2022年12月9日金曜日

救仁郷由美子追悼①  筑紫磐井

  8月10日に亡くなった救仁郷由美子(大井ゆみこ)氏は豈同人、俳句新空間メンバーでもあるが、その前後にいくつかの俳句雑誌に関係していた。


「琴座」~503号(終刊号1997.1)まで大井ゆみ子名で在籍

「未定」64(1994.9)~70号(1996.11)大井由美子名で参加

「豈」29号(1998.1)~59号(2016.12)に救仁郷由美子名で同人参加

「LOTUS」11号(2008.7)~39号(2018.8)同人、40号(2018.10)以降会友

「俳句新空間」2020.5~散発参加


 救仁郷由美子の評論活動――特に安井浩司論については「俳句新空間」17号にその目次を掲げておいたが、ここではそれ以外の活動について紹介しておこう。

 「琴座」では永田耕衣の選をする「琴座集」に投稿し、平成元年8月に巻頭を得て、「琴座の諸作」で耕衣の評(琴座の諸作)を受けた。耕衣の言う「北京事件」は天安門事件である。この直後、琴座同人となっている。

 この時期以前の「琴座」バックナンバーが手元にそろっていないので、巻頭以前のいくつかの例を掲げておく。


●琴座 平成元年8月(451号)


琴座集 巻頭

雨音や透いた傘打ち問いも消ゆ 東京都 大井ゆみこ

北京夏戦車に向かう歩幅幾つ

川の岸耳鳴り数える越境者

少年の柔かき耳吐夢吐夢止

満月に打つ大太鼓赤き耳


琴座の諸作

ネオ新風と言えるかどうか

               永田耕衣


無季も元より快認して、作り手の数少いワガ琴座人のなかに、ネオといえるかどうか、ヤヤ古びたカビの匂いもする野老耕衣のドタマ即髄脳、その或る細胞を並び変えさせて呉れるような句々が、散発的に現成してきた気配を、野老は長生し恵まれとして妙に快く思わしめられつつある即今だ。オク歯にモノがひっかかって除れぬような狂気に似たウレシイ物のいいかただが、正直な実感の震動だ。この実感の見えかくれする魔性―というのはチト逸りすぎだがー琴座集から先手を打つ。何といったって既成の完熟した、悪口を叩けばキレイゴト染みた一切手馴れた作法と感賞圏を、何ほどかドキンと覚醒させてくれる〈奇襲創造〉のダイゴ味を欣求しているのだ。そんな因子を持続する句々を、実はタレもが欣求している筈だ。積極的なネオ境環を拓いた、少くとも創造の場を第一義とするハナシに、いつもアタマを突っこんでいないと、チツともおもしろくない。謙遜の美徳よりも、作者の個々が〈新〉を拓いて見せようとするその迫力をば擬態でも構わぬ、嗅ぎ出す努力に〈出会の絶景〉を更新して行きたいのだ。

    (中略)

ゆみこサンの投稿をワザと発表月次をテレコにした。何れも北京事件にタッチした作品かと思われる主流を直感したが、掲上の一句を早くココで諸君にお目にかけたくて先稿の如く採沢裁量した。無季だが妙韻がネオ〈禅問答〉の如く切りこんでくるのだ。透いた傘を雨が打つ、ソレは傘の主に何事かの大擬団の〈間〉であったが〈答〉も聞かずに〈問いも消ゆ〉と断じた。〈雨粒〉の自問自答である。



●琴座 平成元年6月(449号)


愛語抄―田荷軒あて―

○易易と死なぬぞと囀る勿れ

 生は空死は無ウならぬ牡丹哉

 桃柳四大不尽の淋しさよ

 もう淋し女人も道も藻の花も

 逝く春や拾うに堪えぬ地や空


「田荷軒泥ん」何故か恐る恐る読み始めました。「易易と死なぬぞと囀る勿れ」の句より涙が止まらなく、あとは涙の中で読み終えました。田荷軒翁九十歳祝。    かしこ

              大井ゆみこ

琴座集

苦悩とて糞なればよし春の月   東京市 大井ゆみこ

軽薄なお茶会転がる卵たち

口経に空白空洞くもの糸

朝露に悲しきことが転るよ


●琴座 平成元年7月(450号)


琴座集

春うとく蕾は血色根元骨    東京都 大井ゆみこ

ひとひとり地図にない街遊歩道

隊列は彫塑なりえず花ふぶき


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