小澤實『澤』が蛇笏賞・俳句四季大賞、正木ゆう子『玉響』が読売文学賞・詩歌文学館賞を受賞した。小澤實は昭和31年生まれ、正木ゆう子は昭和27年生まれである。
小澤は『立像』で俳人協会新人賞、『瞬間』で読売文学賞、『俳句の始まる場所』で俳人協会評論賞、『芭蕉の風景』で読売文学賞を受賞。正木は『起きて、立って、服を着ること』で俳人協会評論賞、『静かな水』芸術選奨受賞、『羽羽』で蛇笏賞を受賞している。
同世代でも格段の受賞歴であり、これらの業績を見ても、戦後生まれの代表的な作家であることが分かる。
●小澤實
『澤』(KADOKAWA2023年11月)は第4句集。過去は、句集『砧』(1986年)、『立像』(1997年)、『瞬間』(2005年)を刊行している。長年指導を受けた藤田湘子の「鷹」を退会し、2000年「澤」を創刊・主宰し20年を迎えているが、『瞬間』以後20年近く句集を出していないのは、有力雑誌の主宰としては珍しいことだ。最近一年刊に限った句日記『瓦礫抄』(2022年)を出しているが、これだけでは「澤」創刊後の小澤實の全貌はわからない。同人会員たちも主宰の句集を待望していたから、その句集が受賞するというのは喜ばしいことであろう。
秋風やカレーにソースかけて父
みしみしと増ゆる人類冴返る
青嵐われら富士への斜面にあり
即死以外は死者に数へず御柱
少年を死なせし国やさるすべり
あめんぼにあめんぼ乗るやまたたく間
ふかく眠りぬ秋草の生けあれば
入道雲ねぢれ立ちなり海の上
薫風や頬杖ついてかんがへず
ささと鳴る天蚕の繭振りみれば
少年の墨書の遺書や知覧春
翁に問ふプルトニウムは花なるやと
年あらたまる人類の深き智慧
かつての古典的で俳諧の本道を行く作風から、写実的な俳句や、社会性・思想性のある俳句が多くなってきている。20年ぶりの句集だからこそ納得できる結果である。「澤」の方向性を示すためにもよい結果となった。
●正木ゆう子
『玉響』(春秋社 2023年9月)は第6句集。過去に、『水晶体』(1986年)、『悠HARUKA』(1994年)、『静かな水』(2002年)、『夏至』(2009年)、『羽羽』(2016年)と定期的に刊行しているし、それらの大半が受賞するという業績を上げている。「沖」に入会し、能村登四郎の死後「沖」を退会し、一時渋谷道の同人誌「紫薇」に所属した以外は無所属を続けている。
たれも見ぬ深山の螢火になれるか
我こそはとみな生きて去る風の荻
美しいデータとさみしいデータに雪
濡れて重たき昭和の傘よ昭和の日
行く鷹の後ろにこの世なき如く
身を庇ふこと冬蝶を飼ふごとく
けふ土手は紋白蝶の祭らし
澁谷道さんと約束
蟬羽月お茶をするなら竹林で
どちらかといへば暗いからどちらかといへば明るいへと寒暁
絶滅せぬ種は無く廻る寒北斗
玉響のはるのつゆなり凜凜と
ゆらめいてこの星もひとつぶの露
この数年間は正木にとっても激動の時期であったようで、世間ではコロナ、自身もがんで入院・手術、親しい人々の死や、自分を俳句に導いてくれた兄・正木浩一の33回忌と身内の死去なども回想している。それ相応に年齢を加えて無常感も漂い始めたようだ。若々しい第一句集、あるいはそれ以前を知っている私からすると感慨を禁じ得ない。
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ここで一言言っておきたいことがある。それは二人が最初から戦後生まれの第一線を走っていたわけではないことだ。新興俳句出版社の牧羊社が1985年前後に「精鋭句集シリーズ」を刊行している。従来に例を見ない、次代を担う戦後生まれ作家を取り上げた画期的な句集シリーズであった。そのメンバーは次のような顔ぶれであった。
『火のいろに』(精鋭句集シリーズ・1) 大木あまり
『氷室』(同・2) 大庭紫逢
『絢鸞』(同・3) 大屋達治
『鵬程』(同・4) 島谷征良
『花間一壷』(同・5) 田中裕明
『メトロポリティック』(同・6) 夏石番矢
『窓』(同・7) 西村和子
『海神』(同・8) 能村研三
『古志』(同・9) 長谷川櫂
『銅の時代』(同・10) 林桂
『芽山椒』(同・11)保坂敏子
『午餐』(同・12)和田耕三郎
12人が当時の精鋭であると認められていたことに間違いないが、その結果はどうであったろうか。田中裕明と大庭紫逢はすでにない。またこの顔ぶれの中で読売文学賞を取ったのは、大木あまりと長谷川櫂である。
そしてこれからすぐわかるように、小澤實と正木ゆう子はこのラインナップには入ってはいなかった。小澤は別の句集企画で、正木は私家版でその成果を世に問うていた。これは今売れっ子の高野ムツオも同様だ。
(以下略)
※詳細は、俳句四季7月号参照