句集『広島』
上記句集が突然この夏手元に届いた。この句集は、原爆投下後10年目に当たる昭和30年8月6日、句集広島刊行会(近藤書店販売取り扱い)によって刊行されたものであり、広く公募され、670名1万句以上のの作品から545名1521句を選んだものだという。序文は広島大学学長森戸辰雄が書いたが、余りこの句集のことは知られていない。
今回長い時間を経て手許に入った理由は、編集委員の遺族が最近500冊近くを見つけ、現代俳句協会関係者や関係団体に配布することとしたという経緯による。
句集刊行が、社会性俳句の時期と重なるから、著名な俳人も投稿している。金子兜太も出ているが、「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」の句が入っていないのはこれが長崎の句だからで、かわりに「原爆のまち停電の林檎つかむ」はある。三鬼には有名な「広島や卵食ふ時口ひらく」がある。佐藤鬼房には「戦あるかと幼な言葉の息白し」鈴木六林男には「鳥雲に死者の歌声かもしれず」もある。
ただ驚いたのは高柳重信の『罪囚植民地』にある有名な
杭のごとく
墓
たちならび
打ちこまれ
を見つけたことだ。『罪囚植民地』にある多くの句が『広島』に結びつけられている。こんな解釈をしている論者はいなかったように思う。果たして誰がこの句を原爆の句と理解できたであろうか。ここに新しい重信論がはじまるかもしれない。忘れられた句集には忘れられた真理があるかも知れないのだ。
「揺れる日本」
(中略)
『原爆の証言』
原爆に因む不思議な話を続けて掲げておく。玉藻35年8月号に載っている話である。
広島の増本美奈子と言う女性は広島で被災し、父母たちを亡くしている。戦後虚子を訪問した時、虚子に被爆の俳句を提出し、虚子は作品に基づき顛末の文書を書いている。震災や戦争など時事や社会的事件を俳句に詠むことは否定的だった虚子だが、この女弟子には勧めてみたのだった。文章は成りこれを転載する予定であったらしいが、結局誰も引き取りに現われず、原稿はそのままとなり、虚子の死後立子が顛末を含めて玉藻に掲載した。
虚子によれば美奈子は海外から来た婚約者に会うのを心待ちにしており、結婚寸前であったという。美奈子が何故現われなかったのか、その後どうなったか。ミステリアスなまま文章は終わっている。
その中で美奈子の俳句として、
眼窩潰えし裸列なしうめき来る
裸みな剥けるし膚垂れ襤褸のごと
肉塊の足もて西日中を来る
等のなまなましい句21句が並んでいる。この中に、被爆した父の句もある。
洞暑くはだへ爛れし父に会ふ
くちびるの血膿よけつつ瓜食ます
血膿乾き死体にへばりつく油団
肉親であってもここまで描く鬼のような眼には少し引いてしまう。
その中で不思議な句がある。
汗の手を握り死体の腕切らんと
片蔭に抱き来し掌焼くべく跼む
かの日わが切りし御掌埋む墓洗ふ
自分の死んだ父親の手を切るというのはどんな状況なのか。よくわからない。非常の時には非常の事態が存在するようだ。
(この出典は、大久保武雄(橙青)『原爆の証言』による。)