゆかず協議離婚したが同居は続けていたという)。
しかしこのアンナが素晴らしかった。前述した通り、父親はロシア帝国官僚、母親は貴族出身であったが、ブブノワ3人姉妹(長姉マリヤ、次姉ワルワーラ)はみな芸術家となっていた。アンナははじめピアノを学ぶがヴァイオリンに転じ、ペテルブルク音楽院に入学し、卒業した。ペトログラードで同地の日本人留学生・小野俊一と出逢い、1918年革命下のロシアを離れ、東京に赴く。
日本に亡命したのち、アンナはヴァイオリン教師として教鞭を執り、毎日音楽コンクール審査員も務めたという(しかし終戦直前は、軽井沢に強制疎開させられ厳しい時期を余儀なくさせられた)。
戦後は武蔵野音楽大学教授に就任、桐朋学園にも務めた。特に、教師としてのアンナは早期英才教育の唱導者としても知られ、その著したヴァイオリン教本は、ヴァイオリン学習者に永く愛用されたという。
アンナは「日本人女性ヴァイオリニスト」の生みの親とも呼ばれ、戦前には諏訪根自子や巖本真理、戦後は前橋汀子や潮田益子らを育てた(吉田内閣から放送弾圧を受けた「冗談音楽」主宰で知られる三木鶏郎も弟子であったというのは面白い)。これらの音楽教育貢献により勲四等瑞宝章受章している。
晩年はソ連に戻り、音楽院にてヴァイオリン科教授に就任し、1979年5月8日、スフミにて永眠した。
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小野氏の今回の連載記事を読み、同じ小野つながり(小野裕三、オノヨーコ、小野俊一、小野アンナ)でいろいろ思い出すことがあった。拙速な記事なので、私のメモとwikipediaを組み合わせたような珍妙な文章となってしまったが、私が関心を持った理由はわかってもらえると思う。革命と恋、芸術と教育、世界的な賞賛。オノヨーコと小野アンナは同じ運命を負っているように思える。少なくとも、ヨーコとアンナは間違いなく小野家の邸宅で会い、語り合っていたはずである。その後の二人の宿命など知ることもなく。