2023年10月13日金曜日

【抜粋】〈俳句四季8月号〉俳壇観測247 現代の社会性 ――新しい社会性俳句の詠み方 筑紫磐井

 「今こそ社会性俳句」

 半年前になるが、「俳句四季」11月号は、「今こそ「社会性俳句」」と題して特集を組んでいる。その半年前は前衛俳句特集を組んでいたから、「俳句四季」は戦後俳句史の回顧を定期的に進めているようだ。こうしたハードなテーマ特集は最近の総合雑誌ではあまり見られなくなっているからよいことである。

 今回の特集の編集者の意図は、冒頭の惹句の解説に「社会性俳句とは」として、1953年の角川「俳句」の特集をかかげ、それ以前の新傾向俳句、プロレタリア俳句、新興俳句に兆しを見、現代では戦争や災害、貧困などの社会問題にまで広がるとしたうえで、「社会性俳句」あるいは「社会性のあるテーマや素材を詠った俳句」について思うところを語ってもらうと趣旨を述べ、特集としての枠組みをはっきり定めている、

 そして、総論の日野百草、各論を安里琉太、飯田史郎、小田島渚、角谷昌子、駒木根淳子、中村安伸、西村麒麟、橋本直、堀切克洋、水野真由美の10氏が論じている。論者はそれぞれの思いで語っているが、それぞれの執筆者は他の執筆者の語る内容を知らずに書いているから、この11人全体をまとめた傾向を知ることが出来るのは編集者と読者だけであり、興味深いものがあった。

 総じて言えば、かつてのような社会性俳句や社会性のあるテーマや素材を詠った俳句に対する否定は亡くなっているものの、社会性俳句時代の「社会」や社会のとらえ方が大きく変質しているという指摘が多かった(例えば日野の「左右」から「上下」への視点の転換)ように思う。

 この特集では、各論者の社会性俳句の好きな句5句を掲げさせているが、労働問題、戦争、貧困、原爆、震災・原発事故、沖縄問題、地球環境問題、犯罪、コロナ、機械化社会、テロ、政治権力、人類の滅亡などが掲げられている(順不同)。人類の滅亡などは従来の社会性俳句より広がっているようにも思うが、このあたりが現代の社会性の特徴かもしれない。

 これらを見て、1953年の俳句の特集「『俳句と社会性』の吟味」の直後、1954年の俳句の特集「揺れる日本――戦後俳句2千句集」を思い出す。これは、直前までの戦後の俳句を森澄雄・松崎鉄之介・楠本憲吉が選んだものであり、社会性俳句だけではなく、ホトトギスや曲水などの生活詠の句までを含んだ修正である。社会性に係わる名句・駄句2千句の圧倒的な集成は社会性俳句の中心・外輪を浮き彫りにしてくる格好の資料である。上の限られた選句を見て、平成・令和の社会性の集成をやってほしいと思うものである。


社会性の詠み方

 こうした現代の社会性俳句を眺めて、素材は根本的に変わらないものの、詠み方はかなり変わってきているのではないかと感じた。安里琉太の論の中で、5句の例句に上げていないが福田若之の「ヒヤシンスしあわせがどうしてもいる」をあげているのに興味深く思ったのである。

 実は福田は同人誌「オルガン」でいわゆる震災俳句に対して批判的な発言をしている。同人誌「オルガン」は第四号(二〇一六年二月)の「震災と俳句」という特集で「あなたは震災俳句についてどう思いますか。」の問いに対し同人たちは次のように答える。

○「震災や時事を取り扱った俳句について、感想を求められたときに何も言えなくなってしまう。ある意味暴力的だと思う。」(宮本佳世乃)

○「(〈双子なら同じ死に顔桃の花  照井翠〉等の句を挙げて)といった句は僕には受け入れがたいものです。それはこれらの句が、震災と同様に、かけがえのないもののかけがえのなさを脅かすものであるように思われるからです。」(福田若之)

 これから見ると福田は震災俳句の否定論者のように思われるが、そうではない。東日本大震災の直後、週刊俳句208号(2011-04-17)に掲載された福田の句は、まさに震災俳句である。

 はるのあおぞら 福田若之

   (作品略)


 福田は第一句集『自生地』(東京四季出版刊)をまとめるに当たり、これらの震災俳句を或いは削り、あるいは再配置し、震災俳句の痕跡をなくしている。いうなれば、制作の段階で震災俳句は存在したが、編集の段階では消滅したのだ。確かに、「詩は泣いていられないんだつばめ来る」「さえずりさえずる揺れる大地に樹は根ざし」「未来にだって晴れの日もある花が舞う」は在来の社会性俳句のようであり、メッセージ性を出している。福田はこれらの中でメッセージ性を極力消去した「ヒヤシンス」の句を選んだのだ。福田の主張には叶っているように思う。

 しかし、考えてほしいのは、編集により震災俳句の痕跡は消えたが、震災俳句「はるのあおぞら」がなければ、「ヒヤシンス」の句は生まれなかったのも確かなのだ。動機と表現は違った方向を向く。「ヒヤシンス」の句が社会性俳句でありながら社会性を超えるためにはこうした試行が必要なのである。

   (下略)

※詳しくは俳句四季8月号をご覧下さい