平井靖史氏の「帯」による鑑賞を記して置く。
未完了に揺らぐ瞬間をピン留めする魔法などどこにもないはずなのに、
この句集には、
数多の〈体験質〉たちが驚くべき解像度のまま封じ込められている。
著者は、言葉の水路網を指先で測深し、それらをこまやかに梳き合わせ、
そこにたまさか現れる時間の浅瀬に
風花雪月の工芸をつぎつぎと生け捕っていく。
切子のごときメカニカルな精緻さと
和紙のごときたおやかな陰翳とが饗応する幻の庭。
既存の手法では決して計測できない質の洗練に、
それでも固有の精密な測度があることを、この句集は証し立てている。
春宵や着信音が変な曲
春宵(しゅんしょう)は、春の宵(よい)の美しいうっとりした夕闇の時間帯にあって携帯電話の着信音が変な曲。
現代感覚の可笑しさみたいなものがある。
風情のある世界観をパズルのように切り取っていく変な着信音の曲が返って面白い俳句に仕立てている。
客どもは前向き野分ANA機内
飛行機のANAの機内では、客どもは前向きな野分けと捉え直して俳句を見い出したのが慧眼だ。飛行機の旅で野分けの客らが前向きに戦(そよ)いでいる。
断ちしぶるこゑを熊蟬どつと雲
熊蟬のこゑは、断つことを渋るように、そしてドドッと雲が湧きたつように鮮明に視界に立ち現れる。ダイナミックな言葉使いが、熊蟬のこゑを鮮明に表現している。
曲りゐる鮎の肋骨箸で梳(す)き
書きし字を折りて手紙や秋深き
買ひし土筆(つくし)を手づからに煮たりけり
鮎の曲っている肋骨を箸で梳くように取り除く。
こまやかな食事の所作を鮮やかにスケッチしている観察眼の効いた俳句だ。
書いた字を手紙を折る際に折ると感受するこまやかな秋の深まりを感じつつ。
観察眼というのは、物事の気付きを丁寧に感受することでひとつひとつ確認しなくても手紙の文字を折るということに秋の風情を感じている事にとても新しい俳句の世界観が立ち現れる。
買った土筆を手掴みに煮ている。日常生活の巧みな描写によって岡田一実俳句の丁寧な言葉採取が成されている事にも着目したい。
これらの繊細な言葉採取と言葉選びが、丁寧に紡がれながら平井靖史氏の云う「既存の手法では決して計測できない質の洗練に、/それでも固有の精密な測度があることを、この句集は証し立てている。」のだろう。
芍薬やいまし始まる紙芝居
この句集『醒睡』は、言うまでもなき1623年(元和9年)成立した『醒睡笑』(せいすいしょう)という庶民の間に広く流行した話を集めた笑話集に因んでいるのであろう。
では「芍薬や」で切れが効くこの俳句もまた「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の語り口のように今しがた始まった紙芝居の中に芍薬のような女性の立ち振る舞いから物語が鮮やかに始まるのかもしれない。
そう考えて見ると満面の星空のような俳句の数珠箱が本句集の中に煌びやかに詠み人を待ちわびているのであろう。
鑑賞者としての踵を正しながらそんな壮大な心持を感じつつ本句集の数多の共鳴句の数珠玉の俳句たちをいただきます。
楸(ひさぎ)咲く現(うつつ)いづこも日に傷み
日盛や亀虫が尻振り交(さか)り
蓮の花おろかな返事短かめに
撮らんとせし物を蚊の影過ぎりたる
祭衆をんなと見れば茶化しに来
瞳孔を広げ考へ夏の人
糸切れて巣をのぼる秋の蜘蛛
明くる日も酔の残れるつづれさせ
木犀の影の揉みあふう潦(にわたづみ)
果肉抜け皮あざやかや烏瓜
小さき蚊それごと風の姫女菀(ひめぢょをん)
脚を繰り菜花の奥にしづむ蜂
ぼんやりと山に日の入る桜餅
※また青磁社のHPより著者による朗読『醒睡』音声ファイルがあって句集鑑賞の助けにもなりました。とても良い俳句朗読の新たな試み。俳句もまた詩歌の朗読のように声にしてみるからこそ味わい深いのも必然。