2016年10月14日金曜日

2016こもろ日盛俳句祭参加記 後半 / 北川美美



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(承前)
後半はシンポジウムのテーマ「俳句と地名」を元につれづれに雑感を交えて。


シンポジウム会場は、小諸市の新庁舎に伴い新設された多目的ホール(ステラホール)で行われた。客席が階段状に設置された234名収容のシンポジウム向きのホールだ。


 司会:筑紫磐井
パネラー:藺草慶子、窪田英治、高田正子、行方克己




シンポジウムについては、筑紫氏の俳句四季<俳壇観測>に書かれている。


新会場レイアウトも手伝って、今回は、壇上と客席とのやりとりが頻繁に行われ、グルーヴ感のある進行だった。例年は暑さから午後の睡魔が襲い危ない時間帯なのだが、今回は聴き応えのあるやりとりが楽しめた。当初テーマ「俳句と地名」にあまりに食指が動かなかったが、こう盛り上がるのは意外だった。壇上に挙がった地名句に合わせ、実作者からの声が聴け会場を巻き込んだシンポジウムとなった。

地名句というのは、超有名句になる可能性もある、逆に地名を詠み込む句は相当なインパクトが無ければ愛唱される句にはならないだろう。


鎌倉を驚かしたる余寒あり 虚子


さながら歴史をも圧巻する寒さが伝わる。この句はやはり鎌倉が要である。


地名句はもともと和歌の歌枕を発端とし、詩歌の歴史に遡る。俳諧では、1680年に幽山編の『俳枕』が名所俳諧集である。幽山は芭蕉の師匠にあたるお方である。地名は、壮大なイメージが沸き起こる切欠をつくる。


現在は、国内は通行手形無しに自由に行き来出来、情報に至っては、地球の至る場所であっても遠い地の情報やニュース、映像を閲覧できる時代である。地名句は、即座に歴史や景色や人の往来が見えてくる。皆、地名好きなのである。


新興俳句以降の三鬼、白泉、敏雄には、地名を詠み込んだ句は非常に珍しい(新興俳句運動の中にも地名句は珍しいともいえるが)。しかし、あるにはある。それも有名句。

広島や卵食ふ時口ひらく 三鬼
 
砂町の波郷死なすな冬紅葉 白泉 
武蔵野を傾け呑まむ夏の雨 敏雄

敏雄に関しては、独立一句を目指す指針が当初よりあり、「個人的事情や社会的背景への理解を、条件としなければ成り立ち難い句は除いた。」(『まぼろしの鱶』後記)記していることから、地名によりイメージが限定されることを好まなかったようだ。


攝津幸彦になると地名は、想像を掻き立てる飛躍の役割を果たし読者の中でイメージが膨らむ切欠となる。やはりインパクトは相当ある。

南浦和のダリヤを仮のあはれとす 幸彦

そういえば、司会であったためか筑紫氏の地名句が壇上に挙がらなかった。


来たことも見たこともなき宇都宮  磐井


宇都宮の歴史をみてみると、秀吉の関東および奥州の諸領主に対して行った戦後措置に<宇都宮仕置>があり、元はその歴史に絡む句かもしれないが、現在、地方都市である宇都宮を言うになんとも大胆な措辞に読者側の驚きがある。


地名句は社会性俳句にもなり得る。

足尾・水俣・福島に山滴れる  関悦史


各人各様、地名句は、相当な衝撃がある。


ともあれ、自分は、地名句に興味がないどころか、初学の頃より地名があることに気が付く。

パリロンドンソウルトーキョー吊忍 美美 
三田一丁目クスリ屋の角秋の暮  〃 
石神井の愛人宅は薔薇盛り  〃 
暴力映画観て高崎より先が霧   〃

自分の育った環境が群馬という「上毛かるた」を授業に取り入れたことが影響しているのかもしれないが、成年になってからは、90年に流行った Right Said Fred - I'm Too Sexy で世界の都市名が唄われていたことや、地名ではないが、かまやつひろしの曲にプレイスポットの店名が多く出て来たこと感心したことがある(攝津幸彦に三越の句があるのと同様である。)。


と以上、シンポジウムのテーマを発端に地名に纏わる雑感を交え綴ってみた。


筑紫氏の俳壇観測と重複するが、シンポジウムで取り上げられた、パネラー、客席の俳人各位からの地名句を挙げておこう。

藺草慶子
叡山やみるみる上がる盆の月
貴船口まで冬山の芳しく


窪田英治
木曽道の石みな仏夏深む
青胡桃千曲川(ちくま)十里は雨の中


高田正子
禅寺丸柿の原木の木守柿
狐火や王子二丁目の角曲り


行方克己
ふるさとは道の八街麦の秋
権之助坂の往き来に柳散る


本井英
小田急が湯元出てゆく秋の暮


中西夕紀
東京は地下も秋澄む人の声
新宿や重層の囲を蜘蛛たちも


島田牙城
浅間山いな初秋の妻の膝


仲寒蝉
熱帯魚サマルカンドを悠々と
二百十日山の裏にて東京都


伊藤伊那男
京の路地一つ魔界へ夕薄暑


長峰千晶
逞しき炎暑の雲を浅間山
冬ざるる人間くさきパリの壁


壇上のボードに書かれた句



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二日目のスケジュール終了後は、毎年参加の「都市」(中西夕紀主宰)の皆様とともに、小諸市内の与良の町で過ごす。虚子庵の近くである。

更にその後、夜盛句会を覗いてみたところ、夜盛句会が終了した直後だったようで、幹事でいらした青木百舌鳥さんが後片づけをされていた。大勢の皆様で夜まで句会という盛り上がりようである。百舌鳥さんに飯田冬眞、篠崎央子、宇井十間の三氏を加え、夜盛第二句会を行う。 皆さん俳句好きなんですね。


夜盛句会の様子(撮影:青木百舌鳥)


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  • 7月30日 記念募集句 仲寒蝉選


特選
大欅殻の数ほど蝉鳴かず 上村 敦子

入選
虚子そこに座りしごとく夏座敷 北原千枝

美しき汗などなきと負試合 佐藤月子

風鈴のたくさん鳴つてゐて静か 井越芳子

逆しまにロープに縋る蝉の殻 柳沢晶子

ちんまり沓脱石や庵涼し 本井 英

栗の毬まだ柔らかくまだ青く 御厨早苗

国境を食うてをりたるきららかな 松野秀雄

朝稽古弓ひく所作の目に涼し 中島富美子

六道転生此度は蟻地獄 石田経治

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  • 最終日 7月30日 (土曜日)小諸最高温度32度  最低 24度



最終日午前中は、恒例である筑紫氏との冊子<俳句新空間>夏号の入稿打ち合わせ@小諸高浜虚子記念館。入館前に隣接する虚子の旧宅「虚子庵」を拝む。

「里」の内堀うさ子さんが、入室され挨拶を交わす。その後、筑紫氏と入った食事処の入り口にうさ子さんの句が大きく掲示されていた。


第17回虚子・こもろ全国俳句大会 長野県知事賞

幾つもの白息を吐き鯉を切る  内堀うさ子


小諸では虚子に纏わる俳句大会・イベントが行われているが、<虚子・こもろ全国俳句大会>は、募集と表彰を主にしているようで当該の日盛祭とはイベントの趣旨が異なる。小諸では夏でも鯉が食せる。昼食に鯉こくを頂き、汗をかく。その後も汗が引かず。


午後の句会。

そのうさ子さんと同室となり、スタッフ俳人として入室された筑紫氏と三人で同じ机に座りフシギな気分。クーラーが背後にあったので密かに私が<強>に操作したところ、筑紫氏とうさ子さんが冷え過ぎということに…。私だけが暑さを感じていたのは鯉こくのせいではなく、微妙な年頃のせいかと赤面する。


以下は、句会で出たいくつかの句。



(お名前が正しく表記されていない可能性があります。)

汗の手に半券を渡されてゐる 中嶋夕貴 
肩ひものよじれポンポンダリアかな 〃 
蟻地獄天に蠍の星燃ゆる 藤江みち
山百合や自由に鏡を打って良し 田中香 
うっすらと汗して虚子の散歩道 窪田英治 
無名戦士の碑山蟻に瞼無し 東公明 
城壁にはりついている蟻の列 伊藤伊那男 
虚子庵の砂と干からぶ実梅かな 内堀うさ子 
投げうっても投げうっても黄金虫 筑紫磐井
いろいろの戦後押し寄せ汗しとど 〃



三日目の句会、懇親会と終了すると、受付周辺は参加者がそれぞれ三々五々に散り出し慌ただしい。電車やバスの時間に急ぐのである。祭の後はいつも淋しい。


最後の懇親会にて。(撮影:青木百舌鳥)



こもろ日盛俳句祭が終わると、例年夏が終わった気になるが、猛暑はその後更に厳しくなる。





おまけ

 通称 テニスコート通り(だと思う)

室生犀星旧家







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