2019年8月30日金曜日

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑱ のどか

 第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅴ 高木一郎(たかぎ いちろう)さんの場合(2)


【】の表題は、『ボルガ虜愁』で高木さん自身のつけた表題である。
以下*は、『続・シベリヤ俘虜記』『ボルガ虜愁』の随筆をもとにした筆者文。 
 また、作品中の「シベリヤ」の表記はそのままにした。

【短日の貨車シベリヤを西へ西へ】
  短日の貨車シベリヤを西へ西へ (ボルガ虜愁)
添え書き:シベリヤを過ぎウラルを越え、欧露ラーダまで貨車にのること27日間シラミが北を向くことを知って、しらみ磁石とした。

*ウラジオ・ストクから日本へダモイと称し貨車に乗せられた。旅の途中で虱が北へ向くことを発見し、ダモイと言いながら貨車はウラジオ・ストクとは反対の西へ向かっていることに気づいた。綏芬河のトンネルを出たらソ連領であり、貨車はシベリヤを過ぎウラルを越えて27日間、欧露ラーダに着いた。

  水筒の凍てふくらみし貨車の朝 (ボルガ虜愁)

*筆者の父は、抑留の記憶を「寒さが激しくなるに従い水筒の水が凍り膨張して破裂した」と話したことがあった。高木さんたちの貨車は秋に出発し、欧露を目指すある朝には、水筒が凍るほど寒くなっていた。

  オムスクの長き停車の寒かりき(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)

添え書き:停車すれば線路の両側にならんでところかまわず脱糞するのが俘虜である。大便の上に鮮血がかかっているのが多い。「ぢ」疾患の多いことを、はじめてこの目でみた。
※オムスクはシベリアの一番西にあるノヴォシビルスクに次ぐ都市である。

*捕虜を満載した貨車は、シベリアの西にあるオムスクにて長く停車した。抑留体験談で登場した中島さんも貨車が止まるたびに外で脱糞をしたと語られていたが、車両の中には小便をする樽は置かれてあるが、大便をする設備は無いのである。何日も我慢してする便なのである。肛門が切れて出血もし、便秘や下痢や寒さで本当に皆困ったであろう。この事実は添え書きなくしては理解できない。停車時間には扉が開け放たれるのか、朔風は身に沁みるのである。

 【耳袋してラッパ吹くドイツ兵】ラーダ収容所
  月光に橇あと岐れ幾すぢも(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
添え書き:鉄条網の外側。月明かり雪明り。映画「白き処女地」を思い出す。

  橇曳ける灰色の瞳の婦かな(ボルガ虜愁)

添え書き:少量の生活物資をのせた小さな橇。現在の日本主婦の買い物袋にあたるのであろうか。

*11月30日ラーダ収容所に入った。ある月明かりの中に橇の跡が幾筋も残っているのが見える。あたり一面雪の世界に、生活物資を乗せて歩く婦人の姿を
見ている作者には、此処にも人の生業があることを知り、一時の安らぎを得たのではないだろうか。
  
  短日や写真袋を縫ひあげし(ボルガ虜愁)
添え書き:6×6板の家族の写真を入れる袋

  裘きて写り居る妻と子と (ボルガ虜愁)

*これも鑑賞を要しない句である。
 
  初夢は吾子の深爪また切りし (ボルガ虜愁)


*抑留して初めての正月。子どもの夢をみた、夢の中でも子どもの爪を深く切ってしまったところで目が覚めた。家族への思いは募るのである。

  耳袋してラッパ吹くドイツ兵(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)

添え書き:独ソ戦の俘虜。有名な楽団員であったこのドイツ兵のトランペットの音色は素晴らしいものであった。点呼ラッパである。

*ラーダ収容所にはすでにドイツ、ハンガリー等、欧州軍の俘虜がいたと『続・シベリヤ俘虜記』のP.112にはある。シベリヤ抑留では、将校などの上位の階級の軍人は欧露へ抑留され、一般の兵士は主にシベリア・樺太などの酷寒の地での強制労働に従事した人々に分かれる。

  木の匙のかたち出来ゆくペチカの火(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ慮愁)

*夜の寒さをしのぐため、ペチカ当番は眠らず火の番をする。その時間の飢えを紛らせながら白樺の木で匙を削る。だんだん匙が姿を現す。僅かな粥を残さず掬い取るための命を繋ぐ匙である。
  
  笑い居る吾子の写真や榾の火に (ボルガ慮愁)


*厳冬の長い夜に、高木さんは子どもたちの写真の笑顔に心慰めるのである。

  一トンの凍芋の皮むかさるる(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ慮愁)


*句は「芋」とあるが添え書きには馬鈴薯の皮むき作業とある。泥付きのまま
凍った馬鈴薯の泥と皮を剥くのである。国営農場の作業であろうか、

  手のひらの野蒜は真珠の玉の如し(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ慮愁)
*野蒜は筆者も子どもの頃に祖母と良くとった。緑のところを短気に毟ってしまうと、野蒜の球根は土の中に残ってしまう。じっくりと指で掘り上げた球根は、真珠の玉のようである。
 
  春泥の壁新聞に顔ならぶ (ボルガ慮愁)

添え書き:俳句、短歌等を主にした初期の壁新聞。紙が無いので白樺の板に書き、白樺にぶら下げた。

*『続・シベリヤ俘虜記』P.112に司令部の高島直一が文化活動として呼びかた俳句の会があったと書かれている。すべての活字を奪われた俘虜たちは白樺の木に煤を溶かして書かれ掲示された壁新聞の俳句や短歌に心癒されたのである。(つづく)

『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日
『ボルガ虜愁』 高木一郎著 (株)システム・プランニング 昭和53年9月1日発行

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