先ずは、「後記」より。
八歳の夏、かの戦争で父を奪われ、人は死ぬ、死は絶対であると知って以来、此の世の景の儚さを忘れることができない体質になったようだ。偶々人に生まれ多くの人に出会い、その先にある別れの怖ろしさに、一瞬の現象をも含め様々の出会いを深く意識し、別れを怖れる自分をも眺めながら生きてきたようだ。二〇〇一年に師が逝き同じ年に育ての父が、そして母、そして夫が逝った。逆縁は許さぬと夫々に申し付けてあるので、あとは自分の死だけである。
自分の死は怖くない。
帯文の俳句と言葉も。
次の世は雑木山にて芽吹きたし
少なくとも
ペンを持っているときの
私の大小の悦びや嘆きは、
此の世に在る
万物の思いの一つ
であった。(池田澄子)
私は、丁寧に生きるこの俳人を見習いたい。
だが私は、この俳人の覚悟など知るよしもなく此の世を右往左往している。
あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら
たいがいのことはひとごと秋の風
牡丹雪大人ですから黙ってます
池田澄子俳句の心の機微の共鳴句をいただきます。
料理の俳句にも丁寧に生きる所作がうかがえる。
若手俳人に影響力のある口語俳句の先駆け的な存在なので強いて俳句鑑賞をいれずに俳句そのものを味わってほしい。
松過ぎの餃子の正しい包み方
心血の注ぎ疲れや千枚漬
湯に放つ刹那春菜のうれしそう
細切りの海苔を散らせばこぼれて春
啓蟄の稲荷寿司から紅生姜
わが死後の皿に汚れてパセリなど
ごーやーちゃんぷるーときどき人が泣く
雑煮用鶏を解凍しつつ寝る
饅頭に濃き焼印の端午かな
自ずから熟れて傷んで匂って桃
遠来の洋梨嗅いで供えて撮る
一月一日喪中の瓶詰のイクラ
切山椒いろとりどりや悲喜こもごも
私も池田澄子さんのように丁寧に生きて俳句を綴りたい。
よい風や人生の次は土筆がいい
桜さくら指輪は指に飽きたでしょ
きりたんぽいのちあるものさびしがり
決心はゆらぐし柚子は黄色さすし
ねぇあなた嗚呼どうしよう桜咲く
心配に濃淡のあり夕ざくら
偲ぶひと多くて困る青葉かな
生き了るときに春ならこの口紅
池田澄子さんの俳句魂は今なお、青葉である。
食が細いと俳句は呟いてったっけ。
食べて食べて俳句をもっともっともっと創造して欲しい。
これからも池田澄子さんには、長生きしてもらって池田澄子俳句に唸らせられつつ、私は私らしく丁寧に生きる俳人の姿勢を見習いたい。
【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり21 池田澄子『池田澄子句集』
https://sengohaiku.blogspot.com/2025/01/hanameguri021.html
【読み切り】「青蛙まづは懺悔より頭垂れ」(池田澄子句集『此処』)豊里友行(2020年6月26日金曜日)
https://sengohaiku.blogspot.com/2020/06/139-003.html