2013年12月27日金曜日

【俳句時評】 禅寺洞から遠く離れて/外山一機

 岸本マチ子が『吉岡禅寺洞の軌跡』(文学の森)を上梓した。吉岡禅寺洞と、禅寺洞の主宰した「天の川」に関わった俳人たちの仕事を検証した一書である。「天の川」は、それが新興俳句運動において果たした役割のみならず、芝不器男、杉田久女、竹下しづの女ら、九州で活動していた作家たちのプラットホームとしての役割もまた看過できるものではあるまい。後者についていえば、本書で初期の「天の川」の投句者であった「首里儀保町の士族の長男で明治十九年に生まれた末吉安恭こと麦門冬」が紹介されているように、「天の川」と九州・沖縄という場所との関わりを考えるときに篠原鳳作の仕事を想起するにとどまってしまうような想像力では、「天の川」の切り拓こうとしていた言語空間を見誤ってしまうのである。

岸本は本書序文で「新興俳句は口語俳句はどう変わってきたか、あるいは変わらなかったか、検証してみるのも二十一世紀への一つのステップかも知れない」としているが、戦後、口語俳句協会の会長を務めた禅寺洞は「口語俳句」の推進者でもあった。俳句における口語・文語使用については、個々の作家においていまだ重要な問題であり、その意味では、禅寺洞の提唱した「口語俳句」の検証もまた重要であろう。だがその一方で、禅寺洞とはほとんど関係のない場所にも口語による多くの優れた俳句を見ることができるということも無視できない。というよりも、「口語俳句」と称する禅寺洞やその後続作家の仕事を見るにつけ、「口語俳句」作家たちが奇妙な場所に自らを追い込んでいるような気がしてならないのである。

たとえば、昨年二月に『俳句界』が「口語俳句にチャレンジ!」なる特集を組んだことがあったが、口語俳句協会幹事長を務める田中陽は次のように書いていた。

今こそ口語俳句を!――編集部の与えてくれた題の「今こそ」に注目する。今、現在とはどういう時空の中の「今」なのか。 
 二〇一一年三月十一日、東北地方に大震災・津波が発生、それによって原子力発電所の爆発までが起き(中略)トラブルの完全収拾には数十年の時間を要すると分かりながら、なお原発推進を企む政治勢力も存在するという日本の現実、つまり「今」がある。
 俳句のみならず、あらゆる文学、芸術は、こういった反人間的、反社会的な行為・傾向に抗う精神の営みをいう。(「態度の問題」)

田中はまた、今年五月に第三句集『ある叙事詩』(文学の森)を上梓しているが、そのあとがきでも先の震災について触れていた。

 〈3.11以後の俳句〉を戦後俳句の延長線上にテーマ化している僕自身、(中略)このテーマは、被災句を書くとか、書かないといったこと以上に俳句革新の根源の問題を孕んでいるのです。僕は昭和一桁後期の生まれ(平成天皇と全く同じ)、いわゆる疎開学童世代に属します。敗戦と今回の「3.11」は体験を超えて"思考〟として受け止め、この"二つ〟を重大なるものとして、俳句という自己表現の底に埋めておきたいと考えています。

 いったい、田中のいう「俳句革新」なるものほど閉鎖的な言葉はあるまい。三・一一以後の俳句表現の困難を「敗戦」と接続する「思考」のよしあしはともかく、それを「俳句革新の根源の問題」とするとき、田中の「俳句革新」が決して「革新」ではなく、むしろ田中の言葉通り、「戦後俳句の延長線上」を歩き続けるのだという自らの意志をいま一度確認する行為の謂であることがうかがえる。だから、この種の「革新」はともすれば懐古趣味に陥ることさえありうる。

朝市のもの並び替えては少年寡黙 
鼠追い込み軍国少年のことば出てくる 
妻を更けさせつくつく法師聴いている 
増水の川見てきて自分までおそろし 
かなしい楽器だな 妻に吹く法螺は

 『ある叙事詩』に収録されたこうした句について栗林浩は「句集名にあるように叙事的ではあるが、時代背景を背負った、叙情句も多い。とにかく私には懐かしく、十分に愉しませていただいた」と書いているが(http://ht-kuri.at.webry.info/201306/article_2.html)、このような何気ない感想こそ、田中のいう「革新」がどれほどの射程距離をもっているのかを皮肉にも明らかにしてしまっているように思われる。いわば、田中の「口語俳句」はノスタルジーを手繰り寄せることはできるけれども、それが「今」を撃つための方法へと転じてはいかないところに限界がある。もちろん、そのこと自体は批判すべきことではないけれども、しかしながら、そうした自らのありように無自覚であることはおそろしいことだ。
実際、「みんな加害者八月の蝉がシャッと去る」「だれが死んでもおどろかない おれが死んでも」といった句によって田中はいまさら何が書けたといいたいのだろう。僕はむしろ、「みんな加害者」とか「だれが死んでも」というふうにその個々の生死のありようを汎用的なそれへとすりかえていく田中の手つきに、『震災句集』で「幾万の声なき声や雲の峰」と詠って恥じない長谷川櫂と同じ無神経さを感じる。いったい、「幾万の」「声なき声」などというものがあるのだろうか。それらはあくまでも一人一人の声であったはずなのである。その「声」のひとつひとつを聞きとれなかったというのなら、僕らはその、ついに聞きとれなかった、ということに正直でなければなるまい。田中の「口語俳句」がこの程度の認識を示すことしかできなかったというところに、「戦後俳句」、あるいはその「延長線上」を歩きつつ「口語俳句」に執着する田中がはからずも抱え込んでしまった困難が端的に現れているように思う。

逆に、同じ口語による俳句ならば、僕は御中虫の『関揺れる』(邑書林、二〇一二)こそ、三・一一以後に俳句表現はいかにすれば可能であるのかということを鋭く問うているように思われる。

揺れながら物食ひ寝ながら揺れる関 
関曰く揺れない方が変なのだ 
関揺れる揺れてない場所さがしつつ 
注意しろ関が余計に揺れだした 
三度目の揺れはおそらく関のせい 
本日はお日柄もよく関揺れる 
『関揺れる』のあとがきのなかで、御中虫は自らを被災者ではないと言い、「虫は我が身のこととして 東日本大震災を ひきうけられはしない人格の持ち主である」としたうえで、次のように述べる。

ただし関悦史さんという被災者がゐた。
関さんとはたった二度ではあるけれどもリアルにお会いして、またふだんツイッターでの彼の知性とユーモアと機転、人柄などなどにはとっても魅力を感じてゐるし、虫がつらいときにツイッターでとおくからやさしいこえをかけてくださることもしばしばあり。個人的には親しみを感じてゐるのね、先方はどうだかわかんないけどww

そんな 関さんが被災者であるということは虫にとっては大事件であり、しかもいまだに関さんのゐる地方がしばしば(けふも)揺れてゐる、ということ、関さんの「揺れた」といふわづか三文字のツイートにもこころが動揺すること、これは、紛れもない事実なのです。

云わば虫は関悦史の「揺れツイート」を通じてのみ、この震災に向き合ってゐる。それ以外は、ない。
僕には「関悦史の「揺れツイート」を通じてのみ、この震災に向き合ってゐる」と書くことのできる御中虫こそ信頼すべき書き手であると思う。むろん、このような御中虫の書きかたが田中のそれと大きく異なることは言うまでもない。おそらく御中虫に「口語俳句」は必要ないし、その意味では「吉岡禅寺洞」もまた必要ない。しかしそうであればこそ、逆に、「口語俳句」の側に与する者が成し遂げたかったはずのものを成し遂げているようにも思われるのである。たとえば「口語俳句」の先導者のひとりであった市川一男は自らの主宰する『口語俳句』の創刊にあたって「くらしのなかの/よろこびとなげきを/やさしいことばで思いをこめて!」と書いたが、この言葉をもっとも尖鋭的に実践しているのはむしろ御中虫のほうであろう。

こうした食い違いは御中虫に限ったことではない。たとえば、かつて藤田哲史は現在の若手俳人に見られる正木ゆう子との方法上の類似性について「神野紗希と越智友亮の作品に正木に似通った文体、構成、内容があらわれる」と指摘したことがあったが(「拡散してゆくわたし」『週刊俳句』二〇一〇・六・二六)、「寂しいと言い私を蔦にせよ」(神野紗希)、「冬の金魚家は安全だと思う」(越智友亮)などの句において口語が必要であったとすれば、次のような理由からであったと考える方がよほど自然であろう。

正木は「わたくし」に加え、超季的なモチーフのために、季語を運用したわけだが、ここで最も重要なのは、そこに季語を、季節感を信用しすぎていない何かが、正木にはあるということだ。季語以外の主題のために季語を運用する。その残像をあるいは、私は「俳句甲子園組」に見たのだろうか。とすれば、彼らもまた「わたくし」という主題に取り組むのは、よく納得できる。(前出「拡散してゆくわたし」)

また、彼らと同世代の書き手の口語表現を考えるうえで、現在の口語短歌の種々の実践からの影響も見逃すことはできないだろう。でも僕には、彼らがまた、口語でなければ「今」なるものを書くことができないなどと考えているとも思えない。彼らの口語表現は絶対的な方法ではなく、数多くの選択肢の一つにすぎない。だから、岸本が吉岡禅寺洞について「晩年の禅寺洞は持病の眼疾と喘息に悩まされながら、口語俳句との血みどろのたたかいを始めたのである」と書くとき、僕は禅寺洞への畏敬よりも、むしろ戸惑いの念をますます強くするのである。



2 件のコメント:

  1. 蛆ぴっぴ私の結界タフだお

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  2. 本日はお日柄もよく関揺れる(御中虫)
    vs
    脳の日はク、クズゥってか関揺らす(y4lan)

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