目と耳を置いて消えたる雪うさぎ
この場合の「雪うさぎ」は、雪を兎(うさぎ)の形にして固めた雪像のこと。雪を溶かしてしまう太陽の陽射しだろうか。雪の兎像は、目と耳の他は、消えてしまう。それは、観察眼と雪解けの移ろいをしっかりと眼差していなければ、このような言葉の発見は、できただろうか。この雪うさぎは、地球の自転の何処かで子らの賑わいと一緒に佇んでいるのだろう。
くしやくしやと蝶一斉に羽化したる
蛹より蝶の羽化し始める。くしゃくしゃの蝶の羽が一斉に羽化する様は、まるで芸術の絵画を見ているようだ。その時を言葉にとどめることで俳句という詩もまた芸術を喚起する。
鯨啼く夜間飛行の瞬きに
一枚の絵画を読み解くように咀嚼してみる。気球のような夜間飛行の鯨が啼く。それは、眠りの瞬きの一瞬の物語。この一句に小説や絵画のひとつの物語が凝縮されているようだ。
すかすかな原爆ドーム秋の風
原爆ドームの剥き出しの骨組みや構造物をすかすかと感受させる秋の風。
だが原発を売り歩いて来た我が国の快適便利な核の世の責務は、すかすかな原爆ドームと感じさせるほど空虚さを私たちにも感じさせてしまう。
鰭酒や栃木の雨の話など
鰭(ひれ)酒は、日本酒の飲み方のひとつ。河豚(ふぐ)や鯛(たい)など食用魚をあぶり焼いて、燗酒に入れたもの。最初に切り落とした鰭を干して強火であぶり、コップなどに入れ、これに熱燗(あつかん)の酒を注ぐ。栃木の雨の話題が風土性を増す。俳人の座で多方面に活躍する俳句評論家との話は尽きないことだろう。
追い越せぬものに逃水わが言語
追いかけても逃水は、追い越せない。
作者は、ずっと自身の我が言語を追い越せない黄昏に佇んでいるのだろうか。
フラミンゴの檻の中まで雪が降る
冷気立ちずらり尾鰭のなき鮪
おほかたの土偶はをんな蕎麦の花
プール出るときの地球の重さかな
くちびるといふ春愁の出口かな
脱ぎ捨てて脱藩のごと蛇の衣
フラミンゴのいる檻にもまた天より雪は降り注ぐ。これら栗林浩俳句の中にそこはかとない感情が、まるで試験管の中で化学反応するように生じる。
冷気が立ちずらりと尾鰭のない鮪が、市場の競りに並ぶ。その市場の活気をも喚起している。
大方の土偶を女と言いきることと蕎麦の花の逞しく可憐さに思いは託されている。
プールの水中では感じなかった地球の重力を切り取った絶妙さ。
唇を春愁の出口でもあると感じとる趣きが堪らない。
蛇の衣を脱藩のように抜き捨てる覚悟まで感じ取れて脱帽。
これらモノの本質を掴み取った俳句が、栗林浩俳句の俳句の面白み。その感じ方に豊かな趣きがある。
共鳴句もいただきます。
白靴のジゼルとなりて跳んでこよ
星みがく係がいいと卒園す
船虫の楚歌に奔れる兵のごと
犬ふぐりここもローマに続くのか
銅鏡はいつも裏みせ鳥曇
砂時計反へし夜長のダージリン
十能の熾火の匂ひ雪くるか