【評論執筆例(初期能村登四郎作品について):筑紫磐井】
6.初期身辺生活句(2)
能村登四郎が馬酔木において、風景俳句から身辺俳句に転じたのは23年からであった。身辺俳句と言っても心象的な俳句から、生活境涯俳句的なものまでのブレがあるが、その前期は次の句で一応一区切りを迎える。
露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)
かぼちや咲き貧しさがかく睦まする
かぼちやかく豊かになりて我貧し
病める子に蚊ばしらくづす風いでよ
生活境涯俳句的なもので、貧しくはあるが、市民生活のささやかな幸せをうたっている。しかし文学的な価値はそれほど高くなさそうだ。いわば能天気なのである。最後の句にあって、少し生活の中の波乱が生まれ、新しさを期待させるものが見えて来る。
しかし、こうした幸せな生活詠は一気に破綻する。この病んでいた子供が急逝するのである。長男急逝の一連を水原秋櫻子は2回目の巻頭作品に選んだ。
長男急逝
逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)
供華の中に汝がはぐくみしあさがほも
汝と父母と秋雲よりもへだつもの
かつて次男も失ひければ
秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり
白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)
白露や子を抱き幸のすべてなる
秋草やすがり得ざりし人の情
日とよぶにはかなきひかり萩にあり
露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)
ほぼ3カ月間は慟哭の作品となる。長男・次男をなくし、妻と長女だけを残す家庭となってしまったのだ(三男の研三はまだ生まれていない)。登四郎の悲しみはわかるが、こうしたダイレクトな悲嘆が優れた俳句となるわけではない。能村登四郎の生活の事件としては納得できるが、登四郎の文学の転換とは未だなっていない。
こうした何か月かを過ごし、運命の不条理さへの怒り、絶望、それから再起しなければいけないという思いが生まれて来る。
鶏頭やきはまるものに世の爛れ(23・12⑤)
朝寒や一事が俄破と起きさする
わが胸のいつふくらむや寒雀(24・1⓸)
枯芭蕉どんづまりより始めんと
炭は火となるにいつまで迷ひゐる
霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)
手袋やこの手でなせし幾不善
冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる(24・3⑨)
新雪の今日を画して為す事あり(24・4⑤)
今回かかげた作品は、能村登四郎の作風の完成にほとんど影響を与えてはいない。しかし、極め個人的な事件と、俳句の作風の関係はあまり考察する機会がないと思われるので、ここで示して置いた。我々においても、極めて重要と思われる事件は、実は俳句の完成とはあまり関係しないのである。
資料 能村登四郎初期作品データ
(制作年月の次の〇数字は馬酔木集の席次。*は下位作品)
刈田のなか池ありあをき空を置く(23・1*)
高槻のそのたかさよりしぐれくる
茶の咲くをうながす晴とちらす雨
咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)
かがみゐし人のしごとの野火となる
潮くみてあす初漁の船きよむ
ななくさの蓬のみ萌え葛飾野
ぬばたまの黒飴さはに良寛忌(23・3➀)
雪といふほどもなきもの松過ぎに
雪天の西うす青し雪はれむ
佗助やおどろきもなく明けくるゝ
雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)
匆々ときさらぎゆくや風の中
蓋ものに春寒の香のさくら餅
松の間に初花となり咲きにけり
弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)
人いゆく柴山かげや春まつり
さく花に忙しききのふ無為のけふ
さくら鯛秤りさだまるまでのいろ
うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)
春靄に見つめてをりし灯を消さる
摘むものにことば欠かねど蕗生ひし
畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ
部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)
たよりあふ目をみなもちて梅雨の家
梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき
藺の花の水にも空のくもりあり
老残のことつたはらず業平忌(23・8③)
黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ
白麻の着くづれてゐて人したし
白靴のしろさをたもち得てもどる
露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)
かぼちや咲き貧しさがかく睦まする
かぼちやかく豊かになりて我貧し
病める子に蚊ばしらくづす風いでよ
長男急逝
逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)
供華の中に汝がはぐくみしあさがほも
汝と父母と秋雲よりもへだつもの
かつて次男も失ひければ
秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり
白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)
白露や子を抱き幸のすべてなる
秋草やすがり得ざりし人の情
日とよぶにはかなきひかり萩にあり
露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)
鶏頭やきはまるものに世の爛れ
朝寒や一事が俄破と起きさする
林翔に
貧しさも倖も秋の灯も似たる。
咳了へてほのかにぞ来る人の息(24・1⓸)
わが胸のいつふくらむや寒雀
枯芭蕉どんづまりより始めんと
炭は火となるにいつまで迷ひゐる
霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)
手袋やこの手でなせし幾不善
またけふの暮色に染まる風邪の床
かけ上る眼に冬樫の枝岐る
殿村兎糸子氏を新人会に迎えて
朱を刷きて寒最中なる返り花
凩と言へどそれぞれものの音(24・3⑨)
遠凧となりてあやふき影すわる
水洟を感じてよりの言弱る
冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる
老梅を愛して物を卑しまず(24・4⑤)
新雪の今日を画して為す事あり
卒業生言なくをりて息ゆたか
風邪熱を押して言葉にかざりなき
●戦前作品
芦焚けば焔さかんとなりて寂し(14・2*)
枯山の星するどくてひとつなる(15・12*)
蒲の穂のしづかなれどもふれあひぬ(16・11*)
盆のものなべてはしろくただよへり
寝返ればふたつとなりぬ遠蛙(18・6*)
四五枚のいつも雪解のおくるる田(19・4*)
いつの間にみてゐし雲や春の雲(19・5*)
朝は子とゐし緑陰や人のゐる(19・8*)
ひとりゐる蘆刈に鳰もひとつゐる(20・1*)
●戦後作品(受験子・教師俳句)
受験子の髪刈りて来し目のうるみ(24・4特別作品)
しづかにも受験待つ子の咀嚼音
あぢさゐの褪せて教師に週めぐる(24・8⑦)
氷菓もつ生徒と逢へりともに避け(24・9⑫)
長靴に腰埋め野分の老教師(26・4馬酔木コンクール受賞)
教師やめしそのあと知らず芙蓉の実