2026年1月16日金曜日

【連載】現代評論研究:第21回総論・「遷子を通して戦後俳句史を読む」座談会 仲寒蟬編

(2011年12月30日)

8.病気・死と遷子について。

 筑紫は〈これこそみなさんに聞いてみたい〉と言い、遷子の死についての反応を〈①応召を受けての戦場での死の対応、②病気となって最後は死を免れないと自覚した時の死への対応〉、の2点に分けて考える。

①このような死の危険は普遍的ではないとしつつ、死に対して臆病な遷子の言動を紹介する。「馬に乗っては行軍したが、敵弾が飛来すると、馬から降りるのが実に早かった。こわいのですね。気がつくともうまっさきに降りているのですよ」(堀口星眠聞き書き)「生来臆病な私にとっては、小銃弾の音さへもあまり有難くはありませんでした」(遷子の回想)。

②〈無神論者からすれば、次の世や神の国は存在しないのだから、死はあらゆる世界の崩壊である〉から〈この崩壊寸前の世界の最後の瞬間を、たった一人孤独に耐えてどう見るか〉が遷子だけでなく我々にとっても問題と言う。その意味で〈我々は、遷子の俳句を語っているつもりで、実は自分の死に臨む姿勢を考えているのである。「微塵」が美しいかどうかではなくて、美しい言葉を吐きたいと思った遷子の心理を考えてみたい〉と述べる。


 は突然に来る戦地での死と異なり、病気の場合は一歩一歩死に近づくので〈自分だけの孤独な心の揺れがあ〉ると述べる。〈病状に一喜一憂しつつ、その折の心情に正直な句が並ぶ中での「冬麗の微塵となりて去らんとす」は、意志のかたちを取った虚無なのか、それとも静かな覚悟か、今も分か〉らないと言う。原句「何も残さず」から「微塵となりて」への推敲については〈言葉によって心身の昇華を願った結果〉かと考える。


 中西は自身の病気(生来の胃弱、戦中戦後の肋膜炎、死に到った癌)という意味でも医師として毎日病気の人を治療していたという意味でも〈遷子にとっては病気は常に身の回りにあった〉と述べる。

 だからと言って病気と死に慣れるものではないが〈自身の死期は他人には言わなくても、分かっていた〉、だからこそ「冬麗の微塵となりて去らんとす」という辞世を用意できたと言う。

 〈死によってすべてなくなるという発想は、再生も輪廻もない、無宗教のものである。死を学ぶことを医師として良かれ悪しかれ患者を通して体験的にしていた〉と述べる。


 深谷は患者の病気や死を対象とした作品は医師俳句として結実し、自身の病気については晩年の闘病俳句となった、と言う。「冬麗の微塵となりて去らんとす」については〈文字通りの絶唱であり、まさに古武士の最期を見るような感すらする。あまりにも見事な人生の幕の引き方であり、最後までその美学(生き様)を貫徹した〉と述べる。


 は『山河』の闘病俳句を読めば諦めたり強がり言ったり煩悶したり、心が揺れ動いているがこれは人間として自然で、〈冬麗の微塵の句になってやっと覚悟が定まったかに見える〉と言う。ただ遷子は揺れ動く自分を冷静に見て「写生」しており〈患者や身内の病気・死に対しても自分のそれに対しても冷徹な姿勢はぶれることがない〉という意味で〈極めて科学者的な目を持った人であった〉と述べる。

 自分を「無宗教者」と決めつけ、信仰を持たず、「死は深き睡り」に過ぎないと考えていた遷子は死後故郷の自然と一体化すると思っていたのではないかと推測する。


8のまとめ

 遷子は生涯に少なくとも2度死に直面している。

 最初は応召されて戦地へ向かった時であるがこれに触れたのは筑紫と原のみであった。これに関しては誰もが経験するものとは少し異なり、ことに現在のような平和な日本ではあまりピンとこないものであろうが忘れてはなるまい。筑紫の紹介する死に対して臆病な遷子の言動は決して誰も笑えないものである。

 一方、癌を患ってから死に至るまで遷子が思い悩み、考えたことはほぼそのまま俳句として結実しており、それこそが我々の心を打った。この死を前にした時の揺れ動く気持ちは誠に人間的で原、仲がこの正直さに注目している。また病気自体は医師遷子の周りに常にあったものだが、中西はだからこそ自身の死を覚悟で来たと述べ、仲は患者や身内の病気・死に対しても自分のそれに対しても冷徹な姿勢はぶれることがなかったと強調する。

 死に対して無宗教者、無神論者であった遷子の虚無的な死生観についてはほぼ全員が触れている。筑紫はそこから我々のうちやはり無神論者である者が学ぶものが多くあると考える。

 また辞世と言われる「冬麗の微塵となりて去らんとす」を全員が挙げており、筑紫は美しい言葉を吐きたいと思った遷子の心理に注目、原は推敲の過程から言葉によって心身の昇華を願った思いを忖度、中西は患者から死のあり方を学んだ末の覚悟と言い、深谷は文字通りの絶唱で古武士の最期を見る感があると述べ、仲は故郷の自然と一体化する思想を読み取っている。