風紋は沖よりのふみ夕千鳥
先ずは、帯文を記しておく。
風紋は、風によって作られる砂紋のこと。時を経ずして、風や波で消えゆくが、津波で亡くなった方も含め、冥界の懐かしい方からの便りと思うと、愛おしい。それゆえにこそ、私もまた、日常の生活のなかでの哀歓、笑いも含め、現在を生きた証を俳句で留めたいと願う。
豊里なりの俳句鑑賞も添えてみる。その砂浜を綾なす風紋の衣を纏うのは、人の記憶なのかもしれない。沖より綾なされる文として夕焼けに消え入りそうな千鳥のさえずりが2011年3月11日からずっと震災の記憶を留めている。此処では、沖よりの風紋の文は、震災で亡くなられた人たちの記憶の続きをずっと忘れないように心にとどめて生き続けている人々の心模様までも俳句からひしひしと伝わってくる。
一本の冬木を父と思ひけり
父と子と揃へて干せり祭足袋
煤逃げ同士黙礼を交わしけり
一本の冬木を父と思ってしまう。そんな心情に父への哀切な思いがあり、父を心に生かし続ける術(すべ)として冬木の一本を心の拠り所にしている。
父と子で祭りに参加する。その祭りの後を詠んだ秀句だ。父と子の祭の足袋を揃えて干す。そこには、祭りで得た充実した父子の後ろ姿が浮かんでくるように二人分の足袋が浮ぶ。
煤(すす)から逃げる同士がぶつからないように瞬間の黙礼(会釈)を交わす。
拡大解釈されていく家族模様が、その生きる風土にある。
戦争は海市の消えしあたりより
海市(かいし)の異称は、蜃気楼。
広瀬敬雄俳句では、珍しい社会性の俳句だ。現代の世界情勢を徹底的に観察の練磨がなされてきた俳人たちがこの生きる世界を俳句に詠み込むことが出来るとしたら俳句界もさらなる飛翔の展開を迎えるだろう。ここでは、手を伸ばしても遠ざかる海市を追いかけて追いかけていつの間にか消え去ったその辺りに戦争があるのかもしれない。だけれども戦争の一片にさえ巻き込まれると、その手に触れてしまえば指の肉や骨を剥いでしまうような弾丸だったり、命さえ奪い去る。そんな戦争の逃げ水の消えた辺りに戦争の存在を感知する想像力の翼があり、平和だからこそ抵抗の力となる。
丸刈りになりし少年はるいちばん
ぐいと穂を揺らして蘆を刈り倒す
睡蓮を揺らす波その返し波
崩れつつ噴水なほも突き上がり
瑠璃蜥蜴去り残響のありにけり
今伐りし年輪匂ふ雪催
菜の花をゆくずんずんと溺れさう
なまはげの零せる藁を祀りけり
運ばるる逢瀬の二体菊人形
猪肉をどすんと置いて二三言
ほどほどに嚙んで海鼠を呑み込めり
一服も蓮田の中や蓮根掘
丸刈りの少年と春一番の組み合わせの愛燦燦。
蘆を刈り倒す際にぐいっと穂を揺らしていることを感知している心の眼も。
睡蓮を揺らす波の描写力も観察眼の日々の鍛錬の賜物。
噴水の水の崩れながら上りくる様も年輪の匂いの五感のアンテナを稼働しながら菜の花畑を溺れそうになりながら突き進む実感も得ながら俳人がより良く生きる俳句の種を蒔く。
「なまはげの零せる藁」や逢瀬の「菊人形」、猪肉の置く無造作な会話、「海鼠」をほどほどに嚙んで呑み込む人それぞれの気質も煙草を燻らせて一服する蓮田の中の人々の風土性も。
それぞれの俳人の視座は、季語を育んできた俳句の伝統の賜物であり、地球俳句なるものの意義が取りざたされる今だからこそこの俳人の視座は、それぞれの人々の視座は、確かな結実を成している。
2011年3月11日からずっと震災の記憶を留めているのは、被災者ひとりひとりであると同時に共に歩もうとする様々な人々の心の中にとどめ、生かされているは、砂浜を綾なす風紋の衣を纏う地球の生きとし生きるもの全てがどこかで繋がりあって紡ぎ合って織り成され続けているようだ。合掌。
その他の共鳴句もいただきます。
星凉しアンモナイトの渦の芯
一本の杭に鳥来る冬景色
大海亀空のかなたに去りにけり
童謡は斉唱がよしチューリップ
新海苔の罐のよき音よき軽さ
忘れられて人は二度死ぬ花石榴
蛍狩昭和の闇の濃かりけり
車窓に置く蜜柑ふたつやずつと海
夕立や力士の開く小さき傘
綿虫は淋しい人に近づきぬ
湯気を噴くアイロン勤労感謝の日
顔出してバックするなり焼芋屋
涅槃図に昼月があつたかどうか
米櫃のどんとありたる昭和の日
しやかしやかと土用蜆の殻を捨つ
ゴーヤーチャンプルなるようにしかならぬ