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2024年12月13日金曜日

■現代俳句協会評論教室・フォローアップ研究会 6 筑紫磐井

 【評論執筆例(初期能村登四郎作品について):筑紫磐井】


6.初期身辺生活句(2)

 能村登四郎が馬酔木において、風景俳句から身辺俳句に転じたのは23年からであった。身辺俳句と言っても心象的な俳句から、生活境涯俳句的なものまでのブレがあるが、その前期は次の句で一応一区切りを迎える。


露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ


 生活境涯俳句的なもので、貧しくはあるが、市民生活のささやかな幸せをうたっている。しかし文学的な価値はそれほど高くなさそうだ。いわば能天気なのである。最後の句にあって、少し生活の中の波乱が生まれ、新しさを期待させるものが見えて来る。

 しかし、こうした幸せな生活詠は一気に破綻する。この病んでいた子供が急逝するのである。長男急逝の一連を水原秋櫻子は2回目の巻頭作品に選んだ。


     長男急逝

逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)

供華の中に汝がはぐくみしあさがほも

汝と父母と秋雲よりもへだつもの

かつて次男も失ひければ

秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり

白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)

白露や子を抱き幸のすべてなる

秋草やすがり得ざりし人の情

日とよぶにはかなきひかり萩にあり

露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)


 ほぼ3カ月間は慟哭の作品となる。長男・次男をなくし、妻と長女だけを残す家庭となってしまったのだ(三男の研三はまだ生まれていない)。登四郎の悲しみはわかるが、こうしたダイレクトな悲嘆が優れた俳句となるわけではない。能村登四郎の生活の事件としては納得できるが、登四郎の文学の転換とは未だなっていない。

 こうした何か月かを過ごし、運命の不条理さへの怒り、絶望、それから再起しなければいけないという思いが生まれて来る。


鶏頭やきはまるものに世の爛れ(23・12⑤)

朝寒や一事が俄破と起きさする

わが胸のいつふくらむや寒雀(24・1⓸)

枯芭蕉どんづまりより始めんと

炭は火となるにいつまで迷ひゐる

霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)

手袋やこの手でなせし幾不善

冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる(24・3⑨)

新雪の今日を画して為す事あり(24・4⑤)


 今回かかげた作品は、能村登四郎の作風の完成にほとんど影響を与えてはいない。しかし、極め個人的な事件と、俳句の作風の関係はあまり考察する機会がないと思われるので、ここで示して置いた。我々においても、極めて重要と思われる事件は、実は俳句の完成とはあまり関係しないのである。


資料 能村登四郎初期作品データ

(制作年月の次の〇数字は馬酔木集の席次。*は下位作品)


刈田のなか池ありあをき空を置く(23・1*)

高槻のそのたかさよりしぐれくる

茶の咲くをうながす晴とちらす雨


咳なかば何か言はれしききもらす(23・2➁)

かがみゐし人のしごとの野火となる

潮くみてあす初漁の船きよむ

ななくさの蓬のみ萌え葛飾野


ぬばたまの黒飴さはに良寛忌(23・3➀)

雪といふほどもなきもの松過ぎに

雪天の西うす青し雪はれむ

佗助やおどろきもなく明けくるゝ


雪の戸にけはひして人のおとなへる(23・4⑧)

匆々ときさらぎゆくや風の中

蓋ものに春寒の香のさくら餅

松の間に初花となり咲きにけり


弥生尽追ひ着せられて羽織るもの(23・5➁)

人いゆく柴山かげや春まつり

さく花に忙しききのふ無為のけふ

さくら鯛秤りさだまるまでのいろ


うすうすとわが春愁に飢もあり(23・6⑥)

春靄に見つめてをりし灯を消さる

摘むものにことば欠かねど蕗生ひし

畑すみに萌えいですでに紫蘇のいろ


部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす(23・7➀)

たよりあふ目をみなもちて梅雨の家

梅雨の傘抱きて映画に酔ひがたき

藺の花の水にも空のくもりあり


老残のことつたはらず業平忌(23・8③)

黴の香のほのかなる書を手ばなしぬ

白麻の着くづれてゐて人したし

白靴のしろさをたもち得てもどる


露はしり我にあかるき今日きたる(23・9⑥)

かぼちや咲き貧しさがかく睦まする

かぼちやかく豊かになりて我貧し

病める子に蚊ばしらくづす風いでよ


長男急逝

逝く汝に萬葉の露みなはしれ(23・10①)

供華の中に汝がはぐくみしあさがほも

汝と父母と秋雲よりもへだつもの

かつて次男も失ひければ

秋虹のかなたに睦べ吾子ふたり


白露の朝にはじまる言葉佳し(23・11③)

白露や子を抱き幸のすべてなる

秋草やすがり得ざりし人の情

日とよぶにはかなきひかり萩にあり


露幾顆散り惜しむとも吾子はあらず(23・12⑤)

鶏頭やきはまるものに世の爛れ

朝寒や一事が俄破と起きさする

林翔に

貧しさも倖も秋の灯も似たる。


咳了へてほのかにぞ来る人の息(24・1⓸)

わが胸のいつふくらむや寒雀

枯芭蕉どんづまりより始めんと

炭は火となるにいつまで迷ひゐる


霜ばしら怒りは内に燻ゆらすな(24・2③)

手袋やこの手でなせし幾不善

またけふの暮色に染まる風邪の床

かけ上る眼に冬樫の枝岐る

  殿村兎糸子氏を新人会に迎えて

朱を刷きて寒最中なる返り花


凩と言へどそれぞれものの音(24・3⑨)

遠凧となりてあやふき影すわる

水洟を感じてよりの言弱る

冬百舌の裂帛にわが虚を衝かる


老梅を愛して物を卑しまず(24・4⑤)

新雪の今日を画して為す事あり

卒業生言なくをりて息ゆたか

風邪熱を押して言葉にかざりなき


●戦前作品

芦焚けば焔さかんとなりて寂し(14・2*)

枯山の星するどくてひとつなる(15・12*)

蒲の穂のしづかなれどもふれあひぬ(16・11*)

盆のものなべてはしろくただよへり

寝返ればふたつとなりぬ遠蛙(18・6*)

四五枚のいつも雪解のおくるる田(19・4*)

いつの間にみてゐし雲や春の雲(19・5*)

朝は子とゐし緑陰や人のゐる(19・8*)

ひとりゐる蘆刈に鳰もひとつゐる(20・1*)


●戦後作品(受験子・教師俳句)

受験子の髪刈りて来し目のうるみ(24・4特別作品)

しづかにも受験待つ子の咀嚼音

あぢさゐの褪せて教師に週めぐる(24・8⑦)

氷菓もつ生徒と逢へりともに避け(24・9⑫)

長靴に腰埋め野分の老教師(26・4馬酔木コンクール受賞)

教師やめしそのあと知らず芙蓉の実