青春詠を詠える時期に俳句に出会えることは、俳人として幸運だ。
もちろん浅川芳直(あさかわ・よしなお)さんは、まだまだ青春真っ盛りの好青年だ。
この句集の青春詠を読み込んでいて羨ましくも微笑ましい。
一瞬の面に短き夏終る
光りつつ飛雪は額に消えにけり
吾のほかに凉しと言はぬ鉄路なり
論文へ註ひとつ足す夏の暁
夜濯に道着の藍の匂ひけり
私は、あまり剣道の俳句を記憶にとどめていない。
俳句の担い手が素直に我が身を詠み込んでいけば、さまざまな生き方が反映されて俳句の多様性も確かなものになるだろう。
浅川芳直俳句は、そんな未来の明るさを感じさせてくれる。そんな俳人だ。
一瞬の面が体の芯に鳴り響いて青春を注ぎ込んだ学生時代の最後の短い夏が終る。
空はやけに明るくて飛ぶように雪は、光をまとい、額(ひたい)の体温ですっと消える。嗚呼!青春だ。
鉄路の熱気の中で吾(われ)は、僅かな微風をも見逃さず甘受し涼しいと云う青春ど真ん中。
論文の脚注をひとつ足す。その没頭ぶりは、夜が明けても集中力が途切れない。
夜濯ぎの道着を洗濯して道着の藍も搾り出すように匂いが漂う。
児童らの密談さざんくわ揺れてゐる
少年の葱を一本さすリュック
噴水へさし出す坊主頭かな
その青春ど真ん中の青年は、子らへの眼差しもあたたかい。
帯文の高橋陸郎氏によると「この人の鋭さと柔らかさの兼ね合いは絶妙。清新と風格の共存と言い換えてもよい。」とある。若くして俳句の骨法を体得していて頼もしくもあり、しなやかな感性も子らへの眼差しに顕著に露わになる。
子どもたちを可愛い可愛いだけでなく観ている点も慧眼で児童らの密談に危うさを感じてしまうのは、私だけだろうか。その山茶花(さざんか)の花の揺れは、少し可愛いだけではないようだ。
少年はリュックに刀のように葱を差して剣士の面構えでお使いのまま颯爽と歩く姿や、少年は噴水の水のつめたさに坊主頭を差し出すようだと見ているユーモラスさ。
浅川芳直俳句のどれも観察眼の肌理細やかさがあるだけでなくモノの本質を鷲掴みする俳句が量産されている。今後も坦々と俳句の道も切磋琢磨してほしい。
地ビールの乾杯どれも違ふいろ
一本は海に吼えたる黄水仙
花曇きれいに割れぬチョコレート
火蛾集ふ避妊具自動販売機
曼珠沙華吹き残されて茎二本
遅き日や後部座席の津軽弁
夜の靄を動かしてゐる百合の群
蝸牛のぼる獣型遊具の目
武者振ひ落としし馬の冷やさるる
地ビールの乾杯のどれも違う色の躍動感を鷲掴みするように俳句に結実させていて舌を巻く。
黄仙水の一本が海に吼え出す。その物語性の豊かさも見逃せない。俳句は沢山の物語を量産できるのだから多くの物語を詠める浅川芳直さんの才能がまぶしい。
花曇の季語とチョコレートをきれいに割れないもどかしさ。俳句には、詠まれていないのだが恋の行方を花曇の明るくも柔らかなもどかしさとも読める。
火蛾が集う避妊具の自動販売機。其処にも青春性がある。こういう現代チックな自動販売機に性欲満点のむらむら感をこんな短い言葉で、火蛾の集う様から見出せるのも若くて健全なパッションが溢れている。俳句の好奇心も旺盛なのだ。
「遅き日や後部座席の津軽弁」「夜の靄を動かしてゐる百合の群」「蝸牛のぼる獣型遊具の目」など俳句の骨法の的確さ、季語の活かし方、そして日常に詩的だけれども俳句的な独自の面白みをしっかりと見出せる力強さがある。また「武者振ひ落としし馬の冷やさるる」は、なかなか詠めない俳句のいただきで、到達点の高さがある。いろんな俳句を詠める好奇心の階段をこつこつと歩を進めていくとさらなる到達点の見晴らしが、この浅川芳直俳句の未来には、ある。
「東日本大震災から十年」を詠んだ俳句も鋭さと柔らかさらかさの兼ね合いは絶妙なだけでなく浅川芳直さんの真摯な震災への向き合い方が窺えるようだった。
「鳥帰る廃船といふ道しるべ」「島凪ぐや落花行き着く貝の殻」「花菜畑やうやく人の気配かな」「潮風の吹きぬけてゆく苺摘」「てんと虫東京からの速達便」
その他にも共鳴句をいただきます。
約束はいつも待つ側春隣
夏めいて教育実習先の島
空調音単調キャベツ切る仕事
姥百合の実の時詰めてゐる力
水平線もりあがり鳥雲に入る
春昼の酔うてもムツオにはなれぬ
夏座敷素揚げの雑魚の眼の大き
捩花やバスが来ぬなら歩きだす
雪となる夜景の奥の雪の山
鳥帰る窓辺に小さき魔法瓶
明日咲くかさくら樹液を満たしけり
葉擦れとも水の音とも夜の新樹
破船一つ蚰蜒の群れたる禁漁区
紅蜀葵袋小路を濃くしたり
草厚く積みたる畦の蟬の羽化
夜を鎮め鎮め蛍火湧きあがる
とんばうの良き日だまりを回りをり
雑煮椀どかと座したる遺影かな
夕方につつまれてゆく磯遊び
夕立の空展けゆく古墳群
一島に雲の速力ラムネ噴く
鈴虫の烈しやグリム童話集
冬の虹生まるる工場地域帯
一月も茫と石屋のモアイ像