深見けん二の生涯
(略)
花鳥諷詠と題詠
私が深見氏と交流したのは、平成30年前後であり、拙著『虚子は戦後俳句をどう読んだか』にかかわるエピソードや文献を探索している過程であった。当時、深見氏から頂いた膨大な手紙や資料が手許に残っている。というよりは、深見氏の最期の十年は虚子の俳句観の再発掘、特に自らが直接面受を受けた「研究座談会」の虚子の思想を再評価して世に出すことであったようだ。主宰誌「花鳥来」にもしばしば「研究座談会」について執筆しているが、世間の関心は残念ながら余り高くなく、自身の体調もありその全てを自身でこなすことは難しくなっていた。そのような時に、系譜の違う私が「研究座談会」に関心を持っていることを知り、交流が始まったのである。ある日、虚子生前の「研究座談会」全編のコピーが送られてきた時には感動した。虚子と深見氏との貴重な往復書簡も見せていただいた。こんなこともあったから、長時間の座談会も実現することが出来た。
座談会の中でいくつかのびっくりする発言もあったので、それを紹介しておきたい。
「深見:磐井さんの本(拙著『伝統の探求〈題詠文学論〉』)の中の題詠文学というのを読みましてね、あれにはちょっと参りました。というのは、私の俳句も題詠文学なんです。さっき言いました、季題と一つになるっていうことを心掛けてるんですが、結局私は吟行しているときにも、そこに立ち止まって、季題と一つになろうとしているわけです。ということでは題詠ですよね。本当の意味の題詠文学っていうのは歴史を持ってるもので、そういうものを含めて言うんで、ただその題についてやるから題詠だってんではないっていうことはあるわけですけども、ただ方法としては、やっぱり他のテーマよりも季題のほうに重点を置いて作ってますからね、」
これは決して話の流れの弾みで出た言葉ではない。座談会以前にも深見氏はこんなことを語っていたからである。
「虚子先生の俳句会は、武蔵野探勝会を除いて、兼題のない句会はありませんでした。
兼題は、私達の場合は季題で、兼題の利点は、一つの季題にある時間集中できることです。私の場合は、兼題を作るために吟行をよくしましたので、兼題がなかったなら出来なかった句があります。又目の前にない時は、過去の体験の場面をいくつか一つづつ丁寧に思い返し乍ら作っているうちに、心が集中し思わぬ言葉の出たことがあり、兼題の妙味を体験してきました。
薄氷の吹かれて端の重なれる
は、兼題の吟行で作った句、次の句は見ないでの句。
ゆるみつつ金をふふめり福寿草
平素の季題の観察と、多作、多読あっての兼題です。」(「花鳥来」平成27年冬「折に触れて」)
掲げてある句はいずれも深見氏の代表句であり、この言葉により深見氏の工房の秘密が見えて来るであろう。
現在、「吟行」と「題詠」は全く相対立するものと考えている人が多いが、花鳥諷詠にあっては吟行と題詠は一体の物である。いや、花鳥諷詠とは題詠であり、その場が句会であれ、吟行であれ変わることはないのだ。こうしたことを深見氏は、理論だけでなく、実作でも示してくれていたのである。吟行に当たっては是非心掛けて欲しいことである。
吟行とは見ることではなく考えることなのである。
【注】「花鳥来」は令和3年終刊となった。
※詳しくは「俳句四季」3月号をお読み下さい
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