飯島晴子(1923〈大10〉1.9~2000〈平12〉.6.6)の自信作5句は以下通り。
寒晴やあはれ舞妓の背の高き 句集『寒晴』1990(平成2)年6月
漲りて一塵を待つ冬泉 〃
男らの汚れるまへの祭足袋 〃
初夢のなかをどんなに走つたやら 「俳句」1990(平成2)年1月号
今度こそ筒鳥を聞きとめし貌 「俳句」 〃 7月号
一句鑑賞者は、妹尾健。その一文には「この句の場合、『初夢』ということばはむしろ、初夢の中までも走っている、と解した方がおもしろいかもしれない。ひたすら走っているわが身を、どこか醒めた眼で作者がみつめている、と読みとれば、そこからさまざまなことを私らはみてとることができるはずだ。飯島晴子氏はこれまでの句業の中で意識的に口語をもちいてこられた。それは現代的な感覚をもちこんだとみられがちであるが、そんな皮相なものであるとは思えない。氏のこころみの中には、口語をもちこむことによって、さらに多様な意識の幅をもりこむことができるしくみがあるはずである。このこころみを軽く考えてはならない」とある。
その飯島晴子研究誌とでも言うべき冊子が出されている。誌名は「目入(Mail)」、発行者は竹中俊一郎。かつて晴子と同じ「鷹」に所属していたメンバーばかりだ。鳥海むねき、荻田恭三、しょうり大、武井英次こと竹中俊一郎らである。飯島晴子の作品の鑑賞のみならず、当然ながら飯島晴子の年譜や著作についての言及もある。筆者にとって、もっとも懐かしく思われるのはしょうり大で、筆を折ったとばかりおもっていたら、「目入」で復活しただけではなく、某結社に別の俳号で俳句を発表していることが分かった。「目入」は、「飯島さんのまわりにいた交流詩という性格付けの」ものらしいが、かつての「鷹」の青春時代を飯島晴子とともに生きた人たちの証言が毎回掲載されている実に貴重な冊子なのである。その「目入」に、晴子が関東の低山をよく吟行していて、とくに上野原で詠んだ句のひとつとして「男らの汚れるまへの祭足袋」が記されている。
上野原には佐々木碩夫が住んでいて、上野原作品にはたびたび佐々木碩夫が登場するらしい。句は「恋ともちがふ紅葉の岸をともにして」「蛍の夜老い放題に老いんとす」「容赦なきここにも日本武の道」とある。
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