2014年1月17日金曜日

【小津夜景作品 No.8】 冬の朝、そのよごれた窓を(その2) 小津夜景






冬の朝、そのよごれた窓を(その2)   小津夜景

浜へ着く。太く淡い陽のひろがる海が夜の面影を鎮めている。

初景色ふれざるままの閾奇しく


鎮まらないのはたなびく気嵐(けあらし)の冷たさとさざめく潮の花の柔らかさ、その甘い臭気に誘われて朝の餌を奪いにくる鳥たちの姦しさだ。

イマジマリーライン渾沌初鴎


ときおり、啼き声と啼き声との伸びやかに絡まりあう中にその人の蠢くのがみえる。その人は日の射 さない海岸に軽トラックをとめ、小さな籠を手にぶらさげながら、ゴム製のブーツで渚のあとを辿って ゆく。

ふるものは児(やや)の初音のようなるが


私はまばたきをし、睫毛にたまる霧氷を砕き、眼の中で融けてゆく氷に視界を潤ませながら、真綿な 霧の中のまだらな陰影を受け止めている。

御慶うずまく平行世界や名無しが問う


「こっちに来て、見てごらんなさい」
私はジーンズを長靴に押し込んで、冷たい水に近づいてゆく。
「ほら」
「海胆。――これ、獲っていいんですか?」
「漁の時期に、迷子を拾う分には大丈夫」その人は真偽の確かめようのない説を唱え「あそこから外 に出て、帰れなくなったんでしょう」と、遠く離れた網場を見はるかす。

はつやまい発語のたびの迷子かな


こんな風に、私は北方の海をなんとなく学び、またそれを受け入れ、学ぶことと受け入れることの頑なな境界は徐々に曖昧にされていった。

シロカニペ待ちかねて宝船にのる


私は誘われるたびに海へ出、まばらな地元民と挨拶を交わしたあと、浜の薔薇根、岩の昆布根へ隠 した籠にカジカやアブラコをおびきよせたり、引潮の貝を拾ったり、乳色に泡立つ波のみぎわで、漂  着した海胆をはがしたりするその人を観察した。

初鼓わたつみのむねつぶすがに


その人は新しい生き物を手に入れると、首の疲れをちょっととるように周囲を見回し、日の射さない  岩のさかしまや、冷たい波の端に陣どったまま、声を出さずに口元をゆるめる。

饒舌へ乗り出しいよよ泣くほかなき


齢にふさわしい若さのないその静かな笑顔には、あらゆるものを繋ぎ止めて離さない世界の、その 豊かな輝きに対し私が常に抱いている警戒を和らげる力があって、時には何かしら問題のある子を 療育する親を思わせもした。

蓬莱にもらとりあむの舟がある


おのれの躯を硬い鉛弾にしてつぎつぎ波を切断する海鳥と、すぐさま水面の傷を癒す当の貫かれた 海とが、それぞれの強い無表情をいつまでも競いあう中、私はその声のない笑顔を見出すごとに、  自分がこの土地の風景にゆっくりと慣れてゆくのを感じ、またその人の心理を気のおもむくままに想 像する遊びさえも、いつしか海の収穫のひとつとして愉しむようになっていた。

くりかえす遁辞のごとく初夢を







【略歴】
  • 小津夜景(おづ・やけい)

     1973生れ。無所属。

0 件のコメント:

コメントを投稿