「豈」68号「特集・ユネスコ登録戦略の最前線」でトマス・マーティン氏は「俳句の神話」として四つの点を挙げる(そのほかに2項目もあげている)。有馬氏の主張とは齟齬がある。有馬氏は言っていない、登録派の人が一方的に言っている論理等が混じっているからである。それを厳密に区分した上で吟味してみよう。
そこには初期の有馬宣言がユネスコ登録の絶対条件であるからそれとの齟齬を眺めて見よう。(私の抜粋であるから少し間違いがあるかもしれない)
【俳句の4つの神話】
➀俳句は誰でも簡単に詠める【有馬必須要件第1、第3にある項目】
➁俳句は誰でもすぐに理解できる【有馬になし】
➂俳句は自然との調和を象徴する文学である(自然と共生する文学)【有馬必須要件第2にある項目】
(→マティン氏は温暖化の阻止【有馬願望】に言及がないが、この項目と関連すると思われるのであげておいた方がいいだろう)
④俳句は平和の文学である【有馬願望】
【その他】
❶外国の俳句が認められないということ。【有馬になし】
❷なぜ俳句が単独で進むのか。【有馬になし】
❸俳句を無形文化遺産に登録しようとする動機【有馬氏はないも言っていない。これは内心の動機なので推測にしか過ぎないので最後にまとめて述べよう】
これについて、吟味してみよう。
順番として、(1)有馬氏が必須要件としてあげていないこと(➁❶❷)、(2)有馬氏の必須要件(➀➂)、そして(3)有馬氏の願望事項(④それにマーチン氏が触れていない温暖化の話を加える)、と見て行くことにしよう。
(1)俳句は誰でもすぐに理解できる【有馬になし】
マーチン氏は一例として、伝統俳人が尊重する季語は予備知識がなければ理解できないと述べている。また近代の作品についても一定の学習が必要だと述べる(これは新興俳句や人間探求派の俳句を念頭に置いているのかもしれない)。もっとものように見えるが、私は少し違和感を覚えるところがある。それは後の項目で述べることにしよう。ただ「俳句は誰でもすぐに理解できる」ものでないことだけは間違いなくマーチン氏と合意できると思う。
そして有馬氏の必須要件・願望は、どう読んでも「俳句は誰でもすぐに理解できる」という発言につながらない。有馬氏の正確な発言は「俳句の影響で、世界的に3行詩が増えていますけれども、短いが故に今まで詩を作らなかった人も含めて俳句への関心が世界中に広まっていること。その世界に共感者が増えることによってお互いにそれぞれの民族の意志を疎通し合う事、俳句によって疎通する事が出来るようになるということなどです」である。短詩型は意志疎通に向いていると言っているだけなのだ。
だから「俳句は誰でもすぐに理解できる」は有馬氏ではなく、その後の追従者が述べた発言なのであろう。こうした言説の普及したのがいつのことであるかはわからない。有馬氏が逝去した後の後任会長による「(有馬先生は)子供から100歳に至るお年寄りまで、幅広い人たちと創作及び鑑賞が共有できることを挙げられておられました」(俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会会長挨拶)といっている、「子供から100歳に至るお年寄りまで、・・・鑑賞が共有できる」の言葉あたりから「誰でもすぐに理解できる」は近そうである。このあたりから、こうした誤解を与え始める発言が始まったようである。
重ねて言うが、協議会発足に当たり行った4協会の合意の中に「俳句は誰でもすぐに理解できる」等と誰も言っていない。単純にこれは間違いだと言っておけばよいだろう。
(2)外国の俳句が認められないということ。【有馬になし】
マーチン氏は登録論者、特に協議会の文書で「外国の俳句がしばしば認められない、また受入れららないということだ」と述べる。「俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会のウェブサイト上の記載が、最近良い方向に変化したことは評価できるが、依然として「本物の俳句」や「正しい俳句」は、基本的に日本で、そして日本語でしか詠めないという考え方が感じられる。」と述べる。明言していないが、俳句は日本固有の詩であり、海外の俳句はまがいものである、という主張を批判していると思われる。
実は私が現代俳句協会に入会したのはちょうどこの時期であり、ウエブサイトの変更は現代俳句協会が働きかけて実現したものだと担当から聞いており、いいことであると考えていた。逆に言うと変更前の記事がどのようにひどいものであったかはよく分からないし、既に電子資料は消去されてしまっており確認のしようがない。我々に今できるのは、現状を踏まえてより洗練された表現に修正することを期待するぐらいであろう。よりよい修正の意見を出せばよいのではないか。
何れにしろUNESCO(国際連合教育科学文化機関)の名を冠した登録制度に国際を排除するなどナンセンス極まりない。
*
我々に確認・推測できることは、協議会発足の時に「外国の俳句を認められない、受入れららない」という考え方が存在したかどうかを知ることだ。もし存在しなかったとすれば、上の(1)と同様、つい最近の恣意的な変更であったことになる。
興味深いのは、平成29年1月26日、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会第二回発起人会で行われた記者会見だ。この場で、俳句は有季定型以外の無季・自由律が含まれることが言明されたのだが、4協会会長により様々な議論が行われた。俳句と世界の関係については異口同音に賛意を表したのだが、その中で、記者から俳句でノーベル賞が取れるのかという質問があった。
有馬氏の意見は後述するが、日本伝統俳句協会の稲畑会長は「俳句のノーベル賞受賞は難しいと思う、日本の俳句を伝えるのは問題が多く課題がある。日本語とドイツの俳句とどれくらい差があるかを痛感した。まだ時間が必要だ。ただ、海外の三行詩からノーベル賞が出るかもしれない」と述べた。ノーベル文学賞は海外の俳句が取れても日本の俳句は難しいと言っているようである。
俳人協会の鷹羽会長は、「ノーベル賞を目指すのは難しい、それは自ずからなるもので意図しない方がいい、ユネスコ登録でノーベル賞の名前が出ない方がいいと思う。世界へと世界へと俳句が進むことで日本語の乱れを心配する。俳句は美しい日本語を守る最後の砦と言われた時代があった。この立場に立って俳句も伝統を守りつつ、現代性を探るという努力したい」と述べた。稲畑会長とロジックは似ているが、俳句で最優先すべきものの心配をしている。ユネスコに参加し、ノーベル賞を目指すことが目的になることにより日本語が乱れることの方が気がかりなのである。
極めて乱暴な言い方になるが(ただ何となく一般人の意識にはそっていると思う)ノーベル文学賞受賞が一流の文学の証拠であるとすれば、国際俳句は文学であるが日本の俳句は文学ではない、文学をめざしてはいけないと言っているようにも聞こえる。
これに対して、国際俳句交流協会の有馬会長は、「海外の詩人の詩でも俳句に近い、短いものがある。自然を詠んだ詩でノーベル賞を取っている。将来俳句でノーベル賞を取る可能性はある」と述べた。こうした有馬氏の楽観的見通しは、稲畑・鷹羽氏と違った有馬氏なりの根拠があった。
*
有馬氏は、ユネスコ俳句以前に国際俳句に関する関心が深かった。師の山口青邨が海外俳句を多く詠んだこともあるが、有馬氏自身が海外俳句に熱心であったからだ。物理学者としての勤務地は、昭和34年~35年、36年、38年にアルゴンヌ研究所、41年にデイトン大学・プリンストン大学・バークレー研究所・アルゴンヌ研究所・メキシコ大学、42年にラトガス大学・プリンストン大学・ブルックヘブン研究所・ニューヨーク州立大学、44年にカナダチョークリバー研究所に在籍した。一時は米国永住の決意をしたという。だから第一句集『母国』の半ばは海外の生活の中での作品であった。
やがて50代後半から国際俳句の振興に奔走し、1989年設立した国際俳句交流協会副会長就任、1996年会長に就任(文部大臣、参議院議員就任中は辞退)、2019年亡くなるまで在任。その後1999年愛媛県で「国際俳句コンベンション」を開催し文部大臣として講演、(有馬、金子兜太、宗左近、芳賀徹らと)国際俳句に関する「松山宣言」を取りまとめる(➀国際俳句研究所の創設、➁ 国際俳句賞の創設の提言)。これを受けて2000年~2008年に正岡子規国際俳句賞(選考委員長有馬朗人)の授与を進める。国際俳句賞は、大賞(イブ・ボンヌフォア(仏)、ゲーリー・シュナイダー(米)、金子兜太(日))、俳句賞(8人)、EIJS特別賞で受賞者の大半が外国人であり、国際俳句に大きな貢献を果たした。その後最晩年には、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の設立に尽力した。
これを見てもわかるように、有馬氏の俳句活動は、海外俳句、国際俳句の振興であり、ユネスコは最晩年のごくわずかな時期の活動であった。国際俳句の理念の実現のためにユネスコを振興したのであって、国際俳句をないがしろにするようなユネスコ登録を進めることはあり得なかった。
これは個人的な感想であるが、有馬氏の真意は国際俳句研究所の創設にあったと思われる。自治体の資金問題から設立できなかったが、日本の伝統的な俳句、国際俳句とは何であったのかの究明を進めることが望まれたのだ。俳句とはこうしたものだという定義は永遠にできないと考えていたのではないか。国際俳句賞の授与にそれが表れている。大賞、俳句賞の授与は圧倒的に海外作家が多かった(日本人は金子兜太と河原枇杷男の前衛作家だけであり、伝統俳句作家は一人もいなかった)が、評論・研究を対象とするEIJS特別賞・スウェーデン賞はほとんどが日本人であった(佐藤和夫、和田茂樹、筑紫磐井、内田園生、李御寧)。日本からの俳句の詩学が期待されていたというべきだろう。
*
「外国の俳句が認められないということ。」が当初なかったことは明らかだが、問題はユネスコ登録の日々の活動の中でそうした意識が生まれては消え、生まれては消えしていることだ。俳句は日本固有の詩であり、海外の俳句はまがいものである、という主張を常に打ち破ることが大事だ。
私自身は、俳句は日本語の作り出した詩であり、国際ハイクはそれぞれ独自の言語が作り出した詩だと考える。決して一方が片方を真似したものでなく、言語原理がそもそも違うのだ。だからその向こうにはいまだ形ならざる抽象的な俳句(俳句でも国際ハイクでもないもの)が想定される。これを見出すことが俳人の使命であり、有馬氏もそれに期待していたと思う。こうしたシナリオに沿い取り敢えず日本語で作られた詩の探求を行ったのが私の『定型詩学の原理』(2000年)であり、そしてこれにEIJS特別賞が与えられた。私の目論見は間違っていなかったと思っている。一昨年国際俳句協会の大会の講演で招待され、これを踏まえて『新しい俳壇をめざして』と題して講演を行ったのがその後のささやかな私の貢献であった。この時、国際俳句協会の会員から、入会していたものの従来から俳句と国際ハイクの違いが分からなかった、と告白を受けた。我々は真摯にこれらに対する回答を用意しなければならない。
(3)なぜ俳句が単独で進むのか。【有馬になし。】
[1]なぜ俳句と短歌を切り離すのか(事実関係)。
まだ俳句を単独でユネスコ登録すると誰も決めていないし、文部科学省が登録に先立って行っている本年度の「生活文化調査研究」では、短歌、俳句、川柳、雜俳【注】を対象としているので、本当に短歌が切り離されるかどうか現在のところ誰もよく分からない。「生活文化調査研究」を踏まえて文部科学省が決定するものである。たぶんこんな状況だし、良心的な俳人が的確なパブコメを出していけばユネスコ登録はなかなか進まないに違いない。
(今後の予定では、既に決まっている書道(令和8年)の次は、神楽(令和10年)、温泉(令和12年)と続くようである。さらにその後、文部科学省の「生活文化調査研究」が既に行われているジャンルが、➀華道、➁茶道、➂煎茶道、④香道、⑤和装、⑥礼法、⑦盆栽、⑧錦鯉であり、その後⑨短歌、俳句、川柳、雜俳が入ることになる。ユネスコは2年に1回しか提案できないルールとなっているから、単純な算術計算で8ジャンル×2年=16年となり、令和30年(あと24年後)ごろ俳句・短歌などがユネスコ登録の俎上に上がることとなる可能性がある。そしてそれまでの間に何があるかーーー例えば3協会統合――全く分からないのである)。
[2]なぜ俳句はユネスコ登録に熱心なのか。(「俳句ユネスコ登録」とする理由)
前々号に述べた態度に応じて回答は違ってくる。
➀ユネスコ登録賛成論(ユネスコ登録を進めたい)
➁ユネスコ登録反対論(ユネスコ登録を進めたくない)
➂ユネスコ登録戦略論(ユネスコ登録は便法・戦略であり、無季自由律こそ大事だ)
➀➁はさらにさまざまな思惑もあり(例えば➀について言えば、現代俳句協会と俳人協会ではだいぶ違いそうに思う)、それぞれの人で考えてほしい。私は➂の態度であるからこれを回答しよう。
➂の態度はかなり単純である。俳句のユネスコの登録運動を進める限り、限りなく俳句の定義の議論が先鋭化され、有季定型・無季・自由律の境目が崩壊するからである。これこそが「ユネスコ登録戦略論」の目的だからである。
言っておけば短歌ではこうしたことはない。確かに複数の協会・クラブが短歌でもあるが、(伝統と前衛はあっても)前衛を許容しない協会はないと思うし、短歌全集から前衛歌集を除外せよという主張もない。教科書に前衛短歌を掲載させないという運動はないし、前衛短歌を「短歌に似たもの」と呼べという主張も見たことがない。短歌と俳句の政治状況は全く異なるのであった。
ちなみに[1]で述べた登録までの時間については、時間がかかればかかるほど、有季定型・無季・自由律の境目の崩壊が進むから、きわめて都合がよいのである。
【注】登録のジャンルについてマーチン氏は、「絶滅の危機に瀕しており、あまり知られていない都々逸という形式もある。」としているが、私は都々逸は既に絶滅していると考える(今様や隆達小歌と同様だ)。生きている詩歌としては、新しい作品が公募され、選評され、雑誌や句集に掲載・刊行され、古典として残って行くプロセスが必要だと思っているからである。その意味では、「琉歌」こそ漏れている最大のジャンルだと思う。8・8・8・6のこの詩型は、沖縄において現在も新聞・雑誌やテレビ・ラジオで募集され、毎月膨大な作品がつくられ発表されている。
1975年、現上皇(当時昭仁皇太子)が皇室として初めて沖縄を訪問した時に鎮魂歌として詠まれた琉歌がある。
[琉歌]
花ゆうしゃぎゅん 人ぅ知らぬたまし(8・8)
いくさねらぬ世ゆ ちむににがてぃ(8・6)
(花をささげる 誰かわからない魂
戦のない世を 心に願っている)。
おそらく皇室における沖縄への贖罪の意識もあるのだろう。琉歌にはそうしたものを受け止める歴史がある(結局、昭和天皇は戦後沖縄訪問を果たせないまま崩御した)。だから現在も生きているのだ。沖縄を犠牲にして戦後の復興を遂げた日本政府、文部科学省としては、俳句や短歌に先んじてユネスコ登録してほしいものである。ちなみに文部科学省の行っている「生活文化調査研究」に琉歌は入っていない。