中西夕紀(1953-)は、2008年に「都市」を創刊。直後に刊行された句集『朝涼』(2011年)につぐ第4句集が『くれなゐ』である。「青嵐」「桐筥」「野守」「緑蔭」「墨書」「冬日」という6章から構成される。
1. 闇と空白
これらの6章はそれぞれがほぼ均等の――順に60句、58句、58句、56句、54句、60句という――厚さをもっており、そのようなバランス感覚は、それぞれの章タイトルに付された言葉がすべて漢字二字の言葉であることとも照応しているようだ。ただし、うち漢語が占める割合は五割を少し割っている。そんなことを思って頁をめくっていたら、こんな句と出くわした。
読初や仏教漢語飛ばしとばし
ちょうど2011年に『仏教漢語50話』が岩波新書から出ているので、ひょっとするとこの本から着想を得ているのかもしれないが(そこで話題になっているのは「平等」「我慢」「睡眠」のような私たちにも馴染みのある「漢語」だ)、わたしたちの生きる社会ではますます漢語の地位は低下しているし、そもそも俳句は硬質な漢語よりもやわらかな和語を好む。しかし「飛ばしとばし」でもそうした難解な概念や思想にチャレンジしているところが俳句らしく、読初らしい。
火涼し真言声に出してこそ
すでに第3句集『朝涼』に〈真言はわが胸中に梅白し〉が含まれているように、仏道に対する関心の強さは、この句集でもひとつの脈をなしている。護摩のの向こうに「真言」という漢語がもつ謎に満ちた深淵が控えている。本句集の秀句としては〈仏具屋に玩具も少しつばくらめ〉も挙げられよう。
句集のなかに弔句が挿入されるのは、ある程度、年齢を重ねれば避けられないことである。しかし『くれなゐ』においては、この仏教的バックボーンがそれらに深みを与えているといえる。とくに、師である宇佐美魚目(1926-2018)には、帯文にもその名前が記されているとおり、たびたび前書となって言及されている。「魚目先生から毛筆の手紙」という前書のある〈読めるまで眺むる葉書雪あたり〉などのあとで、収められている弔句は以下の4句である。
先生のペンは撓へり梅擬
書の中の古人とならる花すすき
無患子や死して冥しと空海は
邯鄲や墨書千年ながらへむ
第3句集『朝涼』の採られた表題句は、〈朝涼のまだ濡れてゐる墨書かな〉。何よりも宇佐美魚目は、書家であった。無患子の黒色は、(最澄にあてた手紙3通からなる)『風信帖』の縦長の字形を浮かばせながらも、「秘蔵宝論」の序論の最後を締め括るあのテクストへとわたしたちを送り返すことだろう。
三界の狂人は狂わせることを知らず。
四生の盲者は盲なることを識らず。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終りに冥し。
人間は闇から生まれ闇に還っていく。もちろん最初の闇とは、胎児だけしかみることのできない、あの闇のことである。しかも仏の教えによれば、闇から闇へ(生から死へ)の運動は、たえまなく反復されるという。眼前の「墨書」のくろぐろとした色はしだいに読み手を悠久の時間へと、そして作者と墨書を包み込む秋の夜の闇へと誘っていくようだ。
さらにいえば、この作者の中心には、書物だけでなく葉書や染筆といった「テクスト」があるのかもしれない。
空白の涼しき葉書頂きぬ(『さねさし』)
いくたびも手紙は読まれ天の川(『朝涼』)
読めるまで眺むる葉書雪あかり(『くれなゐ』)
このように〈手紙〉という主題は、中西にとってたんなる「挨拶」ではなく、いくたびも読まれるべき、読解されるべきテクストであるということが見てとれる。それはまるで一句の読者が、繰り返しその句を反芻し、イメージを立ち上げては毀していくように、終わりのない作業なのだろう。ここには、闇とは対照的でありながら、しかし似てもいる〈空白〉という無が控えている。それは著者がベースとする和語の抽象性とも響きあっている。
2. 「一」への執着
あらゆる句集がそうであるように、この句集に描かれる世界もまた、ふたつの闇のあいだの小さな〈空白〉にすぎない。もっといえば、人間が認識できる世界などちっぽけなもので、そのなかのもっともちっぽけなものに注目するのが、俳句と呼ばれる作業なのだろう。『くれなゐ』に収録されている半数を占めるのも、日常の〈空白〉の見落としてしまいそうな世界の輝きである。
真ん中の一鉢抜いて買ふパセリ
信号の青に誘はれ鯛焼屋
蜜豆の豆を残して舞妓はん
百物語唇なめる舌見えて
切り株に坐れば斜め鳥帰る
密教に息づく漢語的な世界とは対照的に、『くれなゐ』の足場となっているのはあくまでこのような、やわらかな日常詠である。日常のなかのちっぽけな特別な瞬間である。
そのような点で、句集のなかに「一」という数字が頻出するのは、ひとつの特徴といえるだろう。他の句集の「一」の数は数えたことがないし、対象に焦点を合わせた句は最終的に「一」に収斂していくものであるから、これは何も本句集に独自な傾向とはいえないかもしれないが、ここに『くれなゐ』の「一」俳句を集めてみよう。
船団の一艘に旗若布刈る
真ん中の一鉢抜いて買ふパセリ
花栗の一山揺する香なりけり
青嵐鯉一刀に切られけり(以上「青嵐」)
好色一代女と春のひと夜かな
十聞いて欠伸がひとつ未草
一生に一茶二万句三光鳥(以上「桐筥」)
はこべらや一人遊びの独り言
梅林の一本松に茶店あり
ゴム長の一人加はり大試験
短冊一葉冷し胡瓜の礼とせり
飛び回る蝙蝠ひとつ小諸駅
ねこじやらし一本抜いてまた明日
同舟のひとり火鉢を抱へゐる
鴨打の一羽一羽に触れ数ふ(以上「野守」)
春障子ひと夜明ければ旅に慣れ
星祭一本足で鳥眠り
明けてゆく海に一点鷹飛べり
笛一管一節切なり初稽古(以上「緑蔭」)
一振りの太刀を受け取り舞始(以上「墨書」)
かきつばた一重瞼の師をふたり
鵜を起こし鵜匠の一日始まりぬ
鵜匠去る一の荒鵜の籠さげて
線刻の岩いちまいを滴れる
蛇踏んで一日浮きたる身体かな
鉄斎を一幅見せむ風邪ひくな
一席を設けて雪見障子かな(以上「冬日」)
約350句のうち27句というのは、やはり多いのではないか。もちろんこれは言葉の上の話で、「一」という数字が入っていなくても「一」を想像する句はいくらでもある。だが、わかりやすいように、ここでのコーパスはあくまで言葉としての「一/ひとつ」に絞って話を進めることにしよう。
「一」というのは、俳句において、抽象=捨象するという機能をもつ。つまり、対象(=「図」)に焦点をあわせてクロースアップすることで、背景にあるもの一切を「地」へと後退させてしまうということだ。結果として、「まさにこの」という指示語と同等の機能をもつことになる。ただし、固有名詞となっている「好色一代女」や、他に二重しか選択肢のない「一重瞼」はこの限りではない。しかしそれを除けば、このようなカメラの比喩として論ずることの可能な「一」の俳句は、写生=描写を足場とする「近代」以降の俳句のオーソドックスな発想といえるだろう。
3. 「一」からの退却?
対象が何であれ「一」としてものごとを捉えることは、何かを「分ける」ことであり、「分かる」ことである。だから「分かりやすい」句となる。もちろん「一」が入っていなくても、〈かなぶんのまこと愛車にしたき色〉のような一物仕立てのユーモアある句は、これからさまざまな人々に愛唱されるだろう。だが、そのような目で見てみると、『くれなゐ』の帯文に掲出された以下の句は、たんなるオクシモロンを超えて、別の色合いを秘めてくるようだ。
ばらばらにゐてみんなゐる大花野
この句もまたこれからさまざまな人々に愛される句となるだろう。だが、ここでは、それぞれが「一」でありながら「全」でもある――などといえば、たちまち哲学めいた話になってくる。いやいや、そんな難しい話ではない。わたしたちは誰もが個でありながら集団を構成しているのであり、つまるところ、本当の意味での「個」などにはなることはできない。「個」とはかりそめのフィクションであり、「個」を突き詰めようとすれば、それは社会や集団から白い目で見られることを覚悟しなければならないだろう。それは一種の独我論なのだ。
もちろん、大花野が「社会」や「集団」などのメタファーであるなどといいたいわけではない。いま、読者のイメージには、「ばらばら」でありながら「みんな」でもあるような人間の姿が、広大な大花野とともに浮かんでいるはずだ。だが、ここにもし「大花野」がなかったとしたらどうだろう。ただの「ばらばら」である。「大花野」はここで「地」となって、そのなかからマティスの描く形象のような「人間」たちが浮かび上がってくる。「大花野」はまるで、マティスの原色の背景色のような働きを担っている。
このような認識は、先の「一」的な、つまり対象を凝視して描写するというオーソドックスな句とは、やはりどこかちがっている。句集に収められた句は、一物で詠まれた写生的な句もであれば、イメージの重層性で詠まれた取り合わせの句もある。しかし、この「大花野」の句はそのどちらでもない。けっして像を結ばないというわけではないが、しかしもっと「ぼんやり」とした情景だ。「一」であり「全」であるというのは、ひとつの論理であって、観念である。かといって現実ではないかというと、現実にそういうことはある。いったい、ここで中西が描こうとしているものは何なのか。
先の「一」の句にある種の臨場感がもたらされるのは、自己(読者)と対象(句の中のイメージ)が一対一で、差し向かいに、対面しているような錯覚が得られるからだ。そのときほかのものはすべて捨て去られる。いわばそれは恋のようなもので、ほかの一切が見えなくなるとき、唯一見えているものが輝きを放ち、特別な存在感を獲得する。その意味で中西は「恋」の人であり、じっさいに恋や色欲を主題にした句もある。
芸事の師は年下や春障子
花道に涼風たちて仁左衛門
アイヌ語で男根といふ春の山
緑蔭の男女のどれも恋に見ゆ
羽子板に欲し色悪の役どころ
歌舞伎を愛好していることが察せられるが、色悪(いろあく)とは表面は二枚目であるが,女を裏切る悪人の役柄のことである。『東海道四谷怪談』であれば、民谷伊右衛(たみやいえもん)門がそれにあたるが、それが「欲し」というのは、あくまで自身が健全な恋しかしてこられなかったことを、多かれ少なかれ「罪」と思っているということだ。「アイヌ語で男根といふ」という措辞もまた、普段から色に溺れた生活をしていれば、あえて句にするようなことではない。クールな仁左衛門――これも悪役かもしれないが――に「恋」をするのも、芸事の師が「年下」であってそこからあらぬ妄想をするのも、作者の恋愛観が如実にあらわれている。
このような中西の「恋愛体質」が、さきほどの「一」への執着とつながっているのだろう。だからこそ、どこか景物を遠くにおいて、〈ばらばらにゐてみんなゐる大花野〉と見やる作者の姿は、〈緑蔭の男女のどれも恋に見ゆ〉という句と同じ地平にある。つまり、一歩引いて「人間観察」をしているという目線がここにはある。
おわりに――執着ということ
「われ」を詠む句が圧倒的多数を占める句集のなかで、このような句は貴重だが、逆にこういう句ばかりがあればいいという話ではない。おそらく、圧倒的な量の「恋するわれ」という一途な主体の句が並んでこそ、「人間観察」の、あるいは世を遠ざけているような句に、ある種の感慨が加味されるのだ。秀句として一句だけ取り上げてみても、その点は理解できないだろう。あくまで句集のなかに置いてこそ「読める」句というのがあり、それが「大花野」の句であり「緑蔭」の句なのである。
一言でいえば、これらの句には「執着がない」。「われ」がほとんど消え入りそうになっている。おそらく、このような詠み方は、具体物とたえず向き合ってきた作者にとって、けっしてベースにあるものではないはずだ。近代的自我という俗念を振り払って、「ただある」世界を描くということ、そのような句はけっして多くはないが、句集を読んでいくうちに、少しずつ浮かび上がってくるようにも見える。
干潟から山を眺めて鳥の中
鹿の声山よりすれば灯を消しぬ
隙間より花の日差や籠堂
山椿かごぬけ鳥の夕べ群れ
これらの句は、〈髪の根に汗光らせて思念せる〉というような人間のありようと対極にあるものだ。つまり、少なくとも何かをひとつだけ見つめ、「恋」をするようなモードとはちがっている。あまたある鉢のなかから、ひとつの鉢を選びとったり、夏の夕刻の小諸駅を飛び回る蝙蝠のなかから、一匹の蝙蝠を見つめたりする視線とは異なっている。そこに「われ」はいるが、しかしもっとパノラミックに、鷹揚な自然の運行に触れようとしている。だから執着は感じない。
もっとも空海の教えでは、人間が煩悩をなくすことはできない。密教は、「執着上等!」である。とはいえ、欲に溺れることがあってはならない。自身をコントロールしなければならないのだ。『くれなゐ』は、その意味で理性の領域から踏み越えることのない句集だといえる。中西は、一歩踏み出すことを無意識下で欲望しながらも、現実には踏み出すことのない(少なくとも句集からそう思わざるをえない)良識的な作家だといえる。この常識性が、本句集の安定感を基礎づけているのだ。
業深く生きて霜焼また痒し
さてこの句が、どこまで作者の本心であるか。少なくとも、読者には作者の「業」がどれほど深いものであるか、それほどうまく想像できない。席題でつくられた遊びの句のようにさえ、思われてしまうのは損なことかもしれない(句会で出たらわたしも採るとは思うけれど)。しかし、この句を句集のなかに置いてみたとき、あえて「業深く生きて」といえるほどの業はそれほど感じられないのも事実なのだ。だからこれも、内面的な吐露というより、むしろ無頼への「あこがれ」と解するほうが、至極自然かもしれない。
末筆ながら、わたしが最も印象に残った句を引いて稿をしめくくることにしよう。以下の句がこれから人々に愛唱されることを願ってやまない。
かなぶんのまこと愛車にしたき色
百物語唇なめる舌見えて
マスクして葬の遺影と瓜ふたつ
皺くちやな紙幣に兎買はれけり
緑蔭の男女のどれも恋に見ゆ
春障子ひと夜明ければ旅に慣れ
ばらばらにゐてみんなゐる大花野
無患子や死して冥しと空海は(悼 宇佐美魚目先生)
ころぶこと鳥にもありて冬の草
さいいかを誰か出しをる暖房車
鯖〆て平成の世も暮るるかな
かきつばた一重瞼の師をふたり
(堀切克洋氏が管理人を務めるウェブサイト「セクト・ポクリット」2021年5月9日に公開された記事より転載)
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