少しして、旭川東高校の女子高生(@aria_ange04)がtwitterにこんなことを書いていた。彼女は大会終了後すぐ修学旅行に行っている。
北海道だから俳句甲子園の兼題に全然ゆかりがなくて、兼題自体が高校生らしい季語(って言ったら変かな)じゃないと思ってた。でも本州旅行したら蓮も燕も柿も百日紅も(筆者註:いずれも近年の俳句甲子園の兼題)当たり前にあって、違うんだなぁ、どうしようかなぁって思った。(2014年9月5日23:01)
北海道だから俳句甲子園の兼題に全然ゆかりがなくて、兼題自体が高校生らしい季語(って言ったら変かな)じゃないと思ってた。でも本州旅行したら蓮も燕も柿も百日紅も当たり前にあって、違うんだなぁ、どうしようかなぁって思った。
— ありあ@たまにお出かけ中 (@aria_ange04) 2014, 9月 5
この話の始まりは今大会の決勝リーグ2回戦最終試合、金沢桜丘高校との対戦「柿」であった。金沢桜丘高校が「竹竿に挟める枝や柿ふたつ」(茶谷美月)、旭川東高校は「おつかいのおまけや独楽に似たる柿」(池原早衣子)を提出し、金沢桜丘高校が勝利した。理由はさまざまではあるが、その最たるはおそらく、金沢桜丘高校の句を旭川東高校が理解できなかったことにあった。柿が木になっているのを見たことがない北海道民は、枝を竹竿で挟めるとはいったいどういうことか、まったく想像できなかった。それで試合時間の大部分を「これはどういう状況なのか教えてほしい」ということに費やして、建設的なことをなに一つ述べる間もなく試合を終えた。金沢桜丘高校の生徒たちも、まさか柿の取り方を知らない高校生がいるとは思わなかったのだろう。互いにかみ合わず、試合自体が空転していた。北海道の特異を俳句甲子園があらわにした形だった。そういう事情で旭川東の生徒は、北海道と内地の違いに理不尽を感じていたのだった。
季語との付き合いの難しさを、道民は古くから感じていた。その状況を山東爺『北海道俳壇外史』(私家版/2008年)は以下のように書いている。
積雪寒冷然も四辺の海を流氷が遊戈し、夏の短い北海道の四季は、内地府県の気象風土とは、別天地のように違っており、明治維新以後、印刷技術の近代化により歳時記も大量発行されて来てはいたが、南北に細長い日本の四季は南と北とでの違いが甚しく、関西関東主体の季語には馴染めない俳人が多かった。(中略)北海道に適した歳時記を望む声は早くからあり、大正二年の札幌冨貴堂発行中森其涯編「北海俳句抄」は形態はともあれ本道歳時記の嚆矢とは言えよう。
この記述が示すのは、季節感の差異を解決する手段として道民が選んだのは「自前の歳時記を作る」という方法だった点である。内地への歩み寄り、あるいは、違和感のない季語での作句ではなく、季語の定義のし直しによって、自己表現を可能にしてきた。北海道俳句史なるものを想定するとすれば、その重要な仕事として「歳時記を作る」を挙げるべきであろう。1946年の塩野谷秋風『新選俳句季語集』(霧華発行所)、1984年の永田耕一郎『北ぐに歳時記』(北海道新聞社)、1990年の『北方季題選集』(葦牙社)、1993年の木村敏男『北の歳時記』(にれ叢書)など、北海道季語をまとめる歳時記や散文は絶えない。
これらの仕事には二つの側面がある。第一に、北方にしか存在しない事物を季語と認定するもの。【雪襖】「人家の出入口の前や横などに積み上げられた雪の嵩では、丁度襖のように隣家との間をふさぐ」(前出『北の歳時記』)や【海明け】「流氷が去り始めて沿岸の海に水路が開けるのを「海明け」という。(中略)「海明け」の時期になると漁業に従事する人々は出漁の準備に追われる」(前出『北ぐに歳時記』)などがそうであり、冬季周辺に集中する。「海明け」が括弧で括って述べられていることからも分かるが、これらの多くは、道内ならば全員が共有する語と言うよりも、むしろ民俗的で、北海道の独自性を表明すべくして加えられている印象も受けないではない。もっとも現在も使用される方言「しばれる」など例外はある。
第二の側面は既存の季語を北方の実体に即した形で記述するものである。【夏至】「梅雨時期と重なるので、夏至の日は晴天に恵まれないというが、北海道は例外である」(『北ぐに歳時記』)、【燕】「北海道に渡ってくる普通の燕は、後志地方が北限だといわれている」(『北ぐに歳時記』)、【柿】「柿といえば店頭で味覚を知るだけが、北国の悲しさ。気候のせいで北海道では甘柿は難かしい」(『北の歳時記』)など、地理が生み出す特殊な状況を明記することによって北海道での季語の使用を可能にする。北海道の歳時記において、ほんとうに重要なのは、特殊な季語を登録することではなく、こちらである。先述の旭川東高校の句「おつかいのおまけや独楽に似たる柿」(池原早衣子)は、そのあたりにいくらでもなっている柿ではなく、もっと言えば、この子が初めて見た柿かもしれない。この読みは一般の歳時記に記載されている本意では不可能である。
だからこれらの歳時記は、むしろ内地の俳人が手にするときにこそ大きな意味を持つのであるが、あまりにも贅沢な考えではある。おれの俳句を読むために北海道を理解しろだなんて、とても言えない。あくまで北海道歳時記は、北海道で俳句を作るにあたってのルールブックのようなものである。100%の理解を得たいのであれば道内の結社に投句するほかにない。個人的な話になってしまうけれど、北海道にいた高校二年生の時、「里」に入会することを文芸部の顧問に伝えたら、「え、道外なの!? 季節感分かってもらえるのかなあ」とずいぶん心配されたものだった。
筆者はそのことにためらいを持たなかった。本州の俳誌に句を寄せるほかの道内俳人もそうだと思う。いずれもおそらくは、北海道の事情に基づいた100%の理解はなされていない。それでいい。そもそもどんな言葉であれ、詠者と読者との間でコンテクストが一致することはなかなかない。季語という仕組みは、万人の感性が共有されていることを利用する一方で、それぞれのコンテクストにあるずれをして多彩な読みを生ましめるものである。たとえば――せっかくなので今年の俳句甲子園から引くが――開成高校の永山智の句。「空蟬はどこから写しても濁る」。北海道から夏の本州へ来ると蟬の多さに驚く。あちらではめったに蝉をうるさく思うことはないし、まして空蝉も見たことがない。空蝉というのはほとんど空想的な季語だと思っていたので、進学先の本州でそこらじゅうあちこちに落ちていてびっくりした。永山の句、空蝉が近辺にない読者にとってはいくぶん幻想的な景である。はっきりとした色を見せない空蝉をあらゆる方向からカメラごしに見つめる。この空間がこの世と地続きであるとは思われない。だが生活の中に空蝉がある読者はここに卑近な雑音を聞く。ごちゃごちゃとした枝葉、周囲の騒々しい蝉しぐれ。それらの中に空蝉がある。この二つの空蝉は明らかに違うものでありながらどちらも「空蟬はどこから写しても濁る」が記述するものである。この振れ幅を楽しむからこそ、道内俳人は外へ出てゆくことができる。
冒頭の俳句甲子園の兼題を考えるとき、たとえば、柿という北海道にないものを兼題にするのは不公平である、確実に全国にあるものを持ってこればよい、という考え方もある。たしかにまるきりないものを持ってこられるのは作るにしても読むにしても不利である。だけれどもそれはきりがない話ではないか。北海道歳時記の仕事が既存の季語の再定義であったように、どんな季語であれ地理が違う以上は認識に差が生まれる。
そういえば俳句甲子園の翌日、ある句会に行って、兼題のひとつが「汗」だった(俳句甲子園と同じ兼題で大人たちも句会をしよう、という会だった)。そこで投句された句に朝摘みを終えた人が汗みどろになっている姿を詠んだ句があった。取った。ああ、こっちでは朝から汗が出るのか、と意外だったからである。そういえばついさっき早朝に松山市内を散歩したときも汗だくになったのだった、と思い出す。翌日北海道へ帰り、朝いちばんで気温を調べると9℃だった。汗をかくわけがない。「柿なんか知らないよ」と憤った旭川東の生徒たちが同じ大会の兼題である「汗」に関して何か言ったのは聞いていないが、もしかしたら彼らが出会った句のうちのどれかは朝の汗だったかもしれない。そのことに対して「北海道は朝に汗をかかないからこれを兼題にしないでほしい」とは言えない。俳句の読みはそんなところに左右されるものではない。きりのない話であり、たまたま柿が極端だったに過ぎない。
というか、俳句甲子園なんて、さっさと通過すればよろしい。一般的な俳句活動から見ればあまりに奇妙なルールを以て行われるひとつの大会に過ぎない。作句と鑑賞を数値として評価するルールには突っ込みどころがたくさんある。兼題にしても、たとえば昨年度の「初夏」に関して、沖縄で用いられ、沖縄歳時記に記載のある「若夏」を傍題として認めないという一幕があった。俳句甲子園の独特のルールは、決して出場するサイドの作句と鑑賞のためにあるのではない。2010年代に俳句を始めてしまった以上、高校生として俳句甲子園に出なければ、という気持ちは分からんでもないが、その点は考えておいた方がよい。俳句をしたいのなら、他に場所はいくらでもある。
- 堀下翔 (ほりした・かける)
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。現在、筑波大学に在学中。
※堀下翔さんが第6回石田波郷俳句新人賞を受賞されました。お祝い申し上げます。受賞作20句は角川『俳句』1月号に掲載予定。(編集部)
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