辻村麻乃は、いま秩父巡礼の途にある。
カトリックの彼女からすればスペインのサンディアゴ・デ・コンポステーラやフランスのルルドを想起させるが、そういった現実的な巡礼とは違った意味での巡礼の途にあるのだ。秩父盆地の中心にある秩父神社には柞(ははそ)の杜があって、その杜から溢れる祈りと希望の風がいま彼女の純粋俳句を生みだしている。そこから『るん』という句集が生まれた。
「ルン」はチベット仏教の言葉の概念「ルン」(rung・風)と呼ばれていると、あとがきにある。彼女がFBで交流のある市堀玉宗氏の著書『拝啓良寛さま』の中に作家・詩人の青木新門氏の北國新聞文化欄に触れて「チベットでは風のことを「ルン」と言い、古来より死んだらルンになると思われていた。先祖はヒマラヤの上空を風になって吹きわたってゆく。人々はパオや峠に旗を立て、その旗がなびく度に今先祖が通り過ぎて行ったと実感する。常に先祖と共に生きているという暮らしである。」さらに氏は「風のようなものを感じる宗教者として西行、良寛、親鸞、釈尊を挙げている。拘りのない、ひろやかな、執着を離れている在り様を「風のようなもの」と喩えるのならば大いに肯けるし、私もそのような生き方を望むところではある。「風性常住」風の本質は確かにある。」と市堀氏は述べている。山の好きな私は「ルン、ルンタ、タルチョ」などで俳句を詠んだし市堀氏の著書『拝啓良寛さま』は彼女も手にしていた。いつしか彼女は句集名を『るん』に決めた。
第一句集『プールの底』から13年の月日が流れている。あれから13年。その間の俳句が収められている。しかし、ここ2~3年の俳句は明らかに変った。俳人岡田史乃、詩人岡田隆彦の血を引き摺って生きてきた彼女が。今漸く夕焼けを見ても平常心を保てるようになって句集『るん』を上梓したのだ。
彼女の見る夕焼けは何時も決まって紫色の秩父嶺の先にひろがっているのである。明るい陽射しが降り注ぐ湘南の海を見て育った彼女が、父の翳の纏わりついた夕焼けを前にするには遠い哀しみが離れなかった。しかし漸くその西の空に「ルン」の風を見出して祈りと希望の巡礼の途に就くことが出来たのだ。それが句集『るん』となって、恰もそれは五体投地の姿にも見えてくるのである。
鳩吹きて柞の森にるんの吹く
と詠んでおきながら
海のなき月の裏側見てしまふ
などと詠む。
ポインセチア抱へ飛び込む終列車
これなどは芭蕉の「古池や…」の宇宙観とよく似ている。彼女の俳句は逃れられない血筋からくる『プールの底』に見られる(いのちの不思議)から、いのちに対する感謝と祈りの『るん』という句集の俳句へと進化していったのである。
彼女はブルースもハードロックも歌う。俳句とは異なる表現者としての顔もある。表現の多様性は少年時代のニューヨークでの暮らしや父母の血統、学業としての美学の研究も影響しているものと推察される。それであるから表現形態は多彩であってその哲学や宗教観は「ひとすぢ」である。
反芻し吐き出してゐる冬の海
血痕の残るホームや初電車
彼女は決して奇を衒う言葉を使うことはしない。ファッションでもトレンドでも彼女にはありえない。「今、此処、我」「実相観入」といった彼女の俳句観は句集『るん』によって十分に内包され「ルン」の風にのせて祈りと未来への希望を見出そうとしているに他ならない。彼女の美学はミケランジェロと芭蕉に共通する美意識と宇宙観にも近いものがある。そこにはアニミズム的な要素が根底にあって頼もしくも気持ちがよいのだ。
おお麻乃と言ふ父探す冬の駅
終列車、初電車、冬の駅、駅舎、改札など多いのは現実にしっかりと向き合って生きているからに他ならない。彼女は『るん』で父を探しあてたのだ。彼女は星祭りの行われる冬至に生まれた女子である。あの岡田忠彦の曾孫である。
彼女の秩父巡礼はいまも続いている。彼女はかつて夕焼けの哀しみから逃れられなかった。しかしルンを見出し『るん』に記することによって克服したのだ。英文学者・登山家の田部重治は『日本アルプスと秩父巡礼』を著しているが、日本のアルピニズムを考察するに、ミケランジェロと芭蕉の美学、哲学、宗教観の相通ずる宇宙観があって、結局その根底にはアニミズムの精神性が存在すると述べている。彼女は単に哀しみの逃避としての「ルン」への祈りではなく、夕焼けの下に生活する秩父の人々の現実に身を投じ、大自然の存在に畏敬を備え俳句で生きる覚悟とリアリティによって句集『るん』が生まれたのである。
句集『るん』は彼女の劇的なる精神に裏付けられた祈りと希望の現実的な心象風景なのである。
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