2023年7月28日金曜日

【句集歌集逍遙】岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ

 岡田由季第二句集「中くらゐの町」は、まずそのタイトルからちょっと驚かされる。「中くらゐの町」。大都市でも、郊外、田舎でもない。「中くらゐ」は規模のことであるけれど、評価のようにも取れる。大きすぎず、小さすぎもせず、中くらい。


 中くらゐの町の大きな秋祭


 その、中くらいの町でも、大きな秋祭りを催すのである。大きな、とは、たとえば町中のひとが集まっているでのはないか、あるいは市外のひとも同じくらいいるのでは?などと、普段感じている規模を超えていることの把握に見える。「大きな秋祭」によって「中くらゐの町」のほどよさがにじみ出て、「中くらゐの町」によって「大きな秋祭」が大きいんだろうな、と思わせる、上下の句で相互作用があるようで、なんだか面白い。

 NHKBSの「にっぽん縦断 こころ旅」を見ていると、日本中に似通った風景があるんだなあ、とつくづく感じる。視聴者からの手紙で指定された目的地へ、火野正平が自転車を漕いで移動するさまを見守るこの番組は、観光案内も、地誌の説明もほとんどない。火野とスタッフが一列縦隊になって進む町並みを、淡々と映して見せる。畑の中の一本道を抜けて小さな小川にかかる橋を渡る。三叉路の細道に入り、路地を抜けると大きな銀杏の立つ稲荷社がある。目的地は大都市ばかりでもなく、民家もあまりないような辺鄙な場所ばかりでもない。映し出されるのはたいがい「中くらいの町」だ。

 写生が十四五本の鶏頭を詠む時、流れゆく大根の葉を詠む時、それがカメラのファインダーなら、標準レンズか、きもち広角気味のレンズで覗いたぐらいの叙景であるだろう。「中くらゐの町」を直に眼前に見るには、見晴台に上がらなければならない。「中くらゐの町」はそうやって眺められたものではなく、そこで過ごした時間の蓄積と肌感によって導かれた「客観」なのだと思う。


 物流の激しくありぬ朧の夜


 ここにも、目には見えないけれど確かにあるものが詠まれている。朧夜、夥しいトラックが物流倉庫を出入りする。「物流」という言葉は物的流動の略語で、生産者から消費者へ生産物を引き渡すことを指していたのが、現在は宅配便やB2Bの倉庫間移動など、配送そのものを指す言葉として捉えられるように変化しつつある。通信販売の多様化、近年のコロナ禍にともなう取引の増加に伴い、話題にのぼることが増えた言葉でもある。九十九神のひしめく島国の隅々へ、トラックが行き交うさまは、式神の伝令を引き合いに出してもいいんじゃないかと、個人的にはそう思う。


 嬉しさの長持ちしたり桜餅


 長持ちする嬉しさ、というものがある。パッと喜び、走り回って誰彼構わず告げたい、というのではなく、あとから思いだし、じんわりありがたく感じるようなもの。桜餅のあえかな感じが、その「嬉しさ」の喜ばしさをほのかに彩っている。


 矢絣の方が妹冬紅葉

 橙の記憶が餅につたはりぬ

 表のみ焚火にあたる男たち

 駅舎にて見せあつてゐる茸かな

 冬の山良書並べしやうにあり


「矢絣の—」の句は谷崎潤一郎「細雪」のような世界を思い描いた。矢絣といえば銘仙の柄だろうか、おきゃんな妹の方が、モダンな着物を身につけているのである。「橙の記憶—」は、橙が蜜柑山の記憶を餅に伝えている、と牧歌的に読むのもいいし、何故鏡餅のてっぺんに橙が置かれているのか、誰もが忘れかけているその仕儀を、橙そのものが餅に伝承している、と捉えるのも楽しい。「表のみ—」「駅舎にて—」「冬の山—」の三句はいずれも季題が良く内面化され、情景がありありと浮かぶ一場面が提示されている。「良書並べしやうに」は景観の見事さが作る言葉ではない。冬山のよさと良書のよさが結びついたときに生まれる措辞である。AIではこうはいかない。


 新しき案山子は犬に吠えられて

 裸木となりても鳥を匿へり

 海に出て川成就する秋の声


 新しい案山子は見慣れぬものとして犬に吠えられ、すっかり葉を落とした樹木はそれでも鳥を匿っている。川の水が海に到ることを「成就」と捉える。こうした見方はアニミズムのようにも見えるが、少し違った視点だと思う。案山子や裸木、川について、それぞれを独自の存在としてみているものの、擬人的に、また霊魂を持つ存在として描いているわけではない。それぞれが「役割」を持っているのだ、我々が思いも寄らぬようなかたちで。「裸木」という、あくまで人間の把握する状態を示すものにも役割があるのだ、とカウンターを浴びせているのではないか。


 内側に座ってみたき夜店かな


 祭りの縁日か、花火大会でもいい。夜店は買う楽しみ、眺める楽しみもありながら、その内側にいて、楽しむ人々を、その場そのものを見てみたい、という願いが描かれている。この大外から俯瞰する感覚、さらに外側から眺めたいという距離感こそが、作者の持つ冷静な視座そのものではないか。叙景と言葉、表現への拘りが掛け合わされた、独自の心地良さがここにはある。


 春寒しくしやくしやに揉む犬の顔

 秋の日や牛牽くやうに犬を牽き

 月の夜のきれいな骨のはづしかた

 青梅雨の麻雀卓の女たち

 切符の穴林檎の傷とともに旅

 観梅へ誘ふ切手の組み合はせ


岡田由季句集『中くらゐの町』(amazon kindle)