実景写生句と思える。
小寒(1月6日頃)から節分(立春の前日)までを「寒(かん。寒中・寒の内とも)」と言い、小寒以降を「寒の入り」「寒に入る」という。冬場の鯉は動きが鈍いはず。集団で池の底のようにじっとしていることが多い。しかし、尾をみて戻る体がやわらかそうな鯉が描かれている。「己が尾」という措辞が集団から外れ自己顕示欲の強い鯉に思える。戻ったのは仲間のところだろうか。
体がやわらかい鯉は、大きくならない鯉らしい。大きな鯉をよい鯉とするならば、いわゆる落ちこぼれ、またはアウトローな鯉である。
「登竜門」あるいは「鯉幟(こいのぼり)」の所以のある鯉は、鯉が滝を昇るという逸話である。一旦滝をみつめながら、滝を登らず、川底に戻る鯉もいる。滝を登らない鯉は、鯉幟になれない、これも落ちこぼれ的な鯉かもしれない。
落ちこぼれも鯉であり、本当は、池底にいる鯉こそが底力のある鯉ということもある。人間世界に置き換えて読んでしまうのは、やはり「己」という文字の誘惑だろう。「個」を重視する意味にとれる。
「もどる」と「入る」の動詞が同時使用されている。四句前の「蛇捕の脇みちに入る頭かな」の「入る」も頭をよぎる。
もどるも別の道なりき。
27. 玉霰ふたつならびにふゆるなり
前句の「寒に入る」の小寒の次は冬になった句である。
「ふゆる」というのは「冬」の古語。「増える」が転じて「冬」になっている。それも「魂(たま)が増える」という説があるようだ。敏雄の言葉に対する厳選はどの角度から検証してもゆるぎない。それを直観的に駆使できる天性に磨きがかかった秀才といわれる所以だろう。「霰」は春の可能性もある。春なのに「冬」に逆戻り。前句の鯉がUターンする句からそう思えてくる。
「ならんでふゆる」とは雅である。助詞の「に」にその巧妙さがある。
玉霰ふたつならびてふゆるなり
玉霰ふたつならびにふゆるなり
を比較してみる。
並んでからそして冬になったなぁ
並びながら冬になったなぁ
というニュアンスの違いが感じられる。「に」に比重がかかる句に思える。
また「玉霰ふたつ/ならびにふゆるなり」と切れの位置をずらしてみる。「並びに」という接続使用があるのは「A及びB並びにC」という法的表現があるが、「並びに冬るなり!」と俄然強くなってくる。あらゆる試行し読み方の違いを味わう。
28. 春山を越えて土減る故郷かな
春の山を越えて辿りついた故郷の土は減っていた。「故郷」という言葉に読者それぞれの郷愁が思い描かれる。
「土減る」の措辞が心の減りようを表しているように読める。「成功をおさめたものが到達できる春なれど、置き去りにした自分の原点があったものだな。」
やわらかさを感じる自然界の「土」という物質層が減っていく。土が減ったということで考えられるということはなんだろうか。
「除染地域のため除染土として土表面3cmを削った」
「宅地造成で土の表土面積が減った」
「アダムを土で作ったため土が減った(旧約聖書)」
「土偶を作ったため土が減った」
「金の発掘のために土を採掘した」
「三匹の子豚の1匹が土の家をつくったので土が減った」
コンテナの中で植物が育つからといって土が減るということはないらしい。土が減るというのは人的なことが加わり起こることではないか。やはり心の磨り減りだろう。
五行(木・火・土・金・水)相生では、木は燃えて火になり、火が燃えたあとには灰(=土)が生じ、土が集まって山となった場所からは鉱物(金)が産出し、金は腐食して水に帰り、水は木を生長させる。
春山の「山」は土が集まった場所であり、そこには山の営み、四季を通しての山の姿がある。山を巨大な土の塊としてとらえてみると、人が棲みつく里は、山からの土がその昔火山灰として流れ込み、やわらかくそしてあたたかく人を迎え、人の営みがあった。
掲句の「故郷」は、帰り処のない心のさまよい、春の憂いを表しているように思える。
29. 雹噛んで臼歯なほ在り故郷かな
前句を受けて「故郷かな」がつづく。掲句の「故郷」は唐突でありながら、「故郷」という言葉に抱く人々の郷愁を再び呼び覚ます。
気象学上で「雹(ひょう)」は5㎜以上、「霰(あられ)」は5㎜以下で区別される。よって雹は激しい自然状況下であることを想像させる。それは、「故郷」の自然環境が厳しいことを含蓄するだろう。雨がふれば槍(やり)のように激しく叩きつけ、雪が降れば猛烈な吹雪となり、夏の太陽は痛く刺すほどに照り付ける。人にはそれぞれの故郷、自己の原点がある。自然の中で人の営みがあり、家族が生まれ、里の暮らしがある。
そして「臼歯」は犬歯よりも奥にある歯のことで、人間は犬歯も臼歯も平均的に発達している。「臼歯なほ在り」の措辞から考えると「犬歯だけでなく臼歯がまだある」という意味にもなろう。肉食動物的、攻撃的な野心だけでなくゆったりとした草食動物の守りの体制を感じる解釈が考えられる。ライオン(ネコ科)やオオカミ(イヌ科)などの肉食動物の歯は、犬歯が発達し、一旦口の中に入れた肉はあまり噛まずに飲み込む。牙というのは犬歯が発達したものだ。
「蛇捕のわき道に入る頭かな」の項の蛇脳に同じく、「臼歯なほ在り」は、人間が狼のような鋭利な狼脳をも兼ね備える能力を暗喩しているように思えてくる。「絶滅のかの狼を連れ歩く」の句が登場するのは先だが、狼の存在をすでにここで掲示しているような配置である。
故郷とはゆっくりとすり潰して呑み込むもの、その感覚を理解するものだけがこの句を味わえばよいだろう。 五木寛之の『青春の門』の中で主人公・信介が筑豊を去る時に養母タエの遺骨を噛む場面が思い出される。骨は「カリカリと爽やかに」砕けた。掲句から思い出される場面である。
「故郷かな」の同じ下五句がつづいた。
五木寛之もそうだが、「故郷」を背負った作家として寺山修司が挙げられるだろう。
わが夏帽どこまで転べども故郷 寺山修司
寺山修司が俳句に熱中していたのは昭和28年頃なので、『眞神』が上梓される20年程前ということになるが、修司は中学の頃より三鬼、そして三鬼指導の同人誌『断崖』に傾倒し俳句が出発点であることが知られている。敏雄の句を意識したいたことも確かだ。
修司の句に「母」「父」「故郷」が多く登場し、それぞれが呪物的存在を示し、『眞神』登場物との共通点も多い。修司は亡くなる直前まで、敏雄と交流があった。俳句に戻りたい想いを募らせ、三橋敏雄、齋藤慎爾らと同人誌『雷帝』を構想し誌名が決まったその十日後に修司は昇天している。
『眞神』上梓の後に修司は没している(1983年)が、「雹噛んで」の句が五木寛之、寺山修司をはじめとする「故郷を葬るものたち」への鎮魂と言えるだろう。
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