●LOTUS 30号(2015年4月)
葎生
鳥族の巫覡恋しき摘草や
六十年後桃の老木乙女
葉桜の木の間漂う宇宙母顔
唐門の囲いの巾より娑羅の花
母は月父は娑羅樹と御喋り児
唐門前修羅の脇ゆくごんぎつね
三角地一くわ一くわと土返す
夏旅の七人村へと葛折り
雲海の
山ん中悶絶僻地常無念
飛龍とて未完の神ぞ弦の月
相俟って
降る雪や眼ることなき山毛欅林
窓秋氏詩神力すらはにかむや
木の家の詩人の記憶花譜となる
枯蓮の水底
修羅に添う異境の旅の夏木立
巨樹樹透黒き蛇迫う黒つぐみ
闇に
山又山産婆走りに山姥よ
鬼門角追われ払われ
天ん邪鬼の水の神様救い求る
門前のずり這う赤子掬い上げ
共喰ぞ悪喰ともどもなる地獄
弔いの摺り足ずるっと秋時雨
北の
男鹿の海祈る
●LOTUS 38号(2018年4月)
吉村鞠子追悼句
雲白きときどき連なり墓処の空
●BLOG「大井恒行の日日彼是」(2022年4月16日)
安井浩司へ 俳句無の時々(1)水仙(4・16)
救仁郷由美子から、安井浩司死去の直前、エッセイの原稿をブログに載せてくれるか、という声掛けがあり、あろうことか、ほぼ同時に、安井浩司の訃報がもたらされた。安井浩司『自選句抄 友へ』の救仁郷由美子によるエッセイの連載は、とびとびながら、残る3句となっていたが、自身、文章は、もう無理みたい、書けない・・・。俳句なら、少しは書けそう、と言ってきたので、『自選句抄 友へ』の代替えということにもならないが、句ができたら、その都度公開することにした。諸兄姉、お許しあれ。
厠から育む
水仙と
侵入者
●BLOG「大井恒行の日日彼是」(2022年4月22日)
安井浩司へ 俳句無の時々②
文学における俳句形式のαとωは、幾たびの試練を経てなお永遠に問われよ(『句篇』ー終わりなり、わが始めなりー安井浩司・帯文より)
ギリシャ語の最初の文字がアルファ、終わりがオメガであることから、最初から最後までを意味するが始原へと辿り返すならば、終わりなり始めなりと俳句形式を問う。
オメガアルファの春