2021年5月28日金曜日

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】16 句集 紅の挽歌について 永禮能孚

句集を頂いた。

中村猛虎句集「紅の挽歌」。

強そうなお名前。でも「挽歌」なんだ(実は、お名前の由来や、題字のわけなどについては、句集を直接頂いた保田紺屋さんからお聞きしていたが、手に取って、改めて「なるほど」と思う。

著者は、名うての阪神ファンで、数年前最愛の奥様をなくされた。まだ五四歳だった。句集の大きさは、A六判、1.5cmくらい。扱いやすいというか読みやすそうな本だ。

表紙やパラパラとめくったときのちょっと風変わりな印象から、「綱」のみなさんに紹介しておきたいと思う。

最初のページを開く。

モノローグ「長いお別れ」は死を悼む四行詩。

次ページの「始まり」に俳句が三句。

白息を見続けている告知かな

ああ、あの空気。経験あるものは即座に想い起こす。あたりが、急に、白黒写真に代わってしまうような瞬間である。

当事者は、金縛りにあったように、身動き一つできず、ただ医師の吐く白息を見続けるしかない。

次のページから、「暗転」「希望」「奇跡」と三句ずつ続く。「暗転」の一句

余命だとおととい来やがれ新走

「脊髄に転移したって?なぜ..」と独語しながら読み進む。


ほんの一時、激痛から解放される。

よくなるかも 一抹の「希望」が..。癌の激痛に翻弄されながら、本人も介護者も「奇跡」を願う。

モルヒネの注入ボタン水の秋

そして「終罵」。この項だけ九句仕立てになっている。

三句挙げておく。

葬りし人の布団を今日も敷く

鏡台にウイッグ遺る暮の秋

木枯しの底に透明な棺

立ち上がれないほど、運命に弄ばれながら、命あるものは、力を振り紋って、なお、生きてかなければならない。「再生」である。

初盆や万年筆の重くなる

ここまでで、約二十頁。ああ疲れた。

しかし、この「心地よさ」は何だろう。

人が亡くなったというのに、〈さわやかな空気〉が伝わってくるとは。


私は慌てて考え直す。

一つには、句と短文の構成によって、著者のひたむきな愛情が充分伝わってくること。今一つは、俳句という短い記述様式が悲しみや心の迷いなどもすばっと表現してしまうからではないか。

「挽歌」など、ほとんど読んだことはないのだが、病状や死の有様など、詳しく書けば良いというものでもあるまい。ご本人がいくら悲しくても、そもまま書くだけでは不十分という気がする。読者にも息継ぎの場が必要なのである。

「紅の挽歌」は、稀な成功例ではないかと思う。

それ以後は、挽歌から離れて、題字に従って、句が並んでいる。ありふれた句ではない。

紙面が尽きてしまった。思わず大きくうなずける句。笑い出してしまいそうな句、ユニークな句がたくさんある。ぜひ紹介したいが、次機を待ちたい。

中村猛虎さまありがとうございました

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