2013年9月20日金曜日

第38 号 (2013.09.20 .) あとがき

北川美美

今号、作品コンテンツが盛りだくさんです。曾根毅さんはサイト創刊以来の三回目の新作10句!二十四節気題詠句でもいち早く24句を御寄稿いただくなど精力的な創作です。今号もどうぞご堪能ください。

ふけとしこさんの「ほたる通信Ⅱ」の作品(当サイトは増刊号)が『増殖する歳時記』の9月19日分として掲載されています。どうぞ合わせて御覧ください。

2020年のオリンピック開催地が東京に決まりました。しかし、私の知っている東京がなくなってしまうのかしらという、一抹の淋しさも。

スポーツは競技する側も観る側も参加しているという空気が感動へと繋がります。「ひとつの句」を見て読者の心の振動が起こる(起らない場合もありますが)「俳句」との共通項があるように思います。

スポーツを題材としたものとして頭に浮かぶのは、

ピストルがプールの硬き面にひびき   山口誓子
暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり   鈴木六林男
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る   能村登四郎
などの今やクラッシックともいえる秀句。上記は制作年でいうと、誓子句1938(昭和13)年、六林男句1948(昭和23)年、登四郎句1970(昭和45)年、の収録。40-80年近い歳月が経過し、作者は故人となっています。

古い鑑賞本で『現代の秀句 三谷昭』(大和書房1969年)の、「レジャー」のカテゴリーに「雪山登山」「プール」「スケート」「ラグビー」「ヨット」などがあり、収録句には山口誓子句が多数あり。6年前に刊行された『俳句鑑賞450番勝負 中村裕』(文春新書2007年)には現役俳人も含まれますが、(「芸術」のカテゴリーに<和をもって文学という座談会 筑紫磐井>など)スポーツに限ってはほぼ物故者の作ばかり。

タクルして転がり合へば雁渡る 渡邊白泉
六月の砲丸かまへ手首病みぬ   山本紫黄

最近スポーツを題材とした句を見かけない気がしますがセレクション集は年代別が多くカテゴリー別の需要がない、あるいは、カテゴリーに分けるという主題性が問われない時代なのかもしれません。

さて7年先の世の中、そして俳壇は…どのように変化しているのか。いずれにしても生き抜く英知を養いたいと思います。


筑紫磐井

○このたびの台風18号の被災者の方々にお見舞いを申し上げる。台風による被害がこれほど大きいものになることは、最近の防災技術の向上から予想していなかったのではないか。東日本大震災の時もそうであったが、災害の神は年々狡猾になってゆくような気がする。

○大被害とは比較にならないが、想定外の事故をこの夏、経験した。各地に被害をもたらした8月12日の大雨で裏庭が冠水した。物置の底のぎりぎり下まで水が溢れ、高台なのに床下浸水だと家族は大騒ぎになった。川からは遠く離れているので、北隣の土地から流れ込んだ水が溜まったらしい。ちょうど北隣は畑を宅地に造成しているのでその工事のせいかと思った。その直後造成工事は終り、塀ができあがり北隣からは水が流れこまないように手当てされた。

ところが21日に降った雨でまた冠水する、どうも原因は東隣の家の雨樋からわが家に雨水が飛び込んでくるためらしいと分かった、昨年だか屋根の工事をしていたのである。それにしても冠水が起こるほどに流れ込むのか知らんと半信半疑であった。

9月15日の台風で同じことが起こりそうなので大きなタンクを用意して雨水受けを作って準備した。降り始めた雨を眺めてみると、微量の雨水ならば隣家の樋に流れ込むのだが、一定量を超えると樋から溢れ屋根から直ちに地面に落ちる。さらに降雨が激しくなると、塀を越えて放物線を描いてわが家の庭に直接流れ込むのである。昔、東大紛争の時、安田講堂めがけて機動隊が放水した風景を思い出してしまった。今回の台風の雨量はすさまじく、隣の屋根から私の臨時設置したタンクを直撃し、1時間ほどで1メートルほどの深さになった。途中で雨に濡れながら廃水したのだが、すぐにまたいっぱいとなった。これだけの雨量が瞬時に降り込めば庭も冠水するはずである。

○今回の台風も防災担当者が油断しているとは思わないが、降雨の激しさは我々の日常の感覚の尺度を時として越えることがある。1メートルおけが1時間でいっぱいになると言うことはぞっとするものがある。2時間後には2メートルを超える。私の身長は2メートル無いから溺死している勘定である。


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