2013年9月20日金曜日

三橋敏雄『真神』を誤読する 87. 馬強き野山のむかし散る父ら / 北川美美


87.馬強き野山のむかし散る父ら

また「父」の登場であるが、相当難易度の高い句である。

「散る父ら」が当て馬にされた男たちのように読めるのだが、句をそれぞれ分解して考えてみることにする。

「馬」「強き」「野山」「むかし」「散る」「父」とそれぞれの言葉を並べてみると、詩歌に用いられがちな言葉ということに気付く。島崎藤村の『新体詩抄』にも「野山」「強き」「散る」など言葉が用いられ、歌になる要素のある言葉ばかりである。「父」が自我を告知するように読み取れるのだが、「父ら」のその複数形の中の構成はどうなっているのだろうか。

「父とその他」なのか、「父の複数形」なのか。

「われ」と「我ら」では異なるのである。

単数形なのか複数形なのか。それは、自我か国家かという問題にもみえてくる。国家の散った「むかし」を言っているのだろうか。

昭和57年2月号の『俳句研究』特集・三橋敏雄論 では、論客の騎士と思える執筆者たち(川名大、坪内稔典、澤好摩、高橋龍、夏石番矢、林桂など)が三橋敏雄句の作品性を論じている。「三橋敏雄は近代を越えたか」ということにも発展している。しかし、上掲句は誰も引用としては取り上げていないのだが、近いと思えるのは、高橋龍の「からだの海」の中の「われ」と「わが身」についての論考である。文章の一部引用させていただく。

すでに「わが身」すら「われ」とは無関係な寄宿先であることを自覚したとき、肉体は一瞬にして「われ」のさまよう流浪の地と化すであろう。漂流してやまない広漠の海と化すのである。三橋敏雄は、そう教えている。 
(中略) 
最後の「われ」の意志充足の場である身体領域においても、遂に意志の未来形である願望としてしか発現し得なくなった悲しい「われ」の、流浪し漂流して止まない「わが身」は、もはや海としか呼びようのない空々漠々の世界であり、それは内的世界ですらあり得ない空間と化してしまったものと理解する。 
<『俳句研究』昭和57年2月号特集・三橋敏雄論/高橋龍>

しかし、俳句とはそんなに難しいものなのだろうか。これがポストモダンといわれる「近代の次」といわれる時代の中に論者たちがいたことを思う。

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「むかし」「父ら」から祖先、太古の人々を想像する。「父」との距離を考える時、同時に「父」の弱さと祖先の弱さを思う。「馬」とは冒頭句に<昭和衰へ馬の音する夕かな>に登場する「馬」である。馬を「駆け抜けてゆく力のあるもの」の象徴とするならば、人間、文明というのは衰弱していく。ただそれを傍観するのみである。

もしも「強き」のそれを「俳句形式」の核となるものと想望するとすれば、「散る父ら」は、その俳句形式に向って散って行った新興俳句運動の旗手たち、西東三鬼・渡邉白泉らの師、芭蕉・鬼貫・蕪村らの先達への哀悼の句と読むこともできる。<昭和衰へ馬の音する夕かな>とともに忘却の男達への挽歌という印象もある。

郷愁を誘う言葉が使用されているが、結局は「散る」という散々なあるいは美化するよ言葉で「父ら」を葬っている。言い放つと言ってもよいのかもしれない。「父ら」は「お前ら」「君ら」の使用時と同様にいささか卑下した表現として受け取れるのである。「生殖としての男たち」という意味に戻って考えてみると、男の生理の悲しさが少し伝わってくる、彼らの残像のみが読者の中で揺いでいるのである。

いずれにしても難解な句である。


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