2025年5月23日金曜日

新現代評論研究:『天狼』つれづれ 第2回:『天狼』創刊号の「こほろぎ」/米田恵子

 『天狼』は養徳社から昭和23年1月に出版された。「出発の言葉」にある「根源」が問題になり、同人たちが各々の見解を展開していく。結局、誓子自身は人それぞれに根源があるというようなことを言って、主宰として自分の「根源俳句」については明らかにしなかったように思われる。「思われる」としたのは、正直に言うと、私自身まだよくわかっていないためであり、いつかは自分なりの考えを持つことが出来たらと思う。

 今回は、『天狼』に掲載している「実作者の言葉」について述べてみたい。これは、毎号の『天狼』に載る誓子自身の言葉であり、昭和42年11月号まで続く。そこには、誓子の現時点での関心事や調べたことの詳細が載る。では、創刊号の「実作者の言葉」には、いったいどんなことを話題にしているのか、どんな俳句が紹介されているのかは、興味を持つところだと思う。

 誓子が一番初めに挙げたのは「こほろぎの無明に海のいなびかり」という句であった。

 誓子はいきなり「この句から私の衰退がはじまつたと云ふひとがある」から始める。概して、「実作者の言葉」には自分が書いた俳句や随筆の記述に対しての言い訳が多いように思うのは私だけではないだろう。まず、誓子は次のように自解する。

 暗夜で、庭にこほろぎが鳴いてゐた。ときどき、海にいなびかりが閃いて、海を照らし、庭を照らしした。そのひかりは一瞬、こほろぎを照らしたであろう。しかし、もとより眼の見えぬこほろぎの感知する筈もない。

 陸の空ならで、海の空に閃くいなびかりを、あはれと私は見たが、それにも増して、身をいなびかりに照らされつつ、それを感知せぬこほろぎを一層あはれと思はずにはゐられなかつた。こほろぎの、黒一色の世界にかかはりなく、いなびかりは又しても海のおもてをひらめかす。

 私はこれを句にしたのだが、わからない人も多い。

 最後に、「わからない人も多い」と誓子は歎く。この「わからない」理由の一つを誓子は「蟋蟀は眼が見えない」ということを人は知らないということに求めた。私ももちろん蟋蟀は眼が見えないということは知らなかった。誓子は、吉植庄亮の短歌「白露の光のなかの蟋蟀は眼に見ゆる何ものもなし」を引いて、蟋蟀の「眼が見えない」をすでに短歌にしている人がいる。吉植の短歌の前には斎藤茂吉の「ふりそそぐあまつひかりに眼の見えぬ黒き蛼(いとど)追いつめにけり」「畑ゆけばしんしんと光降りしきり黒き蟋蟀の目の見えぬところ」の句があり、蟋蟀は眼が見ないことは既に先人も詠っていることにより証明する。

 次に、掲句をさらにわかりにくくしているのは、「無明」という言葉ではないかと行きつく。誓子は蟋蟀の眼が見えないことを「明無し」と「無明」という仏語(仏教用語)で表したのである。「無明」を「仏語」ではなく「詩語」として使ったのだが、それがかえって読む人に誤解を与えたのではないかと考え、本来の「無明」の意味を調べ始める。誓子は『大蔵法数』『仏教字典』『宗鏡録』『大法炬経』『仏説決定義経』という辞典類をひもとき、漢文を1つ1つ載せているのである。いちいち調べるその執念に驚かされるが、この執念(言葉は悪いが「ひつこさ」)は後々の「実作者の言葉」にも見られる。

 こうして、「無明」の意味は、「明了スル所無シ」つまり「無知(知らないこと)」が元の意味であるため、わかりにくくしていることを悟る。ただ、誓子の弁明として、「眼が見えないこと」を仏語の「無明」を詩語として使ってもいいではないかということと、蟋蟀は眼が見えないというのは斎藤茂吉も詠っているのだという2つの弁解を述べて終わる。

  こほろぎの無明に海のいなびかり

 私は、この句から誓子の「衰退がはじまつた」とはけっして思わない。病を得て、療養のため四日市という海と山に恵まれた新しい環境で、新境地を開いたと言ってもいいのではないかと考える。

 最近この句の軸をネットオークションで手に入れ、今年(2025年)の秋の山口誓子特別展に展示する予定である。「誓子と戦争」というテーマであるが、転地療養に来ていた四日市の海辺の家で、しかも昭和17年、ちょうど太平洋戦争が始まり日本が泥沼にはまり込んでいくときに詠んだ句として紹介するつもりである。展示のためのキャプションには上記に書いたようなことまでは書けないので、書く機会を得て幸いである。