それで四十歳以下の人に応募をエンカレッジするような記事をという話が私のところにも来たのだが、再開は既に周知のことのようで、若い人に会ったときに個人的に聞いてみるとみな不器男賞に出す気満々で、手ぐすね引いて待ちかまえている雰囲気である。
この賞の特徴は、応募百句を選考委員全員が一篇残らず目を通すというところにある。いわゆる下読みがないのだ。
そして無季・自由律その他どんな作風の句であれ門前払いということがない。
さらにトップの受賞作以外に選考委員各氏の名を付した奨励賞(第三回からは西村我尼吾特別賞も)が出て、次点以下の多様な作品に対応し、光を当てられる制度設計になっている。
私が公募で最初に取った賞が第一回不器男賞の城戸朱理奨励賞だったのだが、私が拾われたのは以上の特質の賜物というべきで、それ以前もそれ以後も下読みのある俳句賞では予選を通ったことは一度もない(なぜか角川短歌賞で一度あったが)。この賞がなかったら今でも私は俳句の純粋読者でいた可能性が高いのだ(結社・師系維持を重んじる立場からその方がよかったという人もいようが)。
第三回の公募のとき、応募を考えていた中村安伸さんに「とにかく自分が出せる最高のものを出すということ以外、この賞の場合は余計なことは一切考えなくてよい」と言って激励したことがある。
五十句単位の公募賞では減点式の採点になることも少なくなく、有季定型を厳守していても、五十句の中に同じ季語、同じ発想、似た言い回しが含まれていたり、足を引っぱる不出来な句が二句も三句も含まれていると受賞はどんどん遠のいていく。
ところが不器男賞の場合は全選考委員が、多少の瑕疵など無視して、とにかく少しでも見所のある作品は絶対に見逃してはならないという使命感にも似た意気込みで公開選考に当たるのである(安伸さんはめでたく対馬康子奨励賞を受賞した)。
私は第一回の受賞後、結社には入らないまま現代俳句協会青年部の勉強会などに顔を出すようになり、第二回の不器男賞公開選考会(この回だけ松山ではなく東京で行われた)で筑紫磐井さんに初対面を果たして「豈」の招待作家欄に何度も呼んでもらってしまい、結局「豈」入会。以後何となく作品を外へ出すようになった。
念のためにいっておくと、新人賞をもらってもそれでただちに注文殺到といったことには普通はならない。私のときは直後に「俳句」から一度あって、あとは俳句界評論賞をもらって『新撰21』が出る二〇〇九年までほとんど何もなかったように思う。ただし今は当時に比べるとネット、総合誌とも新人に与えられる場は増えている。 第一回に応募した時は、私はまだネット環境もなく、作品はワープロ専用機で打ち込み、3.5インチフロッピーを封筒に入れて、それを当時下宿していた東十条の郵便局から締切間際に郵送したのだった。
若手を取り巻く環境変化も含めて今昔の感があるが、その環境変化を生みだした原動力のひとつはまぎれもなくこの芝不器男俳句新人賞なのだ。
●募集要項
http://fukiosho.org/application/application.html
特別メッセージ「芝不器男俳句新人賞は終わらない!」/西村我尼吾
【受賞者一覧】
- 第1回(2002年)芝不器男俳句新人賞 冨田拓也 2002年記録集
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