2018年6月8日金曜日

【新連載】前衛から見た子規の覚書 筑紫磐井(16)子規別伝4・明治書院・大倉書店と落合直文

 子規と何より違うのは、落合直文が国文学者であるということだ。正確に言えば、新・国文学者と言えようか。これに対し、正岡子規は新聞記者であったことだ(言っておくが二人とも歌人でも俳人でもない)。
 前回、直文の創作(短歌ではない、新体詩の)分野の活躍を述べたので、ここでは、国文学者の業績を上げることとする。

(1)読本
 直文が、総合的な国文学研究を実施できた理由には、東京大学文学部とは別の、在野的な研究体制を整えたことがある。それは、三樹一平が創業した明治書院である。落合直文と明治書院の蜜月は、私のくだくだしい説明文章よりも明治書院の現在のホームページを読むに如くはない。

http://www.meijishoin.co.jp/company/c391.html

 
創業時代
 明治29(1896)年1月1日、落合直文門下の与謝野鉄幹を編集長に迎え、一平は東京市神田区通新石町2番地に落合直文の命名になる「明治書院」の社名を掲げ、国語漢文の教科書発行を経営の柱とした。小学校が整備開校されていく中で、これからは中等教育の時代との見通しを持っていた一平は、中等学校では良い教科書が望まれるという出版人としての直感と教育者としての信念があった。この年刊行の主なものは、いずれも直文による『中等国文読本』『日本大文典』などで、創業の姿勢をよく表している。直文は30代半ば、短歌革新を唱える短歌界の一方の雄であり、国文学の泰斗として、第一高等学校・東京専門学校(早稲田)・國學院で教鞭をとりながら、国文学の革新に情熱を注ぎ、新しい口語文体の形成に腐心していた。教科書発行とともに編集長与謝野鉄幹の処女詩歌集『東西南北』を上梓し、青年層に広く迎えられた。それは『明星』創刊の礎となり、創刊時の発売を明治書院引き受ける契機になった。
 明治30(1897)年、現在地の神田錦町1丁目に社屋を新築。教科書は新たに落合直文編『中等国語読本』を刊行し、『徒然草読本』など抄本教材や古典参考書類を充実させて、国文専門の営業基礎を固めた。『明星』の与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌風に強く惹かれていた石川啄木が、書院に一時籍をおいたのもこのころであった。
 落合直文が42歳でこの世を去った後、精神的支柱になったのは森鴎外であった。当時、教科書は中学校用、女学校用、師範学校用を含めて、創立10年後の明治39年までに刊行点数は120点を数え、国漢の明治の定評を得ていた。
 鴎外は落合の『中等国語読本』の改訂編集に着手し、明治44年『修訂中等国語読本』として落合直文・森鴎外・萩野由之の三人の名前で刊行した。この教科書は改訂・校訂・新訂と改訂編集されて大正10(1921)年まで刊行された。落合がこの世を去っても、なお約20年間使われた大ベストセラーであった。」

(2)辞書
 もう一つ注目されるのは、『日本大辞典・ことばの泉』1899~9年(大倉書店)の編纂である。
 近代となっての国語辞典の編纂としては、『語彙』(木村正辞・横山由清他)[明治4~17年]が嚆矢とされ、その後、『ことばのはやし』(物集高見)[明治21年]等が編まれた。しかし何と言っても著名なのは、大槻文彦が心血を注いで作った『言海』[1889年](私費版)である。しかし、この『言海』でさえ収録語数は39000語、当時の多くの国語辞典(その他の著名な辞書の藤井『帝国大辞典』1896(三省堂)、林『日本新辞林』1897(三省堂)など)が概ねこの水準であった。これに対し、落合直文が編纂した『日本大辞典・ことばの泉』は実に130000語という規模であった。これは国語辞典というよりは、現在の岩波の広辞苑の源流に当たる百科事典型辞典と見てよいであろう。だから直文の苦労は、日清戦争後に膨大に増加した現代用語をいかに国語辞典に取り込むかにあったようである(「序文」)。その方針は直文の子息直孝が補足した70000語の増補版、後に芳賀矢一の監修・改訂により改名された『言泉』260000語として刊行され、息の長い辞書として利用されている。直文は創作活動や教育活動の間にこれを易々と作り上げていたのである。直文はこのほかに百科全書型と対照的な古語辞典『国書辞典』も編纂している。もちろん、直文は辞書の編纂をしたといっても、大槻文彦や松井簡治のような辞書学者として生涯をそれに打ち込んだわけではない。むしろ、社会全般の動きを見ながら実用性のある辞書を目指したといえよう。
 正岡子規の俳句分類を偉業とは思うのであるが、直文のこれらの業績も優りこそすれ、決して劣るものではない。
    *     *
 余談となるが、辞書は刊行後時間がたてばたつ程現代語辞典としての価値は薄れてゆく。その代わり、近代国語の変遷資料としての価値が高まるのである。
 こうした時系列で言葉をたどるためにも明治期の国語辞典は有用なのであるが、『言海』以後の明治以後の主要な辞書を挙げてみる。直文の『ことばの泉』やその改訂版は近代日本語の変遷をたどる上での重要な基準となるのである。

【明治以降主要国語辞典】
①日本辞書 言海 大槻文彦 明治22年~24年 私版本
②日本大辞書 山田美妙 明治25年~26年 日本大辞書発行所
③日本大辞林 物集高見 明治27年 宮内省
④帝国大辞典 藤井乙男・草野清民 明治29年 三省堂
⑤日本新辞林 林甕臣・棚橋一郎     明治30年 三省堂
⑥ことばの泉 落合直文 明治31~32年 大倉書店
⑦辞林 金沢庄三郎 明治40年 三省堂
⑧大増訂ことばの泉補遺 落合直文・落合直幸〔増訂〕明治41年 大倉書店
⑨大辞典 山田美妙 明治45年     ???
⑩大日本国語辞典 松井簡治 大正4年~5年 冨山房・金港堂
⑪言泉 芳賀矢一・落合直文 大正10年 大倉書店
⑫広辞林 金沢庄三郎 大正14年 三省堂
⑬小辞林 金沢庄三郎 昭和3年 三省堂
⑭大言海 大槻文彦 昭和7年~8年 冨山房
⑮辞苑 新村出 昭和10年 博文館
⑯大辞典 石川貞吉 昭和11年 平凡社

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