2024年11月15日金曜日

澤田和弥句文集特集(2-4) 第2編美酒讃歌  ④熱燗讃歌

④熱燗讃歌           澤田和弥 


 コートの襟を立て、縄暖簾をくぐる。「いらっしゃい」。大将の低い声。先に来ている常連らしき男がこちらを一瞥して、すぐに自分の世界に戻った。カウンターの一番奥が彼の定席なのだろう。一番奥と言っても五、六人並べばいっぱいという長さだが。一番入口に近い席に座る。戸の間から隙間風。無言で供されるおしぼり。あたたかい。「何にしやしょう」。さて、あなたならばここで何を注文するだろうか。とりあえずビール?それとも寒いから焼酎のお湯割り?いやいや。この状況では間違いなく、熱燗が正解である。ぐい呑みから湯気。それを無言で一口。口中、喉、食道、胃へとぬくもりが走る。お通しはちょっとした煮物だと嬉しい。

 熱燗は店で呑むものという先入観が私にはある。しかし俳句を見ているとアットホーム派がかなり多い。家庭のぬくもりというやつだろうか。「店にだってぬくもりがあるもん!」と独身の、それも彼女候補すらいない私としては声を大にして訴えたい。


  熱燗や雨ぬれ傘を脇に置き  村山古郷


 居酒屋、もしくは立ち飲み屋か。外は冬の雨。コートも脱がずにまず熱燗を。傘立てが見当たらないので、濡れた傘は脇に。何度ももたれかかってきてコートをさらに濡らす。もういいや。傘にもたれかかられながら、お猪口に酒を酌み、一息にグイ。ほっと一息。飲みはじめの様子が最小限の場面設定で描かれている。傘は面倒くさいが、冬の雨に芯から冷えた体には熱燗がなんとも嬉しい。


  熱燗や炉辺の岩魚も焼加減  樋笠文


 炉端焼の店である。もしくは囲炉裏のあるような田舎の旧家か。熱燗が喉にしみいる。岩魚もちょうどよい焼加減。熱燗のおかわりを。一合、いや二合で。この岩魚に一合では足りない。ジュクジュクプシュと岩魚の脂の弾ける音。悪いことは言わない。きみたちも熱燗を飲みなさい。

 「ひとり酒で熱燗を二合頼むとは不粋な。冷めてしまうではないか」という方もおられよう。しかし長年居酒屋でバイトをしていた私としてはいちいち一合ずつ注文するのは気が引けてしまう。或る著名な学者さんが五人連れで来店したときのこと。注文は「熱燗一合」。はい。他の方は。あっ。五人で一合なんですね。承知しました。熱燗を供する。数秒後、「熱燗一合」。そりゃそうだ。五人に注げば、すぐなくなる。結局一升五合。私は十五回、一合徳利一本を運ぶことになった。それが仕事、と言われれば、そのとおりなのだが。そのことが頭に引っかかって、一合以上飲むだろうなというときは二合徳利を注文するようにしている。少しぐらい冷めたって。冷めるのが嫌ならば、冷めないうちに二合飲めばいいだけの話である。その結果、酔い崩れる。なんというか、ごめんなさい、って感じだ。


  熱燗や食ひちぎりたる章魚の足  鈴木真砂女


 こちらの肴はタコ。タコの足の干物と考えたい。「食ひちぎり」なので。生ダコや茹ダコの足というのも旨いのだが、食いちぎるという動作は干物にこそ似つかわしい。ガブ、ぬぃぃぃぃ。プチ。むしゃむしゃ。そこへ熱燗をグイと。最高である。間違いなく至福の旨さだ。嗚呼、今すぐ飲みたい、食いたい。でもまだ行けない。これは嫌がらせかと、この句を前にもんぞりうっている。


  熱燗や街ぐんぐんと暮れてゐし  高田風人子


 熱燗は冬の季語。冬の日暮れは言うまでもなく、早い。街の居酒屋から外を眺めていると、いつの間にか夜。ただしずっと眺めつづけていたのではない。岩魚や章魚の足などの肴に舌鼓を打ちながら、熱燗をちびちびとやりつつ。気がついたら、外はすでに暗い。「あれ?いつの間に」。その様子が「ぐんぐん」に表されている。楽しい時間はぐんぐん過ぎる。つらい時間は全く過ぎない。居酒屋の時計と会社の時計が全く同じスピードで動いているとはどうしても思えない。時は平等か。そんな難しいことは置いておいて。さあ、熱燗を。


  熱燗に提灯もゆれ人もゆれ  和泉鳥子


 「あっ。もうこんな時間だ!帰らないと」。熱燗を酌み交わすことは楽しいが、門限を忘れずに。戸を開ければ冬の風。赤提灯が揺れている。「おっ、じゃあな」。あれあれ千鳥足。大丈夫かなあ。句全体を包み込む熱燗のぬくもりが心にやさしい。


  熱燗のほとぼり握手いくたびも  川島典虎


 こちらも帰り際の一コマ。おじさんは酔うと何故あんなに握手をしたがるのだろう。それは楽しい時間を共有できた喜びと感謝の気持ち。おじさんはやさしい。そして少々不器用である。何度も握手しても嫌がらないで。セクハラだなんて言わないで。そんなやましい気持ちはこれっぽっちもない、はずだ。この景も「熱燗」だからこそ、詩情とユーモアを生み出しているだろう。


  熱燗や捨てるに惜しき蟹の甲  龍岡晋


 おっ。甲羅酒ですな。これが本当に旨いんだ。


  鼻焦がす炉の火にかけて甲羅酒  河東碧梧桐


 囲炉裏のあたたかさ。そして甲羅酒。少し蟹味噌をとかして、クイと。旨い。そして箸を手に蟹味噌を一つまみ。旨い。まだ味噌が残っている。もう一度、熱燗を注ぐ。クイと。嗚呼、やはり旨い。味噌を少しばかり。まさに悦楽。さてそろそろ味噌もないし。いや、もう一度。では。いや。意地汚いと思われるか。いや。でも。どうせ捨てちゃうんでしょ。だったら……。酒飲みの業とは誠に深いものである。


  熱燗やいつも無口の一人客  鈴木真砂女


 不思議な常連さんはどこのお店にもいるだろう。いつも一人。挨拶代わりに少し頭を下げるだけで、あとは無言。「話しかけないでくれ」というオーラを感じる。今日のおすすめではなく、いつも同じ肴。そして熱燗。同じ時間に現れ、同じ時間に帰る。月光仮面か。何をしているのか、どんな人かもわからない。ただ今日も、同じ時間に現れて、同じ時間に帰るのは確かな気がする。ビール、焼酎、冷酒、ウイスキー、いろいろな酒があるが、この句は「熱燗」以外に考えられない。少しくたびれたことを着た五十歳代の男性というイメージ。少しコロンボに似ている。私の妄想だが。


  熱燗を二十分間つきあふと  京極杞陽


 なんだ。二十分間付き合うと何なんだ。どうなるんだ。誰とだ。さっぱりわからない。問題だけで答えがない。いろいろと考えてみる。読み手ごとにさまざまな回答がある。きっとそれでいいのだろう。答えは無数にある。ただし質問は一つだけ。それもまた俳句というもの。熱燗をちびちびやりながら、お好きなように想像することもまた一興。

 さて、酒も肴も旨かったし、二十分間はとっくに過ぎたし。でも、もう一本飲みたいな。


  熱燗の閉店ちかき置かれやう  大牧広


 なんだ、なんだ。今の置き方は。こっちは客だぞ。へっ?もうすぐ閉店?あっ。いつの間にか我々しかいない。そのうえもうすぐ日をまたぐ時間じゃないか。いやはや、すみませんね。これ飲んだら帰りますんで。はい。お勘定だけ先に。はい。すみません。やっちゃったなあ。でも、あの置き方は……。


  熱燗のあとのさびしさありにけり  倉田紘文


 熱燗を飲み終え、店を出る。途端に冬の烈風。看板の灯りも消えた。酔いも少しく醒める。つい先ほどまではぬくぬくと熱燗を楽しんでいたのに。寒い、寒い。早く帰ろう。さっきまでは


  熱燗にいまは淋しきことのなし  橋本鶏二


だったのになあ。

 男二人で熱燗を飲むときとはどんな状況だろうか。勿論寒いときだろうが、二人とも、もしくはどちらか一人が心身ともに疲れているときではないだろうか。


  熱燗や男同士の労はりあふ  瀧春一


 カウンターで差しつ差されつしていると、お互いの距離は自ずと近くなる。猫背になると、後ろ姿はこんもりとした山のように見える。その山中でお互いを労わりあう。これを四十七士に見立てると


  熱燗や討入り下りた者同士  川崎展宏


となる。逃げたのではない。好きでそうした訳じゃない。それぞれいろいろと理由がある。人には言えない理由が。酒と人に癒される。同じ傷を負った者同士。同類相憐れむ。喉元を過ぎる熱燗。夜は深まっていく。

 そんなこんなで飲んでいると当然ながら酔う。お互いの慰労のはずがいつしか険悪な雰囲気に。


  つまづきし話のあとを熱燗に  松尾緑富


 話が躓いた。変な空気になってしまった。まずい、まずい。さあさあ、もう一杯。酒でできた悪い雰囲気は、酒でごまかすのが一番。あとは気付かれぬように話題をずらすテクニック。まあ、このテクニックが一番難しいのではあるが。

 酒の上での失敗談は山ほどある。今となっては笑い話になっているものもあれば、現在進行形のものも。一体、何人に縁を切られただろう。これもそれも酒のせい、か。


  千悔万悔憎き酒を熱燗に  川崎展宏


 「千悔万悔」に多くの方々が同調なさるだろう。大袈裟と思うのは酒で失敗したことのない、たいへんラッキーなお方。「酒は飲んでも飲まれるな」と何度、自身を戒めたことか。酒が憎い。憎い酒。火炎地獄じゃ。熱がれ。熱がれ。おっ、ちょうどよい頃合い。さてさて、一杯やりますか。ん?反省はしている。ちゃんとしている。しかし同じ失敗を繰り返さない自信ははっきり言って、ない。それが酒飲みというもの。飲んだ私が悪いのか、飲まれた酒が悪いのか。明らかに前者である。

 あれ?暗いぞ。なんか暗いぞ。ジメジメした話になってしまった。明るくいきましょう。


  熱燗や二時間前は阿弥陀堂  鈴木鷹夫


 「二時間前は阿弥陀堂」。では、今は?熱燗囲んで、みんなでわいわい。不遜にも仏像で飲酒。けしからん。でも、案外あることではないだろうか。或る神社での話。拝殿で氏子総代数人と話し合っていた。宵祭の後のこと。宮司と総代が来年度のことを話している。ふとそこへ若者が熱燗片手にやってきた。「かたい話はここまで」ということで、あとは全員、顔が真っ赤になるまで呑んだ。地元の人たちが集まれば酒はつきもの。あくまでも親睦である。楽しい酒ならば神仏もお許しくださる、とはいかないか。ごめんなさい。神様仏様。


  北京より戻りてすぐに燗熱く  岸本尚毅


 出張だろうか。冬の北京。よほど寒かったのだろう。そして異国にて母国が恋しくなったのか。日本に戻るや否や熱燗。沸くほどではないしても、熱く熱く。「アチチ」などと言いながらクイと。熱さが体も心もあたためる。やはり最初の一口が大切だ。


  熱燗のまづ一杯をこゝろみる  久保田万太郎


 何事もまずは最初の一歩から。熱燗もまずは最初の一杯。うん、旨い。熱い酒がまさに五臓六腑に沁みわたり、かたくなった心もほぐしてくれる。ぬくもり。熱燗とは母のような存在である。そして、そうでありつづけてほしい。


  熱燗に心のともる音したり  鈴木鷹夫

(2022年9月2日金曜日編)